物価に関する論点

 今般の物価動向を判断し、見通していく上で各所から様々な議論が取り上げられている。以下、幾つかの論点について備忘録的に整理を行いつつ、感想を書いてみることにしたい。


1.消費者物価指数の持つバイアス
 消費者物価指数は基準時点の財の消費構成(ウエイト)を参照して、各財の価格指数を集計した指数である。これはラスパイレス形式と呼ばれる。
 各財の間の代替関係を考慮すると、調査時点においてある財の価格が上昇している場合、代替的な財の支出が増加する一方である財への支出は減少し、消費構成は変化する。消費構成の変化を考慮すると、基準時点の財のウエイトを元にして算出するラスパイレス方式は価格が上昇した財のウエイトを過大評価し、逆に価格が下落した財のウエイトを過小評価することで、「真の物価水準」と比較して上方に偏る、つまり上方バイアスを持っているという特徴を持っている。結局、ラスパイレス方式により算出されている消費者物価指数は以上のメカニズムで「真の物価水準」よりも高めに評価されていることになる。この上方バイアスは対象となる時点の物価指数が基準時点から離れる程、大きくなる。そのことは総務省が参考系列として公表している連鎖方式の消費者物価指数(ウエイト変化を調整したラスパイレス形式の物価指数)と固定方式の消費者物価指数との差をとってみれば明らかである。
 ではなぜ消費者物価指数ではラスパイレス形式が採用されているのかといえば、それは統計の「足が速い」ということが理由の一つだろう。つまり各財の価格変化さえ押さえてしまえば基準年次のウエイトを用いて即座に計算が可能となる。対照的な手法として、推計時点のウエイトを用いたパーシェ方式があるが、推計時点の価格変化を把握するのに加えて、各財のウエイトを把握する必要があるため、統計の「足は遅く」なる。日銀は即時的な政策判断が求められるとの理由から、消費者物価指数を金融政策の判断基準として用いているというわけである。
 尚、ラスパイレス指数、パーシェ指数、そしてこの二つの指数の幾何平均をとったフィッシャー指数による物価指数の結果を見たのが以下の図表である。


 図表では物価水準を判断する際の財として豚肉と牛肉の二財のみを考慮している。時点1、時点2の豚肉・牛肉の消費量・価格が図表のように示されている場合、時点2におけるラスパイレス指数は時点1の時の値を100とすれば、(70×10+80×5)/(50×10+100×5)×100=110.0となる。一方でパーシェ指数は(70×4+80×7)/(50×4+100×7)×100=93.3である。フィッシャー指数はラスパイレス指数・パーシェ指数の幾何平均であり、両指数が持つ偏りを平準化する指数である。これは最良指数と呼ばれている。よってフィッシャー指数の値は(110.0×93.3)の1/2乗=101.3となる。
 ここで注意すべきは、3つの指数による物価指数の計測結果の違いは財価格の集計方法の違いによるという点である。偏りがない最良指数であるフィッシャー指数による物価指数の値を基準にすれば、ラスパイレス指数の結果はフィッシャー指数よりも上振れしており、パーシェ指数の結果は下振れしている。
消費者物価指数の計測バイアスとしては、他にも品質変化・新製品登場に伴うバイアスやアウトレット代替に伴うバイアスがある。品質変化のバイアスとは基準時点における財と調査時点における財との間に品質の格差が存在している場合、「同種・同質の財の価格変化を集計して物価変化をみる」という原則を満たさないことを指している。つまり品質向上が著しい財を同質と見做して計測してしまうことで品質向上による分だけ上方にバイアスを持つことになる。新製品登場によるバイアスは、新製品が調査時点で登場することで生じる上方バイアスである。アウトレット代替に伴うバイアスは消費者が実際に購入している商店と調査対象となっている店舗が異なることで生じるバイアスである。
 品質変化・新製品登場の影響を十分に除去できない場合、上方バイアスは拡大するため、消費者物価指数の値は「真の物価水準」に対して大きくなる。かなり前置きが長くなってしまったが、以上で指摘したバイアスを念頭に置きながら、昨今なされている議論を考えてみることにしよう。


