『楽な政策』と『苦い政策』(竹中平蔵「福田総理の増税発言」、若田部昌澄「消費者の懐を暖める方法」(Voice8月号)から)

 今月号のオピニオン誌も大体出揃ったところだが、経済に関して興味深い話題としては、税制に関する竹中平蔵「福田総理の増税発言」(Voice)、原材料価格高騰についての若田部昌澄「消費者の懐を暖める方法」、現下の経済政策を考える中川昭一「日本経済復活のための13の政策」(中央公論)、社会保障制度を考える「特集 社会保障論議ここがおかしい」(論座)及び「高齢者は本当に弱者なのか」(中央公論)といったところだろうか。中央公論及び論座の特集については追々別途エントリを立てる予定だが、まず竹中論説、若田部論説の内容を取り上げつつ、現政権に何を期待するのかにつき論じることにしたい。

1.竹中平蔵「福田総理の増税発言」から
 竹中論説は福田総理の消費税の引き上げ発言に関しての議論である。我が国の深刻な財政状況、そして少子高齢化に伴う社会保障費の増大を鑑みれば、長期的に何らかの形で増税策を行うことは不可避の状況だろう。但し、増税策は長期的な視点で見た場合に国民の痛みが出来るだけ少ない形になることを念頭に行うべきだ。竹中論説でも指摘されているが、増税の必要性を論議する前に政府がなすべきことは三つある。一つは、骨太方針でも提示されていた、経済成長を進め、歳出を削減するという二つの手段で基礎的財政収支の黒字化を図るという目標がなぜ危うくなっているのかの理由を明確化することである。二つ目は、2011年に基礎的財政収支の黒字化を達成した後の政策目標が何かということだ。最後に三つ目は、どの程度の財政負担を国民に求めるのか、そのための選択肢を明確にすることである。
 これらは一々尤もなポイントだが、一つ目の基礎的財政収支の黒字化については、それを達成する前提条件(経済成長、歳出削減)が不十分だからこそ目標達成が危ぶまれているわけである。財政収支の黒字化を進めるには、3%〜4%程度の名目成長率が不可欠だが、2007年度の名目GDP成長率は0.6%、2007年の名目GDP成長率は1.3%であり、GDPデフレータの変化は輸入価格が騰勢を強めることでデフレの状態が深刻化しているというのが現状である。この間政府・日銀がデフレ脱却に向けて何か具体的な策を行ったのかと問われれば、不勉強ながら何も浮かばないのが実態である。
二つ目と三つ目の点は、増税を国民に納得させるためには当然必要なことである。公的部門は国民から税という形でカネを徴収し、そのお金で各種サービスを行う主体である。当たり前の事のように思うのだが、サービスを提供する際に、それがそもそもどんなサービスであって、いつどの程度お金が必要なのかが明確でない限り国民はサービスに対してカネを支払おうとは思わないだろう。国民の多くが懐具合に余裕があれば別だろうが、賃金は伸び悩み、生活に必要な財の価格が上昇している状況であれば尚更である。
 個人の美しい理想のために「いつどの段階でいくらお金が必要かという見積りは殆どありませんが、兎に角追加費用が必要なのです」と言い、一方で「追加費用を払わなければ現在のサービスすらも提供できません」と言うのは、俗な言い方で恐縮だが、「振り込め詐欺」と同じではないだろうか。振り込め詐欺は個人の判断能力さえあれば回避可能だが、「増税詐欺」は一旦決まってしまえば、回避不能であることを重々認識すべきである。だからこそ国民が納得のいくように緻密な見積りを数パターン提示した上で判断を仰ぐというプロセスが必要なのだ。

2.若田部昌澄「消費者の懐を暖める方法」から
 先に述べたとおり、所得が伸び悩む中、生活に必要な財の価格が上昇しているのが昨今の状況である。若田部論説は「消費者の懐を温める方法」として、食料品や石油といった原材料価格の高騰と物価との関係、そして現状に対してどう対処すべきかをコンパクトに纏めている。昨今の原材料価格の高騰と物価との関係については既に幾つかエントリしている所*1だが、物価と価格との関係については若田部論説で引用されている以下のフリードマンの言葉を肝に銘じるべきだろう。

 相対価格の変化と絶対価格の変化とを区別することが必要である。石油や食料品の価格が上がれば、それに対する支出額は増えるから、企業や人々はその他のモノに対する支出を減らすだろう。これは、石油や食料品以外のモノの価格を引き下げたり、その上昇率を抑えたりする圧力になるはずである。だから、平均的な価格である物価が相対価格の変化によって影響をうける理由はない。

