東京河上会 公開シンポジウム 現代版「貧乏物語」を聴く

 河上肇「貧乏物語」をモチーフにして開催されたシンポジウムに参加した。以下、少し備忘録的に印象深い論点を中心に纏めてみたいと思う。誤り等あればお知らせ下さい。

1.河上肇「貧乏物語」について(田中先生)
 河上肇は現在もその思想が生き残っている経済学者だが、1917年に刊行された「貧乏物語」も例外ではない。同書を読むと、当時の日本の政治経済の状況についてのコメントが殆どなく、資本が豊富で日本よりも豊かな欧米においても深刻な貧困があるのは何故か?というのが問題意識だと感じられる。これは河上が1913年〜15年にかけて訪欧した経験が背景にあるのではないか。河上の理想は農業を中心とした経済立国を目指すというものであったが、セーフティーネットやインフレの指摘は現在の経済格差や貧困問題に通じる。当時の河上の論敵は福田徳三であったが、不況における構造政策重視(福田)とマクロ政策重視(河上)という対立軸が既にあった点も興味深い。

2.現代の貧困と「貧乏物語」(岩田先生)
 河上「貧乏物語」を読むと、英国が一つのモデルであることがわかる。つまり、同書の問題意識は富国における貧乏の存在についてである。同書の貧乏の定義を現代的に跡付けてみると、第一の貧乏(経済的な格差:富貧懸隔)、第二・第三の貧乏(生活保護層の存在・最低生活費以下の人間の存在)となる。
 我が国では、儲けた人は幸福なのか?という議論がしばしばなされ、清貧の風土がある。だからといって「貧乏が幸福である」ということにはならず、貧乏に倹約を要求するのは能力開発の視点からいっても好ましくない。この点が同書ではきちんと指摘されている点に好感を持った。
 現代の貧困研究では、貧困線(どこからが「貧困」と定義しうるのか)を定義した上で、現代貧困と定義できる人々が将来にわたって貧困で居続けるのかという研究(貧困ダイナミクス)や、80年代後半に生じた「社会的排除」(down and out)と貧困の問題についての研究が行われている。
 家計経済研究所のパネル調査から過去9年間の貧困経験の類型化を行うと、持続貧困、固定・慢性貧困に陥っている人は全体の1.0%、6.8%である。一時的に貧困に陥ったが、貧困でない層に復帰している層は27.2%である。安定的に貧困でない層が65.0%となっている。貧困経験と結びつきやすい項目をみると、未婚や離死別の経験があるもの、中学卒、子供3人以上といった項目が挙げられる。ホームレスの調査を行うと、平均年齢は50代後半、義務教育まで、未婚といった層の割合が高いことがわかる。
 最近の大きな問題は非正規労働者と、家族形成の弱さ(単身者割合の増加)だろう。

3.現代日本の階級構造と貧困(橋本先生)
 格差や貧困といった問題についてマルクス主義を前面に出す人が殆どいない。それは、何でも階級の差の問題に還元してしまうこと(階級一元論)が影響しているのではないか。
 現代日本の貧困問題については、女性内格差の拡大や若年層の貧困化が貧困層の拡大に寄与していることがわかる。
 「機会の平等」と「結果の平等」をどう扱うべきか。現代は「機会の平等」を重視する風潮だが、「結果の平等」にも意義がある。大河内一男氏は「道議論的教説」を説くべきと主張されていたが、現代こそ「道議論的教説」が重要だ。例えば正規・非正規の労働格差に対しては均等待遇策といった方策もあるだろう。最悪の搾取者は資本家階級であり、最大の搾取者は新中間階層と労働者上層である。

4.格差と現代の貧困をどう考えるのか(原田氏)
 河上「貧乏物語」を一読して、当時の日本の状況について書いていない点は疑問に思った。
 格差が広がったかどうかという事実自体にはイデオロギーはない。それをどう考えるのか、事実をどう認識するか、貧困をいかに最小のコストで負担するかはイデオロギーの問題である。
 日本のように豊かな国において、国民が健康で文化的にも豊かな生活をおくる必要があると考えれば貧困に取り組む必要がある。格差にせよ貧困にせよ、対策をどうするか議論する前に、要因の分析がまず必要だ。そして合理的に解決すべきだろう。
 日本の社会保障はある程度保険料を払っている人にしか給付されない仕組みである。そもそも社会保障がなぜ生じたのかを考えると、それは共産主義社会に対抗するための措置として考え出されたもの*1である。現代の社会保障制度は最低賃金制、生活保護とのバランスを欠いており、見直す必要があるだろう。