2.CPI<「真のCPI」?
 さて、朝日新聞の経済気象台で「インフレ感のズレ」と題する記事が掲載されていた。*1この記事は日銀「生活意識に関するアンケート調査」では消費者の実感としての物価上昇率は3.7%であることが指摘され、一方で消費者物価指数は下落しているという統計事実のズレについて考察している。
ここでは例としてパソコンやデジタルカメラが取り上げられている。つまり新型のPCが導入されても旧型のパソコンの価格は店頭価格として見た場合では下がっていないのに、消費者物価指数上の旧型のパソコン価格は品質調整を適用することで下がっているものとして扱われているという点である。経済気象台では消費者物価指数における品質調整の考慮方法に問題があると論じる。この議論は正しいのだろうか?
 結論から述べれば、以上の議論は正しくない。これは「品質調整」そのものについての誤解である。「同種・同質の財の価格変化を集計して物価変化をみる」という観点に即して言えば、新製品のパソコンと旧製品のパソコンには明らかな品質変化があるわけだ。それはスペックかもしれないしデザインかもしれない。消費者物価指数が「同種・同質の財の価格変化を集計して物価変化をみる」目的で作成されている以上、品質格差が存在しているのならば、それは価格によって調整するしかない。よって旧製品の価格は新製品を反映して安く調整されるわけである。
尚、経済気象台では別の論点として、パソコンやカメラの価格下落が食品やガソリンの価格上昇を相殺しており、実感としてインフレであるにも関わらず結果として消費者物価指数は減少していると指摘している。これは消費者物価指数の作成方法と、消費者物価指数(物価)の意味を混同した議論である。消費者物価指数は消費者が購入する平均的な財の組み合わせ(バスケット)を考えた上で、各財の変化を推計し、さらにそれをウエイトにより集計したものである。食品やガソリンは必需財に位置づけられるだろう。一方でパソコンやカメラは嗜好品といった部類に属するだろう。必需財の価格上昇は価格上昇前と比較して家計の購買力を低下させる。つまり、これまではパソコンやカメラといった製品を購入することが可能であった人が購入できなくなるという事態を発生させる。新製品のカメラやパソコンが旧製品とほぼ同じ価格に据え置かれているという現状は、食料品やガソリン価格の上昇による購買力の低下や、さらに言えば可処分所得の停滞が新型カメラや新型パソコンへの需要を停滞させた結果としてもみることができるのではないだろうか。


3.CPI>「真のCPI」?
現在公表されているCPIが「真の消費者物価指数」と比較して大きな上方バイアスを持っているとする議論は、基準年の改訂がなされた2005年以降においてもなされている。例えば、現行の推計方法の元で各財のウエイトに基づくバイアスがどの程度かを探ることは容易である。それは連鎖方式の参考系列と基準年次固定の正式系列の差をみれば良い。直近値の2007年6月では、ラスパイレス連鎖指数に基づくCPIコアは99.2(2005年=100)だが、基準年次固定のCPIコアは100.1(2005年=100)である。つまりウエイトの違いのみで0.9ポイント程度、真のCPIよりも上方にバイアスがあるという推測が成り立つ。
 既に各所で取り上げられているとおり、Broda and Weinstein(2007)では我が国のCPIの上方バイアスは2006年の1年間で1.8%程度という結果を導いている。仮にこれが事実だとすると、消費者物価異数公表値より算出したインフレ率は真のインフレ率より1.8%程度上振れているということになる。問題はこの指摘がどの程度正当性があるのかという点だろう。総務省等の反応が興味あるところである。


4.まとめ 
 以上、消費者物価指数に関して最近議論されている点を敷衍した。消費者物価指数は各財の基準時点からの価格変化を一定の方法で集計することで得られる。この集計の過程で、消費者物価指数は上方にバイアスを持つため、真の消費者物価指数の値よりも高めに数値が出ることになる。厳密な意味で消費者物価指数の真の値を把握することは困難であるが、例えばウエイトが直近時点を反映していないといった上方バイアスについては連鎖指数との比較といった手法でも推測が可能であり、さらに最良指数であるフィッシャー指数やトゥルングヴィスト指数といったものとの比較結果を取り入れつつ、政策判断の議論に生かしていくことが必要である。さらにCPIの推計誤差について議論する場合には、それが需給関係に起因した問題なのか、テクニカルな推計手法に依存した話なのかどうか、の2点をきちんと腑分けすることが必要だろう。
 政策判断の議論との兼ね合いで問題となるのが、GDPギャップとCPIの関係である。GDPと潜在GDPとの乖離幅であるGDPギャップがプラスであるのになぜCPI、もしくはGDPデフレータといった物価指数は安定的なインフレとはならないのかという議論が多々なされている。
この原因として高齢化や様々な要因を指摘する論者が居るが、潜在GDPそのものに問題があるというのが最もありそうな仮説である。なぜかといえば、CPI自体は上方バイアスを有しているため、公表されているCPIの値より上方に真のCPIが位置づけられることはありえないからである。CPIについて問題となるのは、公表されたCPIが真のCPIと比較して過度に高い水準である場合のみであり、「GDPギャップがマイナスなのに、CPIからみた物価動向はインフレである」際にはCPIの水準を多いに疑う必要がある。
 勿論、現状で議論されているのは逆の話である。GDPギャップの推計に際しては潜在GDPを推計することが必要となるが、潜在GDPの推計には(生産関数に基づくのであれば)資本、労働、といった指標を収集・推計する必要がある。我が国の公表統計において資本統計には多くの観測(推計)誤差が含まれている可