 物価とは「人々が平均的な財の組み合わせを消費するために必要な支出額」を指している。例えば、消費者物価指数の変化率という時には、基準時点における支出シェアを固定した上で、財の価格変化が基準時点と比較時点とで支出額にどう影響するのかを見ているわけである。
 支出を行うためには元手(所得)が必要なのは明らかだろう。なぜ原材料価格が上昇して困るのかといえば、原材料価格が上がったからといって代わりに他の財を消費すればよいという訳にはいかずにその価格上昇を受け入れざるを得ないためであり、負担感が増しているのは支出をするための所得が原材料価格の上昇ほど増えていないためだ。
そして、原材料価格が上がったからといって他の財の価格を即座に変化させることも難しい。原材料価格の上昇により、消費者物価指数や国内企業物価指数が上昇しているのは原材料価格の上昇に対して他の財の価格を即座に変化させること(=相対価格の調整)が難しいためである。他財の価格が変わらず原材料価格のみが上昇すれば、現時点の支出額(物価)は原材料価格の上昇分に原材料価格の支出シェアを乗じた分だけ基準時点と比較して上昇する。現在進んでいる「原材料価格上昇による物価上昇」の意味は以上の通りである。
 では相対価格の調整が完了した場合、何が生じるのだろうか。これは上で引用した文章の通り、物価は原材料価格が上昇する前の水準に落ち着いていく、これである。特に所得が殆ど変わらないという状況であれば、上で引用したメカニズムが働くことで原材料価格上昇という大波は収まり、物価は元の水準に落ち着くべく下落していくことになる。
以上の過程−相対価格の調整過程−の中で、原材料価格上昇が企業の利益を減らし、それが所得減という形で家計に波及すれば相対価格の調整はさらに進み物価低下に拍車がかかる事態、つまり不況の元でのデフレ(=スタグデフレーション)ということにつながっていく。さらに言えば、企業が価格転嫁という形でわずかづつ価格を上げ、企業の利益減が所得減という形で家計に波及すれば、不況の元でのインフレ(=スタグフレーション)という事態になるわけだ。
 それでは、原材料価格の高騰が物価を押し上げるという情勢の中で、家計の負担を抑える妙案とは何だろうか。先の話に戻れば、それは「所得を上げること」に尽きる。若田部論説でも明確に述べられているとおり、所得を上げることは金融緩和によって可能なのだ。金融緩和を進めることで流通するカネが増え、所得が上がれば企業は価格転嫁をし易くなる。そんなことをしても所得は上がらないと言うのであれば、金融緩和と同時に呼び水として家計に減税を行うという策もあり得るのではないだろうか。金融緩和を進めることで物価が上がりすぎてしまうという懸念があるのなら、インフレ期待をコントロールする一手段としての政策枠組み(インフレターゲティング)を検討すればよいのだ。

3.『楽な政策』と『苦い政策』
 さて、現下の原材料価格の高騰を考えるにあたって頭によぎるのは、福田総理の父である福田赳夫が1974年の「狂乱物価」の時期に大蔵大臣としてインフレ鎮静化のために適切な政策を行ったという点である。当時の愛知蔵相が死去したことに伴い田中角栄首相から大蔵大臣の打診を受けた福田赳夫は以下のように応じる。

 そこで私(福田赳夫)は、田中首相にこう言った。『経済の運営は乗馬と同じで、手綱が二本ある。一本の手綱は物価であり、もう一本の手綱は何だというと、これは国際収支だ。人でいえば呼吸が物価、脈拍は国際収支である。二本の手綱をしっかり握っていかなきゃならんが、今はその二本の手綱がめちゃくちゃになってきた。こうなった根源は何だ。あんたはどう思うか。』
 田中首相は『石油ショックでこうなって・・・・』というから、私(福田赳夫)は『そうじゃないんだ。あんたは石油ショックというけれども、あれは追い討ちだ。あんたが掲げた日本列島改造論で、昨年七月に内閣をつくって以来一年しかたたないのに、物価は暴騰に次ぐ暴騰で・・・・・・・・』と説明した。(竹森俊平『世界デフレは三度来る』、講談社(225〜226頁)から抜粋、原資料は福田赳夫『回顧90年』。)

 省略部分(・・・)の発言は1950年代、60年代の高度成長期における成長の制約要因として作用した国際収支の天井を念頭に置いたうえのものだが、この点の評価については『世界デフレは三度来る』に譲りたい。ここで強調したいのは、当時の福田がインフレを沈静化させるにあたり極めて真っ当な現状認識を有していたこと、つまり、1973年及び1974年の狂乱物価の真因は行き過ぎた緩和政策であり、石油ショックという個別財の高騰はインフレが進む中でいわばダメ押しとして日本経済を襲ったという事実を正確に認識していたという点である。そして、福田は『全治三ヵ年』宣言を行ってゆき過ぎた緩和政策を改め総需要抑制政策を行ったことである。
 我が国の経済を流れる基調は当時とは正反対である。高度成長を経て国際収支の天井という制約を超え、内需と外需が拡張気味で推移し、その中でインフレーションを構成する要素が世界的に備わっていたのが1970年代初頭の日本経済である。一方で1997年以降の「失われた十数年」を経験する中で、内需の勢いは弱く、世界的な好況の恩恵により外需主導という形で不十分ながらデフレ脱却への歩みを進めていた我が国の現状を鑑みれば、福田赳夫が当時行った総需要抑制政策ではなく、現総理が行うべきは総需要緩和策である。そしてこの総需要緩和策は、ファインチューニングを旨とする経済政策の中にあって総需要抑制策と比較して「楽な政策」なのだ。
 1.で述べた「国民が納得のいく緻密な見積り」を提示するにあたっては、現在の経済環境の下で当面安定した成長を確保していく策として何をすべきかを明示することが重要である。竹中氏らが掲げた「上げ潮路線」は殊にマクロ経済政策に関して言えば理念の次元に留まってしまったとの批判は否めないだろう。現時点で求められているのは、今後数年間の経済成長を担保していくために手段と目的の次元にたって政府と日銀の関係を見直し、具体的な政策枠組みを構築することである。その上に立って我が国の将来を見据えつつ、世代間の対立が優に予想される社会保障制度のあり方につき幾つかのパターンを提示し、国民にとってのメリットとデメリットを分かり易く提示することである。この政策は「楽な政策」ではなく必ず誰かに痛みを伴う「苦い政策」でもある。
 竹森俊平『世界デフレは三度来る』が指摘するように、福田赳夫は、1965年の不況に「楽な政策」としての総需要緩和策を行い、1974年の狂乱物価に「苦い政策」としての総需要抑制策を行うことで世界でも稀な大蔵大臣として面目を保った。その遺伝子を受け継ぐ福田総理には、是非とも「楽な政策」と「苦い政策」の双方を国民の納得のいく形で決然と行ってもらいたいものである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080122/p1等々。ご興味の向きは「原材料価格」で検索してください。