安達誠司「恐慌脱出−危機克服は歴史に学べ」を読む。

 本書は現代の金融危機についての概観を行いつつ、過去幾多生じた金融危機の経験から経済危機を克服するには何をすべきなのか、世界経済の回復の道筋、日本の回復過程、そして将来のリスク要因を論じた本である。経済危機の展開の中で乱立する経済危機本、「失われた10年」において唱えていた説を覆す経済評論家の存在を見るにつけ、著者の言う「危機は、経済論壇にも確実に迫っている」という指摘が重く響く。
 リーマンショック以降の金融危機の深刻化の背景にあるものは、カウンターパーティリスクの顕在化にあるという指摘は尤もである。今回の金融危機の原因としてABS、CDOCDSといった証券化商品の多様化や市場の失敗を指摘(これも金融危機を深刻化させた一因ではあろうが)し、更に市場主義や資本主義の崩壊といった議論がなされることがあるが、そもそも高度な証券化の技法により生成された商品は多数の参加者によって競争を通じた価格付けを行うという「市場」を通じた取引ではなく、格付けに基づいて一対一の相対で取引されていた。よって市場主義批判はあたらないという指摘は真っ当なものである。
 著者は、現在の状況について大恐慌の入り口にたった状況だと述べる。この点の評価や考察の詳細はお読みいただきたい。現在(09年5月)においては株式市場の回復からわずかながら楽観的な空気が醸成されているが、これまでの米国の実体経済の成長を支えた消費・住宅投資の回復の目処は立っていない。恐らく実体経済の回復はV字型ではなくL字型でそろそろと進むのだろう。このような中で第二の金融危機が生じたとしたら更なる苦境に世界経済が立たされる可能性は高まる。
 日本経済への影響についても鋭い考察が展開されている。そして、これからの世界経済の枠組みについて「アメリカ型資本主義の没落論」への異議が唱えられている。1930年代の日本においても世界大恐慌を資本主義の矛盾とばかりに攻撃したマルクス主義経済学者・評論家の活動が結局昭和恐慌以降の政治の空白と軍部の台頭を生み出した一つの動力源となり得たという事実、観念論で恐慌は解決しないという事実を現在においてもかみ締める必要があるのではないかと感じた次第である。
 最後に世界経済の今後のリスク要因について考察されているが、リスク要因として大恐慌の際に生じた新興国経済の崩壊が先進国の金融システムを直撃し、第二の金融危機をもたらしたという事実が今回の危機で再現される可能性を指摘している。そして、二つ目のリスク要因は危機からの脱出の過程における「出口政策」の難しさについてである。出口政策を誤ると1937年恐慌の可能性が高まる。かといって、過度な財政出動・金融緩和を続けると長期金利の急騰やインフレリスクが台頭してくる。このリスクを回避するための有効な手立ては現状のところないというのが著者の議論であり、その意味で、世界経済の正念場は経済危機の先にあるといえるのである。
 「円の足枷」、「デフレは終わるのか」、「脱デフレの歴史分析」といった著者の著作には多いに刺激を受け、勉強させていただいたが、今回もその期待を裏切らない内容である。是非手にとって、現在何が生じており、今後何が生じうるのかを考える題材として本書を味読すべきだろう。