田中秀臣『雇用大崩壊 失業率10%時代の到来』を読む。

 本書は「世界同時不況」に陥ったわが国の状況を主に雇用面から扱った書籍である。既に各所で感想が寄せられているところだが、書籍のタイトルに反して、その指摘するさまざまなポイントは重い。以下、本書で指摘されているポイントに即しながら感想を交えつつ書いていくことにしよう。
 一つ目のポイントは、わが国を襲った今回の不況が「二段階不況」であるという点だ。二段階とは、まず第一段として日銀の量的緩和解除に伴う利上げに伴う景気後退が生じた後に第二段として米国発の世界金融危機に伴う総需要の停滞が日本経済を襲ったという意味である。世界金融危機が耳目を集めるようになった当初は政府当局も世界金融危機への影響は限定的だとする評価が大半であった。確かにわが国の金融機関への影響は小さかったが、現在の実体経済への影響は震源地である欧米と比較してわが国の方が大きい。成長率への寄与が大であった外需が大きく低下したことが表層的な原因だが、なぜ「いざなぎ越え」を果たしたにもかかわらず内需の堅調な回復が生じなかったのかこそ今の段階では問われなければならないだろう。つまり、景気回復は不十分であったこと、それは97年以降デフレが続いていたことや、雇用面では失業率の回復が十分に進まなかったこと、賃金の上昇は進まなかったこと、非正規雇用の定着とロストジェネレーション層の顕在化、といった現象がなぜ生じており、なぜそれが解決されていなかったのかということである。これらの矛盾を抱えたわが国において「失われた10年」はまだ終わっていないのである。
 二点目のポイントは、このような事実認識の誤りはなぜ生じているのかという点だ。著者はこの点について5つの誤解を指摘している。これらの指摘は至極真っ当である。今の状況を見れば「金融危機への影響は軽微」という人はほぼいないだろう。未だに円高は日本が強い証拠だという人間はいるのかもしれないが、実体経済内需)の回復を伴わない形での円高はわが国にとって足かせ以外の何者でもない。そもそも円高による原材料価格低下による恩恵は進んでおらず、外需低迷(所得効果)とあいまって価格面でも輸出への足かせとなっている状況だ。そして完全失業率が上昇していないという指摘はその通りだが、求職喪失者の高まりや、生産低下に対するラグを無視するのは暴論である。著者が指摘するような水準にまで失業率が高まるかどうかは留保すべき点はあるのかもしれないが、生産水準の例を見ない規模での低下や、業態悪化が全産業にまで波及している点を考えればいずれ失業率は高まることは容易に予想されよう。また、金融危機により米ドルが信認を失い基軸通貨である時代は終わるという主張も奇妙である。現状ではドルは円以外の通貨に対しては通貨高の状況である。そしてドルに変わる通貨の存在は明らかではなく、可能性として指摘されていたユーロは金融危機の影響で大きく減価している。今後米国の経済政策の影響によりドルが減価することがあったとしても、それは政策の効果によるものでドルの信認の低下とはなるまい。最後に金利の低下が資産を持つ年金生活者の生活を脅かすという指摘も奇妙である。利上げに伴う所得上昇効果は高額所得者ほど大きくなるが、何よりもまず金利の水準自体が低く、多少金利が上昇したとしても金利で生活する人間の所得は上昇しない。金利の上昇はこれらの人々の所得を上昇させるというプラスの効果を持つ一方で投資の低下や、現役世代の経済活動を阻害するマイナスの効果をもたらす。マイナス効果の方が大きいことは明らかだろう。
