日経新聞エコノ探偵団「FTAの経済効果 どう計算?」にツッコンデみる。

 1月7日の日本経済新聞(エコノ探偵団)に「自由貿易協定」の経済効果について記事が書かれています。多分当ブログにお越しの方々だと紙面の記載は納得いかない*1のではと推察します。
 ということで、より突っ込んだ記載を行うとすればどうなるか、紙面の所長さんを納得ではなくやり込めるとしたらどうなるか(笑)、フォローしてみたいと思います*2


1.手法について
 主な手法が二つとして、産業連関表に基づくもの、応用一般均衡モデル(CGEモデル)によるものが紹介されています。この線に基づいて突っ込んでみます。


(1)産業連関表
 産業連関表を用いた波及効果についての論点は旧ブログで書いていますが、一般的には最終需要の変化分が他産業への波及を通じて生産額の増加をもたらすという形で計算がなされます。以上の計算の過程では需要増に伴う価格調整は考慮されておらず、代替効果も考慮されていません。その意味で部分均衡分析、数量分析といわれます。
 産業連関表を用いてFTAの経済効果を求めようとする場合、計算手法としては幾つか考えられますが、まずわが国への生産誘発効果を出すということであれば、最終需要額には輸入分は除かれるため、自由貿易の効果である関税撤廃を織り込むことはできません*3。そこでどうするのかというと、自由貿易に伴って国内生産額がどの程度変化するのかをまず推計した上で、その国内生産額変化がもたらす波及効果を分析するわけです。尚、産業連関表の数量モデルでは各産業間の取引を示す中間投入・中間需要部分が内生変数、付加価値、最終需要は外生変数です。よってある部門の国内生産額変化が他産業にもたらす波及効果を求めるには、対象とする部門を外生扱いとした上で波及効果を求める必要があります。これを部門外生化というわけです。
 個別の試算についてみると、まず、農水省の試算では、小麦と砂糖は安い豪州産の輸入が増えることで国内需要を全量賄う、また乳製品も飲料用以外は全て豪州産となる、牛肉生産も霜降り以外はほとんど消えてしまう、との想定ですが、少し影響を大きく見積もりすぎなのではないかとも感じます。結果として分析者の裁量が入り込む余地が大きいのはコメント氏の指摘どおりでしょう。
 尚、北海道庁の試算で担当者の方がコメントしていますが、(この点は記事の纏め方の問題かもしれませんが)「農業以外への波及も考慮しています」という言葉を文言どおりに解釈すると産業連関表を使っている以上当然と判断され、何を言わんとされているのか釈然としません。きちんとした記載が求められるところです。


(2)応用一般均衡モデル
 応用一般均衡モデルとは、一般均衡理論を計算可能な形に応用したものという意味です。*4 一国についてモデル化するのであれば例えばわが国の産業連関表、内国税、関税データ等を基準にして作成しますし、GTAPモデルやミシガンモデルといった世界モデルであれば世界各国の産業連関表、各国間の輸出入データ、内国税、関税をはじめとする貿易障壁をもとにして、各種弾性値を参照した上でモデルとなる経済構造を再生するようにデータを再現する(カリブレート)ことでモデルは作成されています。
 応用一般均衡モデルにおいても産業連関表を用いるわけですが、(1)の産業連関分析とは異なり、各産業の価格(生産者価格、市場価格)がモデル上で明示的に考慮されているため、価格効果を織り込んでいることが特徴です。FTAの場合には対象となる国・地域間で貿易障壁をゼロと扱った場合に、それがFTA非締結国の貿易にどのような影響を与えるのか(貿易転換効果)、締結国間の貿易にどのような影響をもたらすのか(貿易創造効果)といった観点で分析可能です。以上の意味で当該産業の影響が他産業、他地域にどの程度の影響を及ぼすのかという点が分析でき、産業連関分析とは異なり一般均衡に基づく分析となるわけです。


2.前提により変わる経済効果だが・・。
(1)一般論として言えば・・。

 「経済効果」と銘打っているわけですから、何らかの前提条件を置いた上での経済への影響を試算しているわけです。それは時間的な視点(短期的な効果なのか、長期的な効果なのか)によっても変わるわけですし、どのような要素を織り込むかでも異なります。以上の点は産業連関表、応用一般均衡モデルに限らず世の中で公表されているいかなる試算でも避けられないことです。この点は留意して欲しいと思います。
では産業連関表と応用一般均衡モデルの試算のどちらが望ましいのかといえば、分析の視野が広く取られている応用一般均衡モデルの方が望ましいといえるのではないかと思います。先の農水省試算の例で言えば、「日豪FTAのわが国への影響」を見る場合であれば、「わが国農業への悪影響」のみを抜き出した分析は不当でしょう。つまり効果の正当性は何を分析対象としたのかで判断すべきです。