5.議論
 いくつかの論点について活発な議論がなされたが、以下、大きく4つの論点に絞って纏めてみたい。

(1)「道議論的教説」を巡って−正規・非正規の格差をどう見るか?
 「道議論的教説」の具体例についての質問から、話は正規・非正規の待遇格差の問題に。橋本氏によれば、「道議論的教説」の具体策は均等待遇策であり、均等待遇を受け入れて社会的な合意形成をはかるべきとの指摘があった。この議論の背景には、企業が不況下における非正規雇用者の安価な賃金を前提として現在も行動しているという認識(労働環境変化と景気の関係が非可逆的であるとの認識)があると考えられる。
一方、原田氏からは、そもそも正規・非正規の区別が生じていることには一定の経済的意味があったことや、景気が回復していけば労働需要が増加し、非正規雇用者の割合は減っていくのではという指摘や、若年層の失業率が全体の失業率と(水準は異なるにせよ)同様の変化を示している点が指摘され、景気拡大策により正規・非正規の格差は緩和される可能性が高いことが論じられた。
これらを纏めると、橋本氏は均等待遇策をはじめとする構造改革を重視するのに対して、原田氏はマクロ政策を重視するという対立軸だが、失われた十数年の下で雇用機会が得られなかった若年層の非正規雇用者、フリーターが残存することについての問題意識は共通のものだった。関連して原田氏からは、日本の会社は新卒のまっさらな人間を好む傾向があることや、安部政権における再チャレンジ策からは残存した若年層雇用者を救う手だてが見えないこと、も併せて指摘された。


(2)岩田氏「社会的排除」の図式から
 
「貧困」の中で生じる「社会的排除」について岩田氏から指摘があった。貧困には経済的貧困とコアとしての貧困があり、コアとしての貧困(河上「貧乏物語」の第二・三の貧乏)には社会的排除が伴う。ホームレスに対しての認識からも明らかとなるが、彼らに対してまともに働いている人が偉いという形で社会的に排除を行ってしまう。現在の貧困にはホームレスとそうでない人との間に存在する中間層の存在*2も重要だろうというのが論旨。社会的排除に関連して、「多様な社会」という思想に対して厳しいのが現在の世の中であるという指摘もあった。
さらに「ニート」、「非正規」といっても区別する点が多々あり、大学卒ニートは今後解消されていくことが見込まれるが、中卒・高卒ニートをどうするかや、さらに家族形態や経済システムの変化が社会保障や教育システムと対応できていないのが問題であるとの指摘も併せてなされた。

(3)「貧困」をどう捉えるか
 経済的に豊かになれば従来「貧困」と看做されていた層が貧困から脱することが出来るが、ではなぜ豊かな社会に「貧困」が存在するのだろうか。その点については社会において「どの層の人を貧困と捉えるか」という倫理(価値判断)が絡んでいることを押さえる必要があるとの指摘があった。格差は統計的に検証できるが、貧困とは何かは貧困線を決めるという価値判断の論争をまずクリアする必要があるという指摘は興味深かった。

(4)社会保障をどうするか
 原田氏からは、社会保障の考え方が「自らの力で立ち行かなくなった人を救う」というものであり、現在の日本の社会保障とは合致していない、さらに税方式での給付を旨とした社会保障制度の移行を進めていくべきだとの指摘があった。岩田氏も税方式には賛成であり、単身世帯が増大しており、持家を有する世帯が減少している現状にマッチした制度に現状の社会保障制度はなっていないとの指摘があった。
 両者の視点は税方式という意味では共通だが、原田氏は給付額を現行よりも抑えるという意味での税方式の導入であり、岩田氏は給付レベルを温存(もしくは増加?)させつつ現行の生活者の状況に合わせていくという意味合いがあると推察される。

6.感想
 「貧困」や「格差」といった問題を考えていく場合、様々な側面が影響しているのは明白である。本シンポジウムはそのような様々な側面を垣間見ることができて有益だった。河上「貧乏物語」の視座は豊かな国となった現代の我が国においてこそ真剣に取り組むべき問題である。大内兵衛が「貧乏物語」への書評で述べた「貧乏の問題点の的確な指摘であり、解決策についての書物ではない」という指摘ではないが、河上により「正しく指摘された問題」を「正しく解く」ことが今後我々に求められる課題だろう*3

*1:ビスマルクによる

*2:夜中漫画喫茶などに泊まる人々のこと?

*3:住谷先生のご指摘を拝借させていただきました。住谷先生が河上の棺を抱えた一人であることを知って驚きましたね