1970年代の実質成長率は何故屈折したのか?

 先日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080703/p2)では、便宜上、1970年代をマイナス成長に陥った1974年を境にして二つの時期に区切った上で、「高度経済成長としての1960年代と安定成長期としての1980年代の結節点」として跡付けてみたわけだが、ここで一つの疑問が生じる。
 それは、「なぜ1974年を境にして実質GDP成長率は大きく低下したのか」という疑問である。この点についてはいくつかの通説がある。一つは石油ショックが生じたことが70年代後半の実質成長率の低下をもたらしたというものだろう。仮にこの議論が正しいのだとしたら、現在進行している石油価格の高騰は、中国・インドなどの新興成長国の成長率を有意に低下させることに繋がるのかもしれない。但し、「石油ショックが生じたことが70年代後半の実質成長率の低下をもたらした」という通説は誤りである。

1.原田・吉岡(2004)の議論
 原田・吉岡(2004)*1は一般論及びアカデミックな視点における70年代成長率屈折の理由に関する通説に対する疑問を提示した上で、成長屈折の謎に挑戦している。
彼らはまず、「石油ショックが生じたことが70年代の成長屈折の原因である」という通説に対して、ア)多くの国が70年代に低成長を経験したのは事実だが、日本ほど大きく成長率が低下した国は存在しない、イ)石油価格高騰が成長率屈折の理由ならば、石油価格が低下すれば日本の成長率は上昇しなければならなかったが、そのようなことは生じなかった、としてこの通説を退けている。
 アカデミックな議論としては、70年代の日本経済の成長率低下の原因として、以下のものが挙げられる。

a)技術革新の世界的停滞
b)先進国と日本との技術格差の消滅による技術導入機会の減少
c)先進国における成長指向的経済政策の転換
d)石油価格の急騰による重化学工業の転換
e)労働力不足の深刻化

 原田・吉岡(2004)では、これらの説は説得的でないとする。纏めれば、a)は事実だとしても日本だけ大きく低下したことを説明できていない、b)については、一人当たり購買力平価GDPで評価すれば日米の技術格差は消滅していない、e)については74年に大きく失業率は上昇しているという事実から労働力不足が深刻化したとはいえない、というものである。
 では、どのような要因が70年代の経済成長の屈折をもたらしたのだといえるのだろうか。
原田・吉岡(2004)では、実質GDPが資本と労働の投入と技術進歩により説明されるとする新古典派的成長モデルをイメージしつつ、要素投入の円滑さに影響を与える賃金率や錯乱要因としての金融政策、公的資本、人口移動、技術レベルのキャッチアップの度合い、技術ストックの制約要因としての原油価格を加味したVARモデルにより、どの要因が実質GDP成長率に影響したのかを実証分析している。
 彼らは、全期間(1957年第1四半期〜2002年第4四半期)、前半期(1957年第1四半期〜1975年第4四半期)、後半期(1976年第1四半期〜2002年第4四半期)の三つの期間に分けて計測を行っている。
 前半期における各内生変数のユニットショックに対するインパルス応答の48期累積値は以下のとおりである。これによると、人口移動の1%ポイント変化による実質GDPへの影響は0.07%上昇、資本ストックの場合は、実質GDPを3.26%上昇、賃金の場合実質GDPを0.27%の減少、通貨供給(実質マネーサプライ)は実質GDPを0.93%上昇させるとの結果になる。但し、いずれの変数も5%有意ではない。外生変数として、公的資本、キャッチアップ指数、実質原油価格の実質GDPへの影響を分析しているが、F検定の結果は実質原油価格のみ5%有意であり、かつ実質原油価格の上昇は実質GDPを0.06%拡大させるとの結果になっている。

図1−1:各変数のユニットショックに対するインパルス応答の48期累積値(前半期)

出所:原田・吉岡(2004)

図1−2:外生変数の実質GDPに与える影響

出所:原田・吉岡(2004)

 後半期における計測結果についてみると、人口移動の1%ポイント変化による実質GDPへの影響は−0.007%、資本ストックの影響は0.20%、賃金の影響は-0.05%、通貨供給は0.27%となっている。但しいずれの係数も5%有意でない。又、外生変数(公的資本、キャッチアップ指数、実質原油価格)の変化も分析しているが、いずれもF検定は5%有意でない。

図2−1:各変数のユニットショックに対するインパルス応答の48期累積値(後半期)

出所:原田・吉岡(2004)

図2−2:外生変数の実質GDPに与える影響

出所:原田・吉岡(2004)

