日本の金融政策とマクロ経済に関する歴史的視点から見えるもの(その2)

1.数値から伺える99年以降の日本の金融政策
 (その1)では、公定歩合政策金利として用いられていた90年代前半の動向について、岡崎(1999)における三つのポイントを簡単に検証してみた。結果、90年代前半期においても国内企業物価指数(卸売物価指数)の推移を政策判断の最優先とし、マネーサプライの伸びを重視しなかったことが必要以上の金融引き締めを生み出したという結論は成立すると考えられる。又、国内企業物価指数の伸びを日銀が最優先の指標としていた場合においても、物価指数の伸びがマイナスになった際の政策金利の操作は不十分だったことがわかった。
 
以下で取り上げたいのは、99年2月から00年8月までのゼロ金利政策の導入とその解除、そして01年3月から06年3月までの量的緩和政策の導入とその解除、06年4月から06年6月までのゼロ金利政策、06年7月以降のゼロ金利政策の解除の動向が岡崎(1999)の結論と整合的なのかどうかという点である。図表は、97年1月から直近(07年9月)までの政策金利、物価指数、マネーサプライの変化を示している。


 
まず、99年2月のゼロ金利政策の導入から00年9月解除に至る経緯についてみると、国内企業物価指数の伸びはゼロ金利政策の導入時を底としてマイナス2%程度から徐々に回復し、ゼロ金利政策解除の段階ではわずかながらプラスの伸びになったことがわかる。国内企業物価指数の伸びを見ながら、日銀が政策決定を行っているとの岡崎(1999)の結論はここでも当てはまっている。但し、90年代前半期と同じ過ちを日銀はこの段階でも犯している。それはマネーサプライの伸びがゼロ金利政策の導入時の4%から解除時では2%弱と減少傾向にある点が見逃されているためだ。さらに言えば、消費者物価指数の伸びもマイルドなマイナスに落ち込んでいるのも見逃されていた。ゼロ金利解除時の日銀の判断は、ゼロ金利導入時の国内企業物価指数の伸びがマイナスから着実にプラスに転換し、解除後もプラス基調は変わらないというフォワードルッキングな見通しに即して解除を決定したのだろう。周知の通り、ゼロ金利解除は誤りであった。結果、01年3月に日銀は量的緩和策に踏みきることになる。
 
量的緩和策の実施から解除に至る間の物価指数及びマネーサプライの動きも興味深い。国内企業物価指数の動きをみると、04年1月に物価指数の伸びはマイナスからゼロに転じ、以降解除に至る段階まで伸び率は上昇トレンドを描きつつ推移している。ゼロ金利政策の解除段階(00年9月)における国内企業物価指数の伸びと比較するとその動きは着実なものであり、量的緩和策の解除を判断するに十分な材料と日銀が考えたのは容易に想像できる。又、この際の消費者物価指数の動きも00年代前半の1%程度のマイナスからゼロ近傍で推移しており、この点もゼロ金利解除段階とは異なる動きであるとともに日銀に量的緩和策の解除を判断させた材料の一つになったのだろう。
 
最後に06年7月以降の利上げ局面における動向についてみよう。興味深いのは06年7月以降の利上げ局面でこれまで国内企業物価指数の伸びが上昇トレンドから下降トレンドに移っていると大まかには見てとれる点である。さらに細かく見ていくと国内企業物価指数の伸びが減少していく局面では政策金利は一定で維持され、わずかに上昇局面が見えた段階で利上げを行っている点である。0.25%から0.50%へ無担保コールレートを引き上げた07年3月がまさにそうである。一方で消費者物価指数の動きがマイナスの伸びに転じたのは07年2月である。国内企業物価指数の伸びが低下し、消費者物価指数の伸びがマイナスを続ける中で利上げを行っている日銀の政策判断は、データを見る限り06年6月以前の状況とは異なっている。

2.まとめ
 以上、99年2月から00年8月までのゼロ金利政策の導入とその解除、そして01年3月から06年3月までの量的緩和政策の導入とその解除、06年7月以降のゼロ金利政策の解除における政策金利と物価指数、マネーサプライの関係を見た。これらのデータからは、いずれの期間でも国内企業物価指数の伸びが上昇するという局面において日銀はゼロ金利解除、量的緩和政策の解除、ゼロ金利政策の解除・利上げを行っていることがわかる。 
 
 この結論は岡崎(1999)と整合的であるが、この仮説が事実だとすれば、日銀が掲げている「政策判断の基準として消費者物価指数を参照する」という事実とは齟齬が生じる。日銀は実は国内企業物価指数の動きに着目しており、消費者物価指数の動きを実際のところ参照していないという事実は、消費者物価指数(コア)の対前年同月比がマイナスの状態が続く現状にあっても利上げへの執念をのぞかせる福井総裁の言動とも整合的である。日銀は国内企業物価指数から金融政策を判断し、市場は消費者物価指数を横にらみにしながら日銀が論じる幾つかの政策的な柱も併せて考えて政策動向を判断するという状態は、政策判断の材料として提示された統計がきちんと採用されていないという意味で不幸な事態である。そして、適切なコミュニケーションが金融政策において重要であるという観点から重大な問題を孕んでいるといえるだろう。
 
