橋本五郎『範は歴史にあり』を読む。

 読売新聞特別編集委員を勤めていらっしゃる著者のコラムを一冊の本にまとめたものである。一つ一つが短いので空き時間に気楽に読めるが、中身は色々と考えさせることが多い。本書のあとがきに御母堂が著者に対して言われた三つのことが書いてある。曰く、第一に、何事にも手を抜くことなく、全力で当たれ、第二には、仕事に慣れてくると生意気になる、傲慢になってはいけない、常に謙虚であれ、第三は、どんな人でも嫌いになることはない。その人に自分より優れているところを見つければ、嫌いにならないものだ、と。文章からはこの三つに対して真摯に向きあってきた著者の心根が感じられる。
 さて、内容は三部構成で、最初が「範は歴史にあり」、次が「現代政治を読む」、最後が「あの人・この人――同時代を生きて」となっている。
 「範は歴史にあり」では福澤諭吉後藤新平及び岩倉使節団について語られたコラムが興味深かった。私のみるところ、「失われた20年」を経過し、新たな10年の最初の年を迎えた我が国では海外の状況を謙虚に学び自らに活かすという進取の機運が失われているようにも感じる。一方で異論もある。例えば大塚久雄氏について書かれたコラムでは経済と倫理との関係について書かれていた。バブルに酔い、そしてすべてを失った人や金融機関に対して倫理感の欠如を指摘するのは容易い。しかしそもそも人間とは、許されれば強欲に走り、富を得ようとする存在ではないのだろうか。こう考えると、我々の経済活動を支える枠組みやそれに影響を及ぼす政策といったものが、人間の持つ生の本性を顕わにして、「倫理観の欠如」として表出したのではないか、という見方も可能となる。
 「現代政治を読む」では、小泉・安倍・福田政権に対する批判と警句がまとめられている。民主党政権となった今にして読むと懐かしい感じがするが、新たな政権になったとは言え政策担当者の性根に変化があったわけではない。現代の政治に不在なのは、「知性」と付随する「言葉」の欠如であり、ビジョンと覚悟のなさだろう。
 「あの人・この人――同時代を生きて」は、橋本氏と同時代を生きた人々について綴られている。中でも高坂正堯李登輝について語ったコラムは印象に残った。政治家には決めたことを断固としてやり遂げる意思が必要である。しかし、その意思は現実世界に関する冷静な観察眼と民意を汲み取る謙虚さが伴ってこそであろう。
 鳩山総理にはこの二つの要素が備わっているのだろうか。私には寧ろ、この二つがかけていることこそが現政権の問題であり、民主党政権を選択した国民自身の問題なのではと思うのである。

範は歴史にあり

範は歴史にあり