ニュータイプ・ガンダム理論の帰結

少し旅に出ておりまして、今日からネット探訪復帰ですw さて、小野先生がブログを始められるそうですね。どんなブログになるのか楽しみです。宿題も山積みなんですが、まずは時間がかからない所から。以前書きました愚稿を再度アップしてみます。


ニュータイプ・ガンダム理論の帰結
 ガンダム世代&経済学loverな私にとって魅力的な「ニュータイプガンダム理論としての小野理論」。
 「ガンダム」とは周知の通り「機動戦士ガンダム」の事である。79年4月から当時の男の子の夢の時間帯だった土曜日夕方5時半の時間帯に放映されたが、放映当時はあまり人気がふるわず、結局放映日程を短縮して放送されるに至る。だが、放映終了後にブレイクし、再放送では20%台の視聴率、そしてガンプラといった商品展開により現代でもガンダムのタイトルを有するアニメが放映されている。
 人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになり半世紀が過ぎたころ、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国と称し、地球連邦政府に対して独立戦争を挑んできた・・といった有名なくだりで物語は始まる。
 「ガンダム」の中では戦いを引き起こした旧世代(オールドタイプ)の行き詰まりを乗り越える存在として、ニュータイプという概念が成立していく。人は互いに分かり合えるのか、そんな思いを抱きつつ主人公のアムロは戦いを終え仲間の元へ帰っていき、そしてライバルのシャアは父を亡き者とし、ジオンを語るザビ家を事実上解体に追い込み、それぞれの思いを遂げるというところで物語は終了し、その後のニュータイプが作る未来に期待を持たせるという形で物語は終了する。
 まさに以上の点をなぞらえて(?!)、ニュータイプガンダム理論としての小野善康教授の理論がある。貨幣保有愛に取り憑かれた現代の旧世代(オールドタイプ)にとっては流動性の罠が根深く、旧世代の罠を脱するためには貨幣愛のくびきから逃れた新世代(ニュータイプ)の台頭こそが必要であり、彼らが消費−貯蓄選好を変え、新たな成長ステージへと日本経済を向かわしめると喝破している訳である。
 ただ「ガンダム」の話には続きがある。つまり、「Zガンダム」、「ZZガンダム」だ。
 「Zガンダム」は「ガンダム」のその後としてのニュータイプアムロおよびクワトロ(シャア)と宇宙(そら)にいながらしてオールドタイプに取り憑かれるティターンズとの争いが描かれる。物語は新時代のニュータイプである新主人公カミーユアムロ、クワトロのニュータイプ同士の世代間ギャップ、そして新時代のオールドタイプであるティターンズおよびジオンの亡霊との新たな戦いとまさに混迷の様相を呈することとなる。
 結局、ニュータイプであるアムロとクワトロは姿を消し、カミーユは精神崩壊をきたす形で物語は終結する。この意味で、貨幣愛のくびきから逃れた新世代は大勢を占めるに至らず、ホリエモンに代表される新たな貨幣愛主義者および旧世代が主流を占め、結局、流動性の罠から逃れられる事は出来なかった。そこに生じるのは長きにわたる紛争により混迷を極めた世界が残されたのみである・・。世代交代および一旦生じた貨幣愛を乗り越える事の難しさ。ただ、それは小野理論では想定内の出来事であった。流動性の罠を超越するには、既存のニュータイプの力では不十分だったからである。
 既存のニュータイプに足りなかったもの、それはその後の「ZZガンダム」の中にみることができる。ZZガンダムでは、Zガンダムに見られるニュータイプ(内向的ニュータイプ)ではない次代のニュータイプが出現する。それは明るいラテンの気質を持った、外向的ニュータイプといえるものであった。世界に対する半ば諦めの中で、外向的ニュータイプはオールドタイプの駆逐に成功することとなる。
 ニュータイプガンダム理論としての小野理論は、貨幣愛のくびきから逃れた新世代に期待をかけるものの、Zガンダムにおける新世代の持つ内向性が新たなオールドタイプに対して大勢を占めることが出来ず挫折することになる。
 だが、その後新たに生じたZZガンダムにおけるニュータイプはラテンの雰囲気を兼ね備えていた。それは競争に敗れたオールドタイプをも捉え、最後には景気の「気」に作用することとなる。この意味でニュータイプガンダム理論としての小野理論は森永ラテン化理論と融合し、ネオ・ニュータイプガンダム理論として貨幣愛から人々を解き放ち、新たな成長局面へと日本経済を導くこととなるのだろう。ただそのためには長い年月が必要なのかもしれない。