 この前半期と後半期の計測結果からどのようなことが言えるのだろうか。原田・吉岡(2004)では、係数の差が統計的に有意でないこと、及び係数の有意性が満たされていないことを留保しつつ、前半期と後半期の実質GDPへの影響として特徴的な相違点は、人口移動が実質GDPを押し上げる効果の変化(前半期:+0.07、後半期:−0.007)、キャッチアップ指数の反応の変化(前半期:+0.09、後半期:+0.03)であるとしている。
 つまり、70年代前半までの実質成長率の高さは、人口移動、キャッチアップ指数に対して敏感に反応するような経済構造があったためということである。又、民間資本及び公的資本の効率性も70年代前半においては(以降の時期と比較して)高い。さらに通貨供給の影響が大きい(前半期:0.93、後半期:0.27)が、これは70年代の過剰流動性の時期と80年代のバブルとその崩壊を含んでいるためである。金融的要因が数十年間の成長率を低めたとはいえないが、一定期間に渡って実質賃金の高止まりを誘発しつつ成長率を引き下げた可能性はある。そして、原油価格の影響は他の要因と比較して小である。
勿論、係数が有意でないことや期間を変えた場合の係数の推計結果に統計的に有意な差が見られない点を考慮に入れれば、原田・吉岡(2004)でも指摘されているとおり、上で議論されている70年代成長率の屈折の理由は積極的に実証されているわけではない。しかし、通説としての「石油ショックが生じたことが成長率の屈折をもたらした」という事実は実証結果から否定されている。さらにアカデミックな分析の結果としての理由も実証結果からは否定されるのである。

2.1970年代の成長率屈折の原因をどう見るか?
 以上、原田・吉岡(2004)の実証結果を紹介しつつ、70年代の半ばになぜ実質成長率の屈折が生じたのかについて纏めてみた。原田・吉岡(2004)の結論は、成長率屈折の原因は、「人口移動及び技術のキャッチアップに対して柔軟な経済構造を失ったこと」というものである。但し、指摘されているように、これは実証結果の係数(累積値)のみからの判断であり、統計的有意性が担保されているわけではない。
 飯田(2003)*2では、農村から都市への人口移動の停滞が70年代の成長屈折をもたらしたとしている。又、八田(2001)*3、増田(2002)*4では、農村から都市、衰退地域から繁栄地域への人口移動を制約するような政策が採用されたことが成長屈折の原因であるとしている。原田・吉岡(2004)やこれらの研究から判断すると人口移動が成長屈折に影響を与えている可能性は高い。
 この論文を読んで私が感じたのは、70年代前半期までとそれ以降で、係数は有意でないとしても実質マネーサプライの実質GDPに与える影響が大きいこと、そして公共投資の影響の大幅な低下をどのように考えるかということである。74年のマイナス成長は、それまでの急激なマネーサプライの増加に伴うインフレと、インフレを抑制するために行われた財政・金融両面での抑制政策が原因である。確かにVARモデルの分析枠組みでは長期的影響を判断することは困難だが、急激な引締めが実体経済の低迷をもたらし、それが70年代後半以降一定期間定着することで潜在成長率そのものを低迷させた(成長率の屈折)という見方もありえるのかもしれない。つまり先日のエントリでは、1970年代前半と後半では、消費と投資の寄与率及び寄与度が大きく低迷していることを指摘したが、74年の不況期における失業率の上昇の定着と賃金の低迷は家計所得を低下させ、消費の伸びを低下させることに寄与した。又、企業利益の低迷は投資の伸びを低下させた。このような金融政策の失敗によって生じた家計及び企業行動の変化が消費や投資といったGDPを構成する主要素の伸びの低下をもたらし、それが一定期間持続することで長期的な潜在GDP成長率そのものにも影響を与え、成長の制約要因として機能したのかもしれない。
 公共投資の影響低下は、為替レートの自由化に伴う財政政策の効力低下という要因も影響しているのかもしれない。高度成長期ほど社会資本が積極的に必要でなかったことが公共投資の影響低下をもたらしたのかもしれない。
90年代以降の「失われた十数年」は文字通り長期停滞に繋がった。74年以降の成長率の屈折は90年代ほどの成長率の低下をもたらさなかったが、それまでの高度成長とは有意に異なる成長率の低下がマイナス成長を境として突如生じた。幾つかの仮説らしきものは頭に浮かぶものの、それぞれを検証し結論を出すのは未だ道遠し?といったところだろうか。

*1:http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis120/e_dis119.html

*2:『経済学思考の技術』、ダイアモンド社

*3:構造改革と都市再生」『エコノミックス』第6号

*4:「都市再生こそ日本経済活性化の王道」『エコノミックス』第7号