財政赤字拡大の原因をどう考えるか

 昨日のエントリでは財政健全化に関して与謝野官房長官の「名目成長率上げればいいという悪魔的政策は国民に迷惑」という発言を元に、基本的な経済指標を元に我が国の財政赤字拡大の原因が名目成長率の低下にあるのではないかと論じた。以下、補足的に我が国が財政赤字に陥った原因について論じてみることにしたい。

1.我が国の財政状況
財政赤字になる」とは公共投資や政府消費といった公的部門の支出が税収を上回る状態を指している。税収を超えるだけの支出を行う際には、国債を発行するといった手段により、政府はお金を借りて支出を賄うわけである。よって赤字幅が拡大するのは、i)歳出が増加すること、ii)税収(歳入)が減少すること、が原因であるのは自明だろう。
 まず、我が国の財政状況を確認してみることにしよう。これは財務省HP*1から簡単に確認することができる。2007年度の一般会計歳出歳入(予算)の内訳は以下の図表のとおりである。我が国は歳出として国債の元利払いに当てられる費用(国債費)、社会保障関係費、地方交付税交付金、様々な公的支出(公共事業、文教及び科学振興等々)を行っている。これらを合計した歳出額は83兆円であり、国債費・社会保障地方交付税交付金を合わせた金額は全体の68%程度を占めている。

我が国の歳出構造(2007年(予算))

(資料)財務省HP(以下同様)

 歳入(収入)は、租税及び印紙収入と公債金収入(国債を発行することにより賄われる収入)に分かれ、租税及び印紙収入は所得税法人税、消費税、その他の税収に分けられる。このうち公債金収入は国債を発行することによって得た収入であるため、期間が経った段階で返済する必要のある借金である。これが歳入額83兆円の30%を占めるというのが我が国の姿である。

我が国の歳入構造(2007年(予算))

 次に我が国の財政状況を時系列で概観してみることにしよう。以下の図は、財務省HP*2から、我が国の歳出総額と一般会計税収、公債発行額の推移をみたものである。これをみると、一般会計税収が歳出額を下回る状態(財政赤字)は80年代前半から継続していたが、90年までは歳出総額と一般会計税収は一定の伸び率で増加しており、財政赤字は一定の枠内にとどめられていたこと、さらに財政赤字は減少傾向にあったことがみてとれる。これは税収によって賄えない支出を補うために発行される公債発行額が減少していることからも明らかであり、さらに歳出に占める税収の割合が90年には86.8%であった点からも確認できる。

我が国の財政状況

2.財政赤字の拡大と経済成長
 先述のとおり税収は家計・企業の所得及び支出に対する税金から得た収入(所得税法人税、消費税*3)が主な要素である。税収が堅調に増加した80年代から90年までの期間は概ね経済状況は良好だったのは昨日論じたとおりである。
 確かに税率を上げることで税収が増加したのではという考えもあるだろう。但しこの間の所得税*4及び法人実効税率*5は減少している。つまり、税収が伸びたのは経済成長率が高まり、それが所得水準を向上させたことが主要因である。
 では90年代以降財政赤字が拡大したのはなぜだろうか?上記の図表からは、i)財政支出が大きく増加したこと、ii)税収が財政支出ほど伸びなかったことが財政赤字をもたらしたことがわかる。では財政支出が大きく増加したのはなぜだろうか?それは、90年以降の「失われた十数年」における不況期に政府が度重なる総合経済対策を行ったことにより政府支出を増やしたためだ。さらに税収が伸びなかったのは、総合経済対策の一貫としての減税策を実施したこと、そして80年代〜90年と比較して名目成長率、つまり国民所得の伸びが停滞したことが原因だろう。
 さらに、i)とii)に共通する要因は何だろうか?それは、90年以降の「失われた十数年」における経済停滞、つまり「大きく名目成長率が低下したこと」である。2002年以降には歳出に占める税収の割合が増加に転じ、税収は緩やかながら増加している。一方で歳出もそれまでの増加傾向から脱して緩やかながら減少傾向にある。この段階では不十分ながら名目成長率は減少から増加傾向に転じている。近年の財政の回復は以上の事実を如実に語っているのではないだろうか。
 勿論歳出削減といった財政改革は必要だろう。その過程で税のあり方等の問題を議論することも合わせて必要である。この点は昨日も書いたとおりである。但し、今般の財政赤字の累増という事態は十数年にわたる経済低迷が生み出したものというのは紛れもない事実である。別に15%のインフレを引き起こして名目成長率を上げ財政赤字を削減したいなど誰も思っていない。G7主要国平均値(4%)を目指すために名目成長率を上げるという策ですら悪魔的政策なのだろうか。政府として名目成長率を上昇させるための具体的政策手段を踏まえずして、「幅広い視点、高い次元にたって」負担を強いることが政府として為すべき政策なのだろうか?私はそうとはとても思えないし、それは失われた十数年に行った政策の結果生じた現状を無視した暴論ではないだろうか。