(2)FTAの経済効果に関する留意点
 以下、留意点としてモデルの違い、折り込む効果の違い、時間軸の違いの三点についてみていきたいと思います。

?モデルの違い
 記事で取り上げられている二つの応用一般均衡モデルについて主だった違いをみてみます。GTAPモデルの場合は完全競争の前提ですが、ミシガンモデルの場合には農業以外の産業は独占的競争を仮定しています。GTAPモデルでは関税はモノの関税のみが考慮されていますが、ミシガンモデルではサービス分野の関税もあわせて考慮されているため、関税撤廃といっても対象とする分野が異なります。それが効果の大小を生み出すわけです。
 FTAの経済効果を分析する際にGTAPモデルがよく用いられているわけですが、これはa)GTAPが提供するデータベースが世界の広い対象をカバーしており、多くの研究者が使用しているという現実があること、b)GTAPモデルは公開されているため、誰でもその内容についてアクセスすることが出来、誰でもどのような理論的前提が付されているのかを知ることが出来る、という意味で試算に際しての前提条件をクリアにするような工夫がなされているためです。

?折り込む効果の違い 
 FTAもしくはEPAといった場合に何を考慮するのかによっても当然結果は異なります。考慮する対象としては関税の撤廃、生産性への影響、国際労働移動の影響、直接投資の影響の4つがまず浮かびます。多くの試算は関税の撤廃効果に、?で示す動学的な影響を折り込んだ場合についてなされています。FTAもしくはEPAのメニューの中で考慮される要素の中で関税の撤廃がメインの試算という事実からすると、「効果が小さい」という理屈も正当性があるでしょう。記事ではどの効果を前提としたのかが明確に記載されていませんが、現実の経済効果がFTAのメニューの一部のみを変化させた場合を対象としている点もあわせて強調すべき点でしょう。余談ですが、「含まれる要素が少ないから効果が小さい」という点と「実際の締結後の効果が小さいのではないか」という論点はそれぞれ個別に検討すべきものです。
生産性の影響は貿易が盛んになることでそれが生産性の向上をもたらすという意味で折り込まれることが*5多いですが、このような操作の正当性は実証分析の結果から判断すべきものと思われます。
 国際労働移動の影響ですが、GTAPモデルでは雇用について国籍の区別を行っていません。よって直接的には困難となります。分析を行うには各国間の労働移動についてデータベースを作成し、労働市場に修正を施す必要がありますが、統計資料が十分に得られないため、分析事例は多くありません。
 直接投資の影響についてですが、GTAPモデルでは国内資本、海外資本の区分がなされていません。そのため、国内資本、海外資本を区分した上で、それがどのような形で発生するのかをモデル化することが必要となります。先行研究では生産主体として多国籍企業をモデル化し、海外資本の変化を金融市場のモデル化に追加する、という試みがなされています。GTAPモデルをベースにしたモデルとしてFTAPモデルが開発されていますが、産業区分に加えて国籍区分を考慮するため、公表されているモデルは産業区分は3産業となっています。以上の状況であるため、FTAPモデルがFTAの経済効果として使われることはほとんどありません。
 これらの4つの要素のほかに、FTAに伴い税関手続きの煩雑化が解消されるといった貿易円滑化の効果を折り込んだ試算もあります。この場合には上記のコストを算定した上で関税率表記してコストを減少させる方法、輸送部門の生産性が向上するとして試算する、といった分析がなされています。

?時間軸の違い
 記事で書かれているモデルは全て時間軸が考慮されていない静学モデルです。これはFTAの経済効果に即して言えば、関税率撤廃といったインパクトを与えた際の最終的な落ち着きどころがどこかを試算しているという意味です。つまり経済学的には比較静学分析というものですね。以上より、あるインパクトがどのような調整メカニズムを経て次の落ち着きどころに向かったのかといった調整過程を時系列に見ているわけではありません。よって何年後に効果が発現するといった分析ではありません。この点は産業連関分析と同様です。
 尚、経済理論では短期・長期といった議論がありますが、短期と長期を分かつものとして資本蓄積の有無があります。GTAPモデルは静学モデルですが、インパクトが生じた際に生じる投資増加が資本ストックとして蓄積し、生産を高めるという意味での資本蓄積効果が考慮されています。これはFTAによって新たに産業の需要が喚起され、既存の生産設備で対応できない場合には新たに生産設備を増強して生産を行うという意味です。ただ資本の変化の過程を明示的に考慮した動学モデルとは違うという点は抑えるべきでしょう。


さて、ご満足いただけたでしょうか?(笑)

*1:記載内容に誤りがあるという意味ではありません。念為。

*2:やや冗談っぽく言いますと、僕にもコメントさせr(ry

*3: (I-(I-MHAT)A)逆行列を用いるのであれば、MHATの部分を調整するという形になります

*4:ちなみに応用一般均衡モデル=Applied General Equilibrium Model(AGE)もしくはComputable General Equilibrium Model(CGE)というわけですが、CGEという略称が良く使われますかね。

*5:GTAPモデルの試算では通常外生変数扱いとなっている生産性(TFP)を貿易量によって説明される内生変数としてモデルを書き換えた上で試算される場合があります。