 もう少しこの点について論じれば、消費者物価指数と国内企業物価指数の伸びは一致していないのが常であるという意味で、以上の二つの指数の齟齬は市場に誤った判断をアナウンスする可能性が高い。図表で示した期間の消費者物価指数・国内企業物価指数の伸びを見ると、概ね消費者物価指数の伸びは緩やかであり、国内企業物価指数の伸びが大きな状況である。そして00年8月のゼロ金利解除、06年3月の量的緩和解除においては国内企業物価指数の伸びは上昇トレンドであったが、消費者物価指数の伸びは横ばいもしくはマイナスである。

 そして、国内企業物価指数に基づく判断は事後的に見れば誤りだったことも明白である。図表からはゼロ金利解除、量的緩和解除後の国内企業物価指数の伸びが下降トレンドに転じており、消費者物価指数も同様に下降トレンドもしくは横ばいであることからすれば、日銀の政策判断は時期尚早だったということになる。

 では、どのように政策判断を行えばよかったのだろうか。取り上げたデータから言えるのは、日銀が公言するように消費者物価指数の伸びが安定的にプラスになるまで引き締めを控えること、そして緩和局面ではマネーサプライの伸びが十分な量になるよう配慮を行うことだろう。ゼロ金利導入及び量的緩和時に十分なマネーサプライの伸びが担保されては居なかったことが物価の安定的な伸びを不能にしているのではないか。
 
 最後に、直近の国内企業物価指数の伸びがマイナスのトレンドに転じているにも関わらず、利上げ観測が流れるというのが昨今の動きであるが、この点についてコメントしたい。このような状況の底流には、周知の通り03年以降の国内景気の回復局面が持続していること(これは国内企業物価指数の伸びの回復とも整合的である)、世界的な好況に伴い流動性が高まっていることが背景にあるのだろう。日銀が過去従ってきた政策ルール(国内企業物価指数の動きで利上げ・利下げを判断する)をあくまで通すとしても利下げを行ってしかるべきであり、この意味で現状の政策判断は論理矛盾である。
 
 こう書くと、昨今の原油価格上昇を企業側が価格に転嫁することで将来的に国内企業物価指数も上昇するのではとの反応が予想されるが、そもそも国内企業物価指数の動向を見て金融政策の判断を行うという議論は誤りであることは90年代以降のデータを見ても明らかだ。そして、国内企業物価指数の伸びはグラフに記載していない10月時点のデータをみても対前年同月比で2%台の伸びに留まっており上昇トレンドに転じたとみる材料はない。勿論、日銀は自らが公表している「消費者物価指数の動きを参照値とする」という議論を遵守すべきであるし、消費者物価指数が継続してマイナスであることやマネーサプライの伸びが上昇トレンドを描いているとは言っても対前年同月比で見て直近の伸びが2%を割り込むという現状からすれば利上げといった判断はナンセンスであるのは明らかだ。「第二の柱」に基づく資産市場の歪み重視による利上げというのが日銀の政策判断であるという議論があるが、まず資産市場云々ではなく実態経済に目を向けるのが先ではないだろうか。
 
 グラフからは現状の利上げ局面が00年8月のゼロ金利解除下の政策金利・物価・マネーサプライの動き、そして海外景況の悪化という状況と重なる。具体的にはゼロ金利解除時の政策金利は上昇し、物価の伸びは下落し、マネーサプライの伸びはわずかに上昇しているといった点である。そしてゼロ金利解除の際にもITバブル崩壊という世界的な経済危機が外需の低迷という形で日本経済を襲ったわけだ。勿論、今回生じているサブプライムローン問題にまつわる世界経済の減速傾向と同義として議論することは無理があるのかもしれない。だが一方で仮にサブプライムローン問題が現状よりもさらに深刻化し実態経済に深刻な影響が出るといった状況に突入してからでは遅いのではないか。サブプライムローン問題が発覚した後、震源地である米国は利下げを行い、それまでインフレ懸念から利上げが予想されていた欧州中銀、英国中銀は金利を据え置いている。我が国は金利を据え置いているが、この間生じたのは円高と株安の進展である。この事実は我が国が他国と比較して政策金利は維持しているものの相対的に引き締め状態になっていることを示唆しないだろうか。フォワードルッキングな予防的な金融政策を標榜するのであれば、ゼロ金利解除の経験を踏まえつつ、現状むしろ緩和的な措置をとることが必要ではないだろうか。

(※)少し追記しました。ご容赦ください。