 三点目のポイントは、失われた10年の影響をもろに受けた若者世代、そしてs層といわれる正社員が抱える問題である。低成長が続いた「失われた10年」、そしてその後の回復期は、いわゆる中身が不明の構造改革のもとで、各主体が現状の中で自らが最適な仕組み・体制を模索し、結果として縮小均衡に陥った過程として捉えることが可能である。それは企業にとってはリストラや非正規雇用の活用の高まり、より徹底したコスト削減として現れ(たとえば日産の業績回復が売り上げ増ではなく人件費のカットにより達成されたことにも典型であろう)、正社員にも影響をもたらしているわけだ。本書ではこの点は双曲線割引といった概念や、ニートジョブカフェといった施策について、さらには終身雇用や成果主義という話題を適用しながら幅広く論じられている。
 四点目のポイントは、「二段階の不況」における経済政策として何が必要なのかという点だ。著者は、量的緩和策への移行と財政政策の活用を論じるがその趣旨に全面的に賛成である。私は、現在の日本において改革というものが仮に必要なのだとすれば、それは政策当局の政策の決定・施行の仕方・枠組みそのものであると考えている。金融政策においてはインフレ・ターゲティングに基づくルールに基づく金融政策の実行、日銀は政策目的ではなく手段とパフォーマンスにおいて責任を持ち、政府は財政政策と政策目的を明確にすることが必要である。残念ながらこの点において現政権を含む日本の政治はなんら「失われた10年」の教訓を生かしていない。さらにいえば、なぜマクロ経済政策が十分な効果を上げ得なかったのかという事実関係の整理すらできておらず、政策担当者自らがこれらの政策に効果はないと言い出す始末である。著者は埋蔵金の活用や定額給付金の倍増、政府紙幣といった政策についてもわかりやすく論を展開している。これらの主張がわが国の太宗とはなりえず、むしろ恒久的な増税策である消費税増税と一時的な定額給付金の適用が「新規かつ興味深い政策」として取り上げられるこの国の奇妙を嘆くばかりだ。昨今指摘されている介護・看護産業、農業へのシフトといった点についても著者は批判的な指摘を投げかけている。識者の中にもしたり顔でこうした分野へのシフトを述べる人間が多いが、仮に自分が失業者になった場合にこうした産業で働きたいと思うのだろうか。私は残念ながら制度的な制約以外にもこうした産業への抵抗といった要素も大きいと感じる。本書で指摘されている職業訓練を効果的にするための施策や外国人労働者への問題意識、雇用流動化に関する視点についてはより広く知られるべきだろう。
 本書に関しては既に書いたとおり様々な感想が寄せられている。私個人は著者の主張が適度な理由づけとともにコンパクトにまとめられており興味深く読んだ。本書で展開されている視点が広く議論され、共有されることを望みたいし、今を生きる若者層(自分も含む?)こそ、自らの拠って立つ現実と社会とのつながりを考える際の題材として、本書で提起されている視点を深く考えてほしいものだ。
 現在の日本経済が抱える苦境は、決して個人個人の責任ではない。バブル崩壊を境にして急にそれまで一生懸命働いていた人々のパフォーマンスが低下したのだろうか?10年前に働いていた人と現在働いている人とのパフォーマンスは大きな隔たりがあるのだろうか?突然なんらかの軋みが明らかになるものなのだろうか?私にはそうは思えないし、マクロ経済学の知見はそうではないことを教えてくれている。仮に一国全体で過去のわが国との隔たりがあるとすれば、将来ある若者層が仕事をしたくても満足に仕事に就けず、子供を生み育てたくても必要な所得がないため断念せざるをえず、その事実を若者のやる気のなさや堪え性のなさに帰した上に徐々に進行した所得格差の拡大という現象を野放しにしたというこの国の現状を生み出した「変化」そのものにあるのではないだろうか。その「変化」を一言で言えば、経済停滞−本書の言葉では「現役世代、特に若い世代の経済的貧困」なのである。

