城山三郎『花失せては面白からず』を読む−再掲−

 以前書いたものですが、韓リフ先生にTB頂いたので再掲させていただきます。経済学愛?な皆様には本書に秘められた思いは・・分かりますよね(笑)。

以下転載

有名な本なので、一々感想を書くのは気が引けるのだが、やはり読んだ本の感想を書きたい(!)ということで書く。本書は、著者の城山三郎氏が東京商大(現一橋大)の学生であった頃の師である山田雄三教授との出会い、そしてその後の交流を描いた著作であり、(本でもふれられているが)城山三郎氏の精神史とでもいうべき本である。城山氏の本は色々と読んではいたのだが恥ずかしながらこの本は未だ読んだことがなく、例のごとくアマゾンで購入してみた。

 内容は、城山氏が東京商大(現一橋大)の経済学部を入学したあたりから始まる。そして、山田雄三ゼミに属した日々の事が語られる。さらに城山氏が学者から小説家に転身した際、小説家としての日々の中で山田教授の精神的影響がいかに大きいものであったかが山田教授との交流を通じて述べられていく。

 「恩師」と呼べる存在があることは幸せなことであるとともに、その場での思い出をより良いものにしてくれるという効用をもたらす。ところで「恩師」とは何だろうか。城山氏が山田教授からの電話があると直立不動で電話口に出ていると奥さんに指摘されるというくだりがあった。「そのつもりでなくても、体がそんな風になってしまう。それが、わたしにとっての教授であり、いまなおそうした教授を持てることに、ひそかに幸せを感じている。」、「わたしにとっての教授とは、その存在を意識すると、体の中を涼しい風が走り抜ける。ふだん生きている世界とはちがう世界からの風が、吹いてくる−そういう存在なのだ。」(括弧部分引用)というくだりと併せて読むと、自己の生きる世界とは違うものの、存在にふれることで背筋を改めて正すような「尊敬する存在」として恩師の存在があるように思う。私事で恐縮だが、私にとっての恩師もそのような存在であり、そのような師に出会えた事が私にとっての大学時代を良い思い出として保たせている要因の一つであることは間違いない。

 本書を読んで私の心に残ったのは、有名なくだり−城山氏が山田教授にゼミ脱会の手紙を書いた際の山田教授による長い返事を収録した箇所−である。

 戦後の混乱期において、これまで是とされていた社会的通念が崩壊し、当時の若者は自らの拠り所としての思想を求めていた。資本主義なのか社会主義なのか、理論経済学(近経)かマルクス経済学かの対立の中で山田ゼミではノイマン・モルゲンシュテルンの『ゲームの理論と経済行動』に基づく抽象的な経済理論を学んでいた。「こうした学問を三年続けていて、果して現実に挑むことができるのか。現実の病への処方箋が出てくるのか。」(括弧部分引用)という疑問を持った城山氏はゼミを脱会する決心をし、手紙を書く。見捨てられるか、叱られるか、を予想した城山氏だったが、教授からの返事は意外なものであり、城山氏は「胸の中があたたかく濡れて行く思いの中で」(括弧部分引用)便箋数枚の分厚い手紙を読み、山田ゼミに留まることとなる。

 詳細は本書をお読み頂ければと思うが、山田教授が一学生である城山氏にうったえたのは、実証的な社会科学とはイデオロギーの問題を捨てて科学的実証研究の地位に安住しているのではなく、むしろ事実を通じて人間探求および意味把握をしているということ、イデオロギーに色目を使う科学には自由がないこと、真の科学とは自己の信念を正当化しようとする「イデオロギー的理論」をうち立てることではなく、客観的な事実認識の積み重ねを無限に続けることで徐々に人の物の考え方にしみこんでいくものであること、であった。

 以上の点は現代にも広くあてはまっていることのように感じる。世の中には多種多様な意見を持った人(媒体)が居る。もちろん様々な意見を持った人(媒体)が居ること自体は何ら問題がない。但し、その中で開陳される意見・議論の中には自己の信念(妄想)を正当化しようとする「イデオロギー的意見・議論」が多いような気がするのは私だけであろうか。城山氏が過ごした少年時代とは異なり、現代は既存の○○主義といえるような「大きな物語」が希薄になるとともに新たな○○主義と呼べる「大きな物語」が生じてきている過渡期なのかもしれない。そんな中、個別の事象を客観的事実に立脚しつつ一つずつ地道に解きほぐしていく努力がより不可欠になってきている。

 本書は社会の矛盾を「大きな物語」(イデオロギー)の枠内で議論することの危険さ、そしてそれが自己の信念を正当化しようとするものであるために還って自己の自由を束縛している事、といった点がいかに大事かを教えてくれる。師と弟子の心温まる関係を簡潔に描き出すという意味でも本書は感動の一冊であり、お勧め本である。