小峰隆夫「変転する消費者物価の認識」を読む。

 最近、消費者物価に関する報道やブログでの反応が相次いでいるが、法政大学の小峰先生も論説を書かれているので紹介しつつ感想を述べることにしたい(http://bizplus.nikkei.co.jp/keiki/body.cfm?i=20071005kk000kk&p=1)。
 小峰論説では、変転する消費者物価の認識として第一段階(狂乱物価の時期)、第二段階(内外価格差是正)、第三段階(2000年頃以降:量的緩和策とその解除)、第四段階(07年2月以降)の4つに分けて議論されている。
 個人的には、第一段階、第二段階についての小峰論説は同意である。特に第二段階における内外価格差是正論は誤りだろう。当時進んだ円高は輸入物価を押し下げ、相対的に海外物価水準を低下させ国内物価水準との格差が拡大したわけだ。内外価格差是正論は、「割高な国内物価が国民の生活水準を低くさせ、高コスト体質が企業の競争力を低下させている」という認識から出発しているわけだが、昨今の円安の進行で内外価格差がかなり縮小の方向に向かっているのに国民生活は豊かになったとの話は聞かれない。内外価格差の是正と生活水準や高コスト体質といった話とは直接的な関係がないということだろう。
 第三段階以降は私は小峰論説とは少し違う感想を持っている。小峰論説では、01年3月から量的緩和策を行うことで消費者物価への注目度は高まったと論じている。つまり日銀が「消費者物価指数の前年比上昇率が安定的にゼロ以上となるまで、量的緩和策を継続する」という主張だ。消費者物価指数は05年10月からマイナス状態を脱し、06年3月に量的緩和策が解除されたわけだが、この間の消費者物価上昇率は0.5%〜0.6%といったマイルドなものだった。過去にも多々話題にしているが、消費者物価のバイアスを考慮すれば0.5%〜0.6%というマイルドな上昇では0%を「安定的」に超えているわけではないのだ。これは基準年次の変更に伴うバイアスからみても明白だろう。06年7月に金利が0.25%に引き上げられたが、消費者物価指数は07年2月以降再びマイナスに戻ってしまった。これは「安定的」に超えて居なかったのに利上げを行ったことの当然の帰結と見るべきだろう。
 そして、小峰論説における第四段階に話は移る。07年2月以降の消費者物価指数のデータからは量的緩和解除の判断は誤っていたわけだ。このことから量的緩和解除派の議論からは、物価という判断材料が事実上無視されることになる。もしくはフォワードルッキングという名の下に将来の物価上昇が判断材料となったわけだ。勿論、量的緩和解除時点では、「現在の物価上昇を参考にすると将来はより力強い物価上昇が見込める」という意味でフォワードルッキングという用語が用いられたのだろうし、現在では「現在はゼロ近傍だが、将来は安定的な物価上昇が見込める」という意味で用いられているのだろう。結局、フォワードルッキングと組み合わせることでいかようにも言える「物価水準」は量的緩和解除派にとっては重視されていないことになる。
 さて、小峰論説では「デフレが経済停滞の真犯人であった」という論者からは「物価が下がっているのに量的緩和解除を行うのはおかしい」という議論がなされていないと指摘されている。そして、その理由は「物価(デフレ)が経済停滞の真犯人ではなかった」ためと論じられている。
 但し、このような議論はそもそも「デフレ下での経済停滞」と「デフレ」とを混同した議論だ。01年3月までは、デフレとは「(単に物価の下落を指すのではなく)物価下落を伴った景気の低迷を指す」と定義されていた。しかし国際的には「デフレ」とは「前年比で数ヶ月程度以上続いて物価が下落すること」と定義されており、01年3月までの我が国における「デフレ」の定義は誤りであったわけだ。01年3月以降政府は「デフレ」の定義を「持続的な物価の下落を指す」と改めたが、02年以降景気が拡大している。この事態は「デフレ」と景気動向が必ずしも同方向に推移していないという事実を示している。
 では、現状の物価変化はどう考えるべきなのか。まず、「前年比で数ヶ月程度以上続いて物価が下落すること」という定義に即して消費者物価指数を見れば、我が国の現状はマイルドなデフレである。景気拡大の中でデフレが進行しているというのであれば結構なことではないかという意見もあるが、それは誤りである。なぜならデフレはマイルドなインフレの元でならば達成できていた経済成長を減速させる効果を持つからである。特に名目値は価格変化がマイナスとなってしまうため、実質値で達成された値以下にしかパフォーマンスは評価されない。さらに現状の景気回復が循環的な要因に基づくものであると考えると、一旦景気悪化に陥るとデフレ下では不況からの自律的な回復は困難となってしまう。
 このように考えていくと、現状の2%程度の実質経済成長率を「実感の無い景気回復」と言う一方で「実感としてはデフレではなくインフレだ」と論じる人々を私は理解できない。もしマイルドなインフレを伴っていれば、賃金はより上昇しているだろうし、失業率はさらに低下しているのだろうし、消費も増加しているのではないか。「実感の無い景気回復」という認識は至極当たり前である。80年代前半ですら実質GDP成長率は2.6%、物価上昇率を考慮した名目GDP成長率は5.7%であったのだから。更に言えば、80年代後半には実質GDP成長率は4.8%、名目GDP成長率は6.3%だったのだ。そして完全失業率は2%半ばであったのだ。現状の経済指標を見れば、何が「実感の無い景気回復」をもたらしているのか自明だろう。つまり、「デフレ」が問題なのだ。
 推計に頼らざるを得ず、さらに速報性に乏しいGDPギャップといった指標が重視され、明確かつ速報性が高い物価指数という指標が重視されないという事態は政策判断を行う際の基準が不透明であったこと、そして政策判断を誤っても尚、その誤りがなぜ生じたのかをきちんと議論できていないことに問題がある。政策判断の指標として採用されているにも関わらず、以上の理由から政策判断の指標としての物価指数を重視した議論がなされないというのであれば、それは不幸な事態というべきではないだろうか。勿論「実感」という名の様々に解釈可能な、かつ指標ですらない観念に基づく議論も同様だろう。