大恐慌期のデフレから世界経済はどのようにして脱却したのか?

 2008年9月のリーマンショック以降の金融危機実体経済の悪化は、2009年6月の現時点において与謝野大臣の「景気底打ち」発言に見られるように少し明るさが見られる、という状況なのかもしれない。尤も、2009年1〜3月が底打ちのタイミングであったとしても、リーマンショック以降の実態経済の悪化は急速であり、多少数値が上向いたとは言え2009年年末から来春にかけて経済が回復軌道に乗るという見方は時期尚早だろう。内閣府の試算によればGDPギャップは8.5%(45兆円)の規模に達している。失業率は悪化傾向にあり、かつデフレがより明確な形で観察されるのは必定である。頼みの米国の状況も公表統計を見る限りでは力強い回復といった状況にはなく、今後も外需の回復を見込むのは難しいだろう。となると90年代半ば以降デフレに陥り、02年以降の景気回復期においてもなお「デフレ脱却宣言」がなされなかった我が国においては特に内需の力強い回復が鍵となるのだろうか。
 さて、1930年代の世界大恐慌において、我が国を含む世界経済は実質生産の落ち込み以上に物価の下落が著しい典型的なデフレに陥ったわけである。大恐慌に関する学会の標準的な理解では、第一次大戦以降復活した金本位制には構造的欠陥*1が存在し、各国為政者が金本位制固執したことが政策オプションの制約につながり、世界的な貨幣収縮と大恐慌・大デフレをもたらしたというものである。つまり、国際金融のトリレンマに照らしてみれば、金本位制固執することは為替の安定と資本移動の自由に注力することで金融政策のフリーハンドを失うことを意味し、そのことが大恐慌を生み出したという理解である。以下では世界大恐慌における回復過程を跡付けた堀(2002)をメインに参照しつつ、現代の経済政策において何が必要なのかという点について論じてみることにしよう。

1.世界大恐慌における回復過程
 世界大恐慌を特徴づけるデフレからの脱却はどのような過程を経て進んだのだろうか。堀(2002)「大恐慌期のデフレーションとその終焉」(フィナンシャル・レビュー August-2002)に記載されている図表1は金本位制離脱とデフレの関係及び金融政策変数の動向を整理したものである。図表1では金本位制を離脱したタイミングの違いにより各国が大きく4つのグループに区分けされている。つまり、第一グループは金本位制を1930年以前に離脱した国、第二グループは31年に離脱した国、第三グループは32〜35年に離脱した国、第四グループは36年に離脱した国である。日本は第二グループ、米国は第三グループ、ポーランド、フランス、オランダが第四グループに位置づけられる。
列方向に左から右に見ていくと、金本位制の離脱タイミング、卸売物価の反転年と反転と金本位制離脱との関係、為替レートの変動、金利動向、マネーサプライの動向となる。為替レートの動向は金本位制離脱時、金本位制離脱から卸売物価の反転時、1938年までの水準と大恐慌が始まった1929年との比率が、金利動向とマネーサプライについては卸売物価反転年とその前年(ボトム年)との比、マネーサプライについては卸売物価反転年とその前年(ボトム年)との変化率と29年と比較した38年の比が記載されている。

図表1:金本位制離脱とデフレとの関係、為替・金利・マネーサプライの動向

出所:堀(2002)表2(http://www.mof.go.jp/f-review/r64/r_64_086_109.pdf)より転載。

 この図表から得られるインプリケーションを纏めると以下のようになる。少し補足しよう。1は金本位制離脱が物価反転のための必要条件であったことを意味する。しかし金本位制から早期に離脱した国ほど卸売物価の上昇までのタイムラグが大きくなっているため、十分条件とは言えないかもしれない。2.の点だが平価切下げはドイツのような例外国(平価切下げではなく資本移動規制・金融緩和の組み合わせで対処)も存在するため物価反転の必要条件ではないが、平価切下げの度合いがその後の物価上昇の度合いを決めているのは明らかである。3.については大恐慌からの回復過程において金利は概ね低下していた、そして4.についてはマネーサプライの拡大は大きなトレンドとして物価の反転に影響し、マネーの低下が見られた国においてもそのことが物価上昇の制約になったわけではなかったことが見て取れる。

1.物価の反転は金本位制離脱以降に生じた。
2.平価の切り下げ度合いが物価回復の度合いに大きな影響を与えた。
3.物価の反転から回復は、金融緩和の下で実現された。
4.マネーサプライの増加は大きなトレンドとして物価の反転・回復の要件となっていた。

 それでは、大恐慌からの回復過程における外需及び財政支出への影響はどのようなものだったのだろうか。この点を見たのが図表2だが、指摘できる点はGDPの増加に対して輸出や貿易収支、財政は大きな寄与を持ち得なかったということである。図表1と合わせて考えれば、金本位制離脱や平価の切り下げはデフレ脱却には大きく影響したが、そのことが外需の増大には結びついていなかった、そして財政動向の影響は限定であったということだ。つまり、大恐慌からの回復には民間部門の内需の回復が伴っていたのであり、そしてその呼び水のうちで最も重要なものは、金本位制離脱と為替減価で実現した金融緩和、物価反転ということだったわけだ。我が国においては、金本位制離脱と赤字国債の日銀引き受けという金融緩和が該当するのは既にエントリしたとおり*2である。

