経済学を勉強する過程で印象深かった書籍(番外編)−「あの人」について−

 
 自分が経済学をなぜ学ぶようになったのか。無論、漠然とながら戦後の我が国を育んできた高度経済成長と呼ばれる現象を理解するための道標となるものを得たかった、もしくは「エコノミック・アニマル」と当時呼ばれた我が国を構成する主要要素としての経済とは何なのかを知りたかった、という理由を挙げる事が出来るかもしれない。ただ以上の目的は大学入学から15年が経過した現在時点から見た後付けもしくは当時の記憶の一断片としての「理由」である。では自分にとって「経済学」を学びたいという欲求は何処から来たのだろうか。私ごとき凡人が真似るべきものではないのだが、あえて「記号論」、「社会経済学」、「大衆社会論」、「身辺雑記」という4つの水準に視線を上下移動させながら論説を展開し続けている「あの人」にならって、自分が当時学び、そして現在も学び続けている「経済学」へのモチベーション(甚だ情けないものだが)とは何処から去来しているのかを書き留めたいと思う。結論を先取りすれば、それは「あの人」との出会いが一つの契機である。



「あの人」との出会いは高校生の終わりごろ、父が読んでいたオピニオン雑誌の類を斜め読みするのを通してだった。偶々目にした「あの人」の言説は渡部昇一、谷沢栄一といった「保守派」と呼ばれていた人々とは一風変わった趣を持っているように感じられた。それはある事象に対しての激烈な断定口調によるものだったのかもしれないし、「自らを懐疑する」という姿勢、そのことが二律背反する現象の中で平衡感覚をとることを旨とした文体に乗り移っており、そこから醸成される雰囲気が当時の自分の心象に合致していたのかもしれない。ともあれ、「あの人」の言説は当時「右寄り」(=保守)と呼ばれた人々とは違った趣を自分に感じさせたのは間違いない。


以降、オピニオン雑誌、週刊誌の類で繰り広げられる「あの人」の言説、また本として纏められた「大衆への反逆」、「ニヒリズムを超えて」、「サンチョ・キホーテの眼」、「批評する精神」(1〜4)などを何度も大学の授業の空き時間で読んだ。当時を思うと、「あの人」の時論が当時の世相を明確に解釈しており、それを知ることで自分なりの考えに対する道標を得ようという気持ちが強かったように感じる。「無為な勉学をするため」に大学に入った自分にとって「将来有為となるもの」に対してのみ熱心に勉学に励む同級生が多々いるという事実を知った際に感じた疎外感のようなものや自分が持つ天邪鬼な気風が「あの人」との書物を通じた対話へと駆り立てた訳である。


「あの人」との書物を通じた対話によって自分が得たものは大きかったと思う。それは「あの人」独自の主張だけではなく、「あの人」の裏側に潜む思想家たち、バーク、マンデヴィル、オルテガ、シュペングラー、レーヨンフーブット、ケインズハイエク、ヴェブレン、ヤスパースパーソンズレヴィ・ストロース福田恒存、田中美知太郎、林達夫・・等々の思想を(「あの人」の視点を通してという限定付きではあるが)垣間見ることが出来たことである。さらに時論に加えて自らの家族を含む自分という存在を語る文章にふれることで「本で読んだ人」という意味合い以上の親近感のようなものを「あの人」に抱くことが出来、無味乾燥ではないある種の情感を伴った形で本に向き合うことを教えてもらった事である。


 以上の形で本を読む一方で経済学の勉強も少しずつ行っていた。無論、新古典派経済学における種々の仮定には疑問を持っていたし、「あの人」が語る中での「経済学批判」も半信半疑で理解していた。また「あの人」の言説の中にあった「二律背反するものを抱え込むのが人間の生だ」というのを読んで、自分の中で経済学否定と肯定の相互に矛盾した感覚の中で平衡を保つのが重要だ(笑)等と考えたりもした。いずれにせよ、「あの人」が批判する「経済学」に対して自分なりの考えを持たないまま、学んでいた訳である。


 そんな中、唐突にも「あの人」に実際に会う機会があった。当時、「あの人」が「発言者」という雑誌を発行する準備を進めており、その中で「あの人」と語り合うという「塾」を主催するという話を聞いたのがきっかけである。今も変わらず怖れを知らない自分は早速希望して「あの人」に会いに行った。余談ながら、東谷暁氏が司会をしていたり、佐伯啓思氏が途中参加したりというような会で自分は最年少の参加者だった。実際に会った「あの人」はまだ50代だったが絵に描いたような好々爺といった風貌・印象であり、話口はテレビ等で観たものとほぼ同一だったが、硬質な文章とは裏腹に非常な人格者であることを感じさせた。それは一頻り話が終了した夜に夜食として「あの人」の奥様や娘さんが出された食べ物をほおばる姿や御家族との関わり方の中にもにじみでていた。


 宴もたけなわといったところで場所を移して飲み会となったが、その席で参加者の自己紹介を行う段になり「あの人」が自分に語った言葉が印象に残っている。自分は「大人」の中での飲み会など経験もなく、非常に緊張・気後れしながら「「あの人」が否定している「経済学」を学んでいる」といった話をしたのだが、「あの人」が自分に語ったのは「経済学は有害無益だねぇ。早いうちにやめた方が良いよ」という言葉だった・・・。その後は年上の方々と色々な話をしたような印象があるが、どんな話をしたのかは覚えていない。印象的だったのは井尻千男氏の記者時代の昔話を伺ったことだろうか。以降、この会には参加しなくなったが、それは自分の勉強不足を思い知った事が大きな理由である。


 さて、本題のモチベーションなのだが、以上の出来事を通じて「あの人」から改めて「経済学は無駄だ」との話を聞き、改めて「無駄なら無駄と分かるまでとことん向き合ってみようじゃないか」という気持ちが自分の中にわいてきたというわけである。それは天邪鬼な気分も多分に影響していたのだろうと思う。また「経済学」の思考法やモデルを通じての経済の解釈に一定の面白さを感じていたこと、そして本当に無駄だという気持ちが自分の中にも芽生えるのだろうかという興味といった理由もあった。そして現在も「無駄なら無駄と分かるまで」とことん向き合う迄に至らず、仕事の糧・ツールとして甘んじて「経済学」の恩恵に浴しているという状況である。


 いうまでもなく「あの人」とは西部邁氏の事である。西部氏の本が好きだというと周りの年長者からは「書生が好きな文体だよね」という話をよくされた。社会に出るようになってからは西部氏の書籍をほとんど読まないようになってしまったが、やはり書生の気質から脱し社会に呑まれるようになったのが大きいのかもしれない。ただ、西部氏の影響力というものは、経済学に今だにわずかなそして時折思い返す疑問が付きまとうという現在の自分の中には確固足る位置を占めているようである。夢中で読んだあの日にはほとんど経済に関する論説である「ケインズ」、「経済倫理学序説」、「ソシオ・エコノミックス」といった書籍を読む程の根気も知識もなかったが、少しは経済を知るようになった今読み返してみるとどのような感想を抱くのだろうか。「無駄なら無駄と分かるまで」とことん向き合うといった水準には全く達していないのだが、新たな気持ちで書籍と語り合いたいと思うこのごろである