政策目標としての潜在成長率を考える(その1)

 経済財政諮問会議等を中心に、今後我が国が持続的な経済成長を為しえていくためにどのような方策が必要であるのかが盛んに議論されている。政府で語られているのは、潜在GDP成長率を高めることで高い経済成長率(実質GDPベースで2.2%程度)を達成する、というものだが果たしてこのような事が可能なのだろうか。経済成長を念頭においた経済政策という発想自体は至極真っ当であるが、幾つか論点を挙げながら考えてみることにしたい。

1.潜在GDP成長率とは
 まず、議論すべき点は「潜在GDP成長率」とは何なのかということだ。「潜在GDP成長率」とは我が国経済が潜在的に達成可能な成長率を意味している。ここで「潜在的」というのは、我が国経済が需要側の制約を受けず、経済成長を行うときに必要な資本、労働を十分に生かした状況、というのが含意であり、言い換えれば「潜在GDP成長率」とは供給側の視点にたった成長率ということだ。
 では、経済成長を行うときに必要な資本、労働を十分に生かした状況というのは一体どんな状況だろうか。
可能性として考えられるのは、まず資本および労働を最大限投入した場合である。資本投入の場合には稼働率が最大である場合、労働投入なら失業率がゼロである場合ということだろう。
 一方、国際機関、政府・日銀等で採用されているのは、資本、労働を「平均的な水準」まで投入した場合の投入量として、潜在成長率を計算する方法である。この場合には、資本投入について稼働率は過去の平均値が採用され、労働投入量は「物価上昇をもたらさない失業率(NAIRU)」に基づいて計算される。
 以上から容易に推測できるが、「平均的な水準」というのはどこまでの期間を対象とするかによって異なり、それに基づいて計算された潜在GDP成長率も異なってしまう。例えば90年代以降の経済停滞期における平均稼働率、NAIRUを前提とした潜在成長率と80年代を含む平均稼働率、NAIRUを前提とした潜在成長率とでは、直近年における潜在成長率の値は異なるというわけだ。

2.実証分析として得られる潜在GDP成長率
 現在の我が国の潜在成長率がどの程度の水準にあるのかを把握する際には、実際に観測されるデータから推計を行うことで潜在成長率を得ることが必要となる。
 例えば日銀レビュー「GDPギャップと潜在成長率の新推計」では、「平均的な水準」概念に即した潜在GDP成長率の計測手法が紹介され、実際に潜在GDP成長率の計測結果が示されている。ここでは、潜在GDPが資本、労働、TFP全要素生産性)の三つの要因によって特定化されるという形で想定されている。具体的にはまず実質GDP=F(資本投入、労働投入)といった生産関数を実際のデータに当てはめパラメータを推計した上で、?資本投入としてJIPデータベースから得られる資本ストックと平均稼働率を当てはめ、さらに?労働投入として15歳以上人口、平均稼働率労働力率、就業率、労働時間の3つを考慮したもの)、?推計した生産関数の残差として得られるTFP成長率の中で短期の景気変動に影響される部分をフィルターにより除いたもの、の3つを代入して推計されている。日銀レビューでは推計の詳細が報告されており、どのような形で潜在GDPを求めたのかが明示されている点については評価できるが、ここで得られている推計結果は数ある潜在成長率推計の一例と見るべきものだろう。

3.あいまいな「潜在GDP成長率」に基づく政策論議の危険性
 以上のように見ていくと、「潜在GDP成長率」とは、概念としては首是できるものであっても実際の数値として得られる「潜在GDP成長率」には、その水準に一定の誤差がはらむあいまいな値であることがわかる。
 さて、ここで問題となるのは、このようなあいまいな政策指標としての「潜在GDP成長率」の増減を一つの目標とする政府の考え方である。各種施策を施した場合、それが「潜在GDP成長率」をどの程度高めるのか、という考え方は理念としてはありえるだろうが、紹介したように「潜在成長率」とはある種の推計により得られた数値であり、推計期間や「潜在成長率」の考え方に依存して変動する性格を有している。
とすれば、このような「あいまいな政策目標」を元に政策手段を議論することは、結局有意義な政策議論に資することはない、と言わざるを得ないのではないだろうか。少なくとも「潜在GDP成長率」に基づいて議論するのであれば、政府、各省庁、日銀といった政策担当者間では同じ推計手法がシェアされており、さらにその具体的手法は広く公表され専門家間である程度の合意がなされていることが必要だろう。そうでなければ各担当者が自分に都合の良い「潜在GDP成長率」を元に勝手に議論することになってしまう。このような状況では有効な政策手段が何かを把握することもおぼつかないのは自明の理、となるのではないだろうか。