安倍政権の経済政策を考える

 昨日大方の予想通り安倍晋三氏が自由民主党総裁に就任することになった。安倍氏の経済政策に関しては、経済財政諮問会議の陣容がどうなるのか、内閣府財務省経済産業省といった経済関連官庁の大臣には誰が就任するのか、といった生臭い話もあるのだが、まずもって経済政策に関する基本的な思想・考え方について探ってみることが必要だろう。以下『安倍晋三の経済政策を語る』(藤田勉著)の対談部分から印象的な箇所について纏めつつ、安倍氏の経済政策について考えてみることにしたい。

1.「開かれた保守主義」の下での経済政策
 安倍氏の経済政策を支える思想は、「開かれた保守主義」である。この思想は小さな政府(保守主義)を推し進めていきながら規制緩和(国際社会に開かれた市場)、さらに地方分権を進めるという主張に重なっていく。小さな政府を推し進めていく場合、一つの可能性として米国型のモデルもありえるだろうが、安倍氏社会保障をすべて民間にゆだねるといった極端な形の小さな政府を志向するというわけではないようだ。無論、米国社会では公的部門のサービスがわが国や欧州と比較して少ない割合を占めているのは事実だが、米国の場合には民間のボランティア・NPOといった組織が公的サービスを肩代わりしており、寄付に対する制度的な整備も整っているという実態もある。提案されている政策を見ていくと、少なくとも当面は小泉政権の路線を継承していくということだろうが、「市場と公的部門(政府)」の役割分担は古くて新しい問題であり、財政支出削減といった観点に偏らず小泉政権の路線からの方向転換も含めて十分に議論して欲しいところである。

2.格差をどう考えるか
 安倍氏は格差について「格差はどんな体制をつくろうとも出てきます。頑張った人、努力した人とそうでない人が同じ結果を得るのでは、結果として社会から活力が失われてしまいます」、「格差の固定化は努力したら報われるという社会を阻害するために望ましくない」というが、上記の議論は真っ当な考え方だろう。
 問題は90年代以降になぜ格差が拡大したと言われ、勝ち組・負け組といった社会の特定層と自分をなぞらえるような話が流布したのかという点だ。小泉政権下では景気は回復に転じたが、それは企業の自己努力(効率化)が競争力を高めた一方で、外需の伸びという僥倖が重なったことが大きな理由だろう。確かに橋本政権以来の経済法制度の改正といった政策が企業の競争力を高めたという背景はあるのかもしれない。ただ強調したいのは、失われた10年、そして小泉政権の下で「効率を高める」という企業の経済行動としては真っ当な選択の裏でリストラ・失業、働き方の変更、就職難という形で「負け組」に転落せざるをえない人が居たという事実だ。経済法の見直し、産業の効率性を高めるといった産業政策により産業の経済的効率性の向上を支援するのは政府の役割の一つだが、どんなに成長力のある国でも効率的な産業もあれば非効率的な産業もあるというのは事実である。格差論議の高まりは、国全体としてのマクロレベルでの経済成長の底上げが無い状態、そして適切なマクロ経済政策が不在といった状況の下で産業の効率化が推し進められたことが一因ではないだろうか。格差を縮小させるという観点からは、一国全体で得た果実をいかに再配分するかという視点の検討も必要だろう。奇しくも安倍氏は格差の固定化を解消する方策として、経済成長路線を重視した下村治を評価しているが、過去の経済政策の歴史を踏まえつつ政策を行っていくことが求められる。

3.成長戦略
 安倍氏は実質GDP成長率3%を目標とした経済成長戦略を披露している。格差を解消する方策としての経済成長の必要性を述べているが、果たして安倍氏が唱える経済成長戦略で経済成長を遂げることが可能なのだろうか。
 個人的には、経済成長戦略はこのままでは「絵に描いた餅」になるのではとの懸念がぬぐえない。その理由は、経済成長戦略は経済の潜在成長率(供給力)を高める施策のみがクローズアップされていると感じるためだ。IT・バイオ・ライフサイエンスといった産業のイノベーション強化しかり、研究開発投資の拡大しかり、である。確かに投資の拡大はGDPの増加要因ではあるが、問題は投資を基点にした需要増加をいかに実のある経済成長に結びつけていくかである。供給力を高めても需要が伸びなくては物価は下がり、経済成長は達成されない。そこに待っているのは、デフレの進行と階層の固定化だろう。成長戦略は長期的視野に立ってなされるべきものだが、需要面でのマクロ経済政策についての安倍氏の考えは『安倍晋三の経済政策を語る』の中からは見えてこない。人口減少社会の中にあって、生産性を高めること、一人当たりGDPが重要だとの議論があるが、生産性を高めたとしても需要がついてこなくては、対価は(生産性の向上ほど)得られないという事実を直視すべきではないだろうか。
 安倍氏の経済政策に対する発言を読むと、「会社の社長」の視点で経済を語っているのではないかと感じる。「会社の社長」であれば、社内環境の整備や評価基準の明確化を進めつつ雇用者のインセンティブを発揮させるような方策を取ればよいのだろう。競争の中で会社に居られないと判断した人間は一旦解雇した上で再度就職試験を受けてもらえば(=再チャレンジ)良いのだろう。そして生産性が高い人材が居るのであれば別に日本人でなくても良いのだろう。
 勿論、安倍氏にとって必要なのは「会社の社長」の視点ではなく「政府の長」としての視点である。政府ならば、金融政策で物価水準を安定的なものに保つことができるだろうし、需要が不足するのであれば需要をつけるような政策を行うことも可能なのだ。規律を保つことも必要だが、生産性の低い分野に従事する人々、競争の遡上に乗ることができない人々をどのように後押しするかは政府にしかできない仕事の筈である。安倍氏には是非そちらの仕事をお願いしたい次第である。

追記:安倍氏のお名前を修正しました(安部→安倍)。失礼しました。