貿易円滑化措置に関する実証分析のメモ

貿易円滑化措置(trade facilitation)とは、貿易を円滑に進めるための措置を指しています。具体的には、不必要な貿易上の負担の撤廃、輸入手続の簡素化・効率化、国際規格・基準への整合化、検査データの受入れ、規格・基準の明確化、国内制度の透明性の確保といった概念を含むものです。これらは広い意味での関税以外の貿易障壁である非関税障壁にあたるものですが、上で挙げた円滑化措置を行うことでどのような経済的影響が生じるのか、またそもそも各国の貿易の円滑化を阻害する要因がどの程度なのか、それを数値化することは可能なのか、を研究する論文を扱うのが今回のテーマです。

 ということで、以下、貿易円滑化に関する数量分析を扱った研究の中で代表的と思われるものを見ていくことにしたいと思います。



1.貿易円滑化の定量化に関する研究


貿易の円滑化を阻害している要因の数量化・抽出は、大きく(1)グラビティモデルに基づく手法、(2)ビジネスサーベイ調査に基づく手法に基づいて分析されています。


グラビティモデルでは、計量分析に基づいて「望ましい貿易量」を把握した上で実際に観測される貿易量との差が円滑化の阻害要因であるとする手法です。ただ計量分析において用いられるデータには観測誤差が考慮されており、さらに説明要因の統御を念入りに行わないと円滑化阻害要因のみならずその他の非関税障壁一般を計測しているといった事にもなりかねません。いかにモデル式を設定していくかが鍵だと考えられます。


ビジネスサーベイ調査に基づく手法は、貿易に携わる企業にヒアリング・アンケート調査を行うことで個別の円滑化阻害要因のコストがどの程度であるのかを尋ね、それを集計するというものです。この手法は円滑化阻害要因を具体的に特定することが可能であるという特徴を有していますが、聞き取りに基づく為に回答に一定のバイアスが生じるという難点があります。また既存調査では統計的処理に耐えうるだけの回答数を得るためには多大なコストがかかるという点も難点として挙げられるでしょう。


UNCTAD(1992、1994)によれば、国際貿易にかかる手続コストは世界全体の貿易額の7〜10%と計測されています。最近の計測ではAPEC(2002)の結果が広範かつ精緻なものだと思われます。APEC(2002)では、円滑化にかかるコストを?customs procedure(輸入価格の設定手続、輸送時の検閲手続、輸送業者による価格設定手続、その他手続、原産地規則、検疫制度)、?standards(技術的障壁、適合性の認証手続、適合性認証機関の非効率性)、?business mobility(渡航に必要な情報へのアクセス、ビザ取得認証にかかる煩雑さ・時間コスト、厳格な認定手続)と定義した上で、APEC各国の企業に対してアンケート調査を実施しています。計測の結果、APEC域内の国々の円滑化にかかるコストは取引費用の10〜15%程度を占めていると結論づけています。


2.貿易円滑化措置が経済に与える影響


貿易円滑化措置が経済に与える影響分析は、主にCGEモデルに基づいてなされています。これは、1.で分析された円滑化のコストを輸送部門のコスト低減効果、もしくは輸入価格の低減効果と想定した上で各国経済に与える影響をシミュレートするというものです。


例えばFrancois, Meijl and Tongeren(2005)では、貿易手続きに係るコストを1.5%削減した場合の世界所得の増大幅は720億USドル、3.0%削減した場合の世界所得の増大幅は1510億USドルとの結果を得ています。


またAPEC(2002)では、APEC各国の貿易手続きにかかるコストが5%削減された場合の効果を計測しており、APEC各国のGDPは合計で1540億米国ドル、0.9%の増加に達するとしています。


3.感想


 以上簡単に貿易円滑化措置に関する実証分析を見てきた訳ですが、貿易円滑化措置のコストがどの程度であるかを数値として把握することは容易ではありません。我が国で進められているASEAN+3のEPAの中でも各国制度のハーモナイゼーションといった点が大きな話題の一つとして挙げられていますが、現状円滑的な貿易を阻害する要因が何であり、それが取引コストとしてどの程度の規模になるのかを地道に把握していくことが求められています。



 効果分析については、CGEモデルにインパクトして与える場合にどのような想定で行うのかによって経済的な影響が異なるものと考えられます。例えば輸送コストの低減とみなす場合には、一次的な効果は輸送部門にもたらされ、輸送部門の効率化が輸送費の低減という形で各産業のコストを押し下げるという効果をもたらす訳です。一方関税と同様に輸入にかかるコストと捉える場合には一次的な効果は各産業の輸入財と国内財の代替といった面に影響することになります。言うまでもありませんが、計測された経済効果がモデル上でどのような形でインパクトとして与えられたものなのかを把握することは、モデルの構造を知ることと合わせて重要な点だと思います。


4.参照文献

  • APEC(1997), The Impact of Trade Liberalization in APEC, 97-CT-01.2, APEC: Singapore.
  • APEC(1999), “Assessing APEC Trade Liberalization and Facilitation: 1999 Update”, Economic Committee, September 1999, APEC: Singapore.
  • APEC(2002), “The Benefits of TILF in APEC
  • APEC(2004a),“Trade Facilitation and Trade Liberalisation: From Shanghai to Bogor”, APEC Economic Committee, APEC: Singapore.
  • Batra, G., D. Kaufmann and A.H.W. Stone (2003), “The Firms Speak: What the World Business Environment Survey Tells Us about Constraints on Private Sector Development”, (October 2003),
  • Cecchini(1988), P.(1988), The European Challenge 1992: The Benefits of a Single Market, Wildwood House.
  • Dee, P ., C. Geisler and G. Watts(1996), “ The Impact of APEC’s Free Trade Commitment”, Staff Information Paper, Australian Industry Commission.
  • Dollar(2004), “Investment Climate and International Integration”, World Bank Policy Research Working Paper 3323.
  • Fox, A.K., J.F. Francois and P. Londono-Kent (2003), “Measuring Border Crossing Costs and Their Implications on Trade Flows: The United States-Mexican Trucking Case”, 30 April 2003.
  • Francois, J., H. van Meijl and F. van Tongeren (2005), “Trade Liberalization in the Doha Development Round”, Economic Policy April.
  • Hummels, D. (2001), “Time as a Trade Barrier”, Working Paper, Purdue University.
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  • METI(1998), “Report on Asia-scale Industrial Structure Policies”(in Japanese).Tokyo.
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  • UNCTAD(1992), Analytical Report by the UNCTAD Secretariat to the Conference, United Nations Conference on Trade and Development.
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  • UNCTAD (2001), E-Commerce and Development Report 2001, UNCTAD: Geneva.
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  • Wilson, J.S., C.L. Mann and T. Otsuki (2003), “Trade Facilitation and Economic Development: Measuring the Impact”, World Bank Policy Research Working Paper 2988.
  • 川崎研一、白石浩介、東暁子(1998)、「貿易・投資自由化の影響」、通商産業省委託調査「アジア大の産業構造政策に関する調査研究」第?章、(財)国際貿易投資研究所。