図表2:外需及び財政が回復に与えた影響

出所:図表1と同じ。

2.デフレからの脱却過程には何が作用したのか?
 さて、大恐慌下のデフレ過程からの脱却には何が作用したのだろうか。この点についても堀(2002)の分析は示唆に富む。堀(2002)はデフレ脱却に影響した要素を探るため、フィリップスカーブの推計を段階的に行いながら議論を進めているが、まず事実認識として重要な点は、デフレからの脱却は大幅なデフレギャップが存在している状況の下で生じたという事実である。
 フィリップスカーブに基づく論証については、ア)実物項(GDPギャップ)、物価上昇率の1期ラグを説明変数としたもの、イ)ア)に加えて成長率を加えたもの、ウ)イ)に加えて財政・金融政策の影響(歳出GDP比の変化、通貨増加率)、金本位制の参加・離脱を考慮したダミー変数を追加したもの、の三種類の推計式を米日英独仏の5カ国のプールデータを元に推計し、説明要因として追加した変数が有意であるかどうか、推計式がデフレからの脱却過程を忠実に再現するかどうか、の二点からデフレ脱却に作用した要因の把握を試みている。
 推計結果から得られるインプリケーションは、大恐慌期を含むデータでア)及びイ)の式を推計すると説明変数はいずれも有意であるが、デフレ脱却の過程を再現できていない、ウ)の式を推計すると、財政政策の影響として考慮した歳出GDP比の変化の係数は符号条件を満たさない一方で通貨増加率の係数は有意であり、かつダミー変数の係数も有意となる。そしてデフレ脱却の過程を完全に再現できてはいないものの、その精度は高まっているというものである。つまり、1.のデータに基づく論証の通り、フィリップスカーブの推計を行った場合においても金本位制の参加・離脱や金融緩和といった政策が物価上昇に有意に影響を与えている事実が示唆されたわけである。

3.現代の経済政策において考慮すべき点は何か
 最後に堀(2002)の結果を足がかりに少し考えてみることにしよう。最初に示唆したとおり、大恐慌からの回復過程の経験に照らしてみると、デフレからの脱却はデフレギャップが存在している中で生じたわけである。この点は、特に金融危機から実体経済の悪化が急速に進むといった「恐慌型」の不況の可能性が高い現在の状況を考える上で示唆に富む。物価に関する実物的な理解に即して考えてみると、デフレギャップが存在する中で物価上昇は成立せず、実体経済の状況と貨幣との関係は「同じものを別の側面から見ている」という現象として理解される。但し、「恐慌型」の不況からの脱却過程においてはそのような実物面での回復とデフレからインフレへの反転は同様のタイミングでは生じていないのである。この意味において、「恐慌型」の不況に直面した際には物価の貨幣的な側面がより明瞭に現れるのである。
 そして大恐慌期のデフレについて注意すべき点は、大恐慌期のデフレが貨幣的な要因に左右されるとは言っても、デフレからインフレへの脱却過程においては日々の金融政策が影響を与えなかったという点である。先に見たように世界的な傾向を眺めれば、デフレからの脱却は金本位制の離脱(平価切下げ)というこれまでの金融政策を規定していたルール(金融政策レジーム)の転換により達成された。この意味で目先の政策変更ではなく、政策を規定しているレジームの転換こそが深刻な不況の最中においては必要ではないだろうか。
 さてこのように論じると以下のような反論が生じるのかもしれない。それは、90年代以降のデータを観察すると、物価の貨幣的な関係(貨幣需要関数)が不安定であるため、現代においてたとえマネーを供給したとしても物価上昇には結びつかず、実体経済の回復も生じないのではないかというものだ。この点は90年代以降のデータを用いて物価とマネー及び実体経済GDP等)といった変数について共和分検定を行うことでも確認できる。そして最近の研究(例えばIida and Matsumae(2009))*3ではトレンド除去の手法に留意しつつVARモデルを適用しながら90年代の財政・金融政策の効果を分析しているが、この中でもマネーと実体経済とのリンケージが弱まってきているとの指摘がなされているところだ。
 しかし、マネーと実体経済との関係性が弱まっているという実証結果は我が国がデフレと深刻な実体経済の悪化に陥ったという事実を反映した「結果」であることを忘れるべきではない。長期にわたりデフレに陥った状況のデータを観察してもデフレから脱却するための政策・方策として何が有効かという事実を把握するための判断材料としては不十分である。寧ろ90年代半ば以降の状況においてマイルドなデフレを持続させた要因を探り当てるために大恐慌や大インフレといった世界を襲った経済危機とその脱却過程のデータを分析し、現下の状況における「強力なエンジンの働きを阻害する一つの異物」(クルーグマン)を見つけ出すことが必要なのであり、そのような異物を探り出すためにこそあらゆるボタンを考慮することが重要なのだ。
世界的な経済危機は大幅な実体経済の悪化を経て現在のところわずかな光が差し込んだ状況だと看做すことができよう。3割〜4割といった生産レベルの落ち込みが持続する筈もなく、各種経済対策も相まって緩やかな回復はいつか生じるだろう。しかしその過程は、「失われた10年」の延長線上でしかない。必要なのは内需を基点とした力強い回復のためには何が必要かということであり、そのためには90年代以降の経済政策のレジームの転換が求められるのである。

*1:経常収支黒字国・赤字国にとっての金融政策の制約が非対称であったこと、制度を円滑に機能させるための国際協調の土壌が不足していたこと

*2:http://d.hatena.ne.jp/econ2009/20081219/1229666440

*3:http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis210/e_dis209a.pdf