論座7月号特集「「経済」が嫌いな人へ」を読む。

 「経済」及びそれを解釈するツールとしての「経済学」に対する印象はあまり良いものとは言えない模様である。元々経済学に対して拒絶反応を抱いている方には読まれないかもしれないが、この特集は様々な観点から経済学の魅力や問題点を伝えており興味深い。

 特集の中で取り上げられている論説は、青木昌彦・加藤創太「社会科学は統合されていく」、若田部昌澄「フロンティアが今、おもしろい 経済学の現在−」、大竹文雄「「おせっかい」を学問する」、松尾匡「トクの裏にはソンしかないのか」、ユウヘイキョウ「日米はこんなに違う」、某中央官庁官僚「相談できる人がいるならしたいと僕らも思い始めている」、佐藤俊樹「経済学(者)とのつきあい方、教えます」の7つである。

 個々の議論から印象に残った点をみていくことにしよう。経済学者による論説は上記のうちの5つであり、「経済学」というものに対する一般のイメージから「経済学」が逸脱しようとしている点を伝えている。青木・加藤対談はゲーム理論及び制度分析の考え方を基点にして経済学と他の社会科学との相互乗り入れの可能性を議論している。官界で学問的に洗練されている分野が国際経済学という指摘には同意である。通商法と国際経済学といった形で相互乗り入れがなされ、それが政策に生かされやすいという側面もある。国内政策の分野でもっとミクロ経済学的な発想を生かした政策研究に理解がされるようになって欲しいとも思う。若田部論説はレヴィット、コーエンをはじめとするあらゆる分野での新しい分析に着目している。多数の海外経済学者がブログを運営しているが、こんな論説を読んだりできるのはネットの恩恵だろう。大竹論説は経済学の現在の動きとして、経済学を学ぶとどんな意味で役に立つのか、人間の非合理性を前提とした場合、人が望ましいと考える制度が逆に人を不幸する可能性があり、制度設計がはらむこのような問題におせっかいをすることが今後の経済学の中心領域になるのではと議論している。松尾論説は、所謂「経済学的発想」と「反経済学的発想」の間の違いに着目して、経済学に関する対立軸を論じている。論考で挙げられている発想の違いは様々な経済学の分野に当てはまるのではないだろうか。とても面白い。最後にユウ論説は日米の実証研究への理解の違いについて議論している。最近松井証券が行動ファイナンス研究のために個人データを提供するという話(結局無期限停止)があったが、個票データの使い方に対する周囲への説明を十分に行うことが改めて必要だと感じた。

 さて、経済学にそれなりに親しんでいる人間からすると、経済学が他の領域の方からどのように思われているのだろうか?という点が興味あるところだが、その意味で、某中央官庁官僚氏論説と佐藤論説は面白い。某中央官庁官僚氏の審議会メンバーの人選の話は当たらずとも遠からずだろうが、官庁や人によってバイアスは当然ながらある*1。統計に立脚しながら数字で政策効果を議論できる研究者が少ないというのは同意だが、政策ニーズとの結節点としての役割を果たす組織・人の充実が不十分であることも理由だろう。どのレベルまで考察するかにもよるが、社会保障に関して言えば財政再計算のデータが開示されないと詳細な検証は難しい。佐藤論説では、まともな学者を判別する方法が印象的だ。経済学も学問の一分野であり、全ての個別事象に完璧な答えを準備しているわけでもない。個別事象に対して完璧な答えを出すことに期待するのは意味がない。ただ経済学が持っている考え方の枠組みの適用範囲は意外と広いし、現在も「イメージとしての経済学」の諸前提を崩し、枠組みを広げる工夫がなされていることも事実だろう。

*1:詮索をしても詮無きことですが、官僚氏はなんとなく経済系の官庁に属している方ではないような気もするのですが違うかなぁ。