雇用大崩壊―失業率10%時代の到来 (生活人新書)

雇用大崩壊―失業率10%時代の到来 (生活人新書)

(追記)
 沢山の方にブクマ頂きありがとうございます。取り上げている本の力ゆえでしょうか。ブクマでコメントいただいている点も含めて、少し統計からフォローしてみます。事実関係としてはこんなところです。GDPの寄与度を見ると、現在の状況やいざなぎ超えの状況と比較して、バブル期及び1990年からいざなぎ超えまでの期間の消費の寄与はいずれも高いです。特にバブル期は純輸出の寄与はマイナスで、実質GDP成長率の半分弱が消費の高まりにより生じています。一方で直近の景気回復の際の消費の寄与は3分の1程度です。
 この間、雇用者報酬の推移を見ると名目ベースではほとんど変化していません。今回の不況で97年時点と比較してマイナスになっています。実質ベースでは伸び率は高まりますが、過去の経済状況と比較して伸び率は極端に小さいという事実は変わりません。確かに直近の景気回復局面はいざなぎ超えと言われるように長期間続きましたが、過去の経済状況(景気拡大と後退が混在している点に注意)と比較しても内需の伸び・寄与度は低く、外需の伸び・寄与度が高かったことは明白です。内需は下支えしたという意味はあるのでしょうが、それ以上の役割は果たしていないでしょう。この意味で「好況」ではなく、「景気回復」なのです。2002年以降をとっても直近までマイナスであったGDPデフレータの動きもこの点を暗示しています。
 定義の違い等もあるので、様々な事実の集合という趣きですが、97年以降の所得と雇用の状況を簡単にみると、雇用面では非正規雇用の比重が高まりました。そして、所得はほとんど増加していないわけですが、その内訳はというと、300万円未満の世帯所得の割合が増加し、全体の3割強にまで拡大しました。一方で500万円以上の層は減っているわけです。勿論、世帯所得の割合変化(低所得層の比率の高まり)には高齢化によって無業かつ高齢者の割合が高まっていることも影響しています(この点は別の問題です)が、世帯主が無業者ではなく雇用者である場合には、500万円未満の所得階層では29歳以下、30〜39歳の世帯主の割合が5割を超えています。
 こういった事実を積み重ねていくと、いざなぎ超えのもとでは確かに景気回復局面にはあったけれども、好況にはならず、内需は下支え程度しか機能しなかったこと、寧ろ実質ベースで2%未満のささやかな成長に寄与したのは過去の状況では統計上大きなインパクトを持ち得なかった外需であったといえるのではないでしょうか。そして、現在外需が剥落し、更に外需の低迷が国内生産の低下を経由して内需の低迷をもたらしているというのが現在の局面といえるのではないでしょうか。

GDPの寄与度を見ると、暦年ベースで2002年から2007年の実質GDP成長率の平均は1.8%、消費の寄与度は0.6%、設備投資の寄与度は0.5%、純輸出の寄与度は0.7%(うち輸出は1.2%)(以上93SNA、平成12年基準)、暦年ベースで1990年から2001年の実質GDP成長率の平均は1.7%、消費の寄与度は1%、設備投資の寄与度は0.2%、純輸出の寄与度は0.07%(うち輸出は0.34%)、1985年から89年までで同じ形で指標を見ると、実質GDP成長率4.8%、消費の寄与度2.3%、設備投資の寄与度1.8%、純輸出の寄与度-0.38%(うち輸出0.2%)(以上93SNA、平成7年基準)*1
・景気拡大期(2002年第1四半期〜2007年第3四半期)の雇用者報酬の対前期比の平均値は0.01%未満。今般の景気後退期の対前期比の平均値は0.06%だが、雇用者報酬(名目値、季節調整済、四半期)の2008年第4四半期の値は1997年第1四半期と比較して4%程度低い。ちなみに1990年から現在までの雇用者報酬の対前期比の伸びの平均は0.3%、1990年から1997年の対前期比の伸びは0.9%、85年から89年の前期比の伸びは1.3%。*2
・97年から直近(2007年)にかけて正規の職員・従業員数は10%程度減少する一方で非正規(パート・アルバイト・労働者派遣・契約社員)の合計数は60%超増加*3
・非正規の中では200万円〜299万円の所得階層の割合が増加*4
・96年以降、世帯所得300万円の世帯割合は増加、2006年時点で全体の3割強まで拡大。200万円未満の世帯は5.9%ポイント増加、500万円以上は10.2%ポイント減少*5

*1:国民経済計算

*2:国民経済計算

*3:就業構造基本調査

*4:就業構造基本調査、労働力調査

*5:国民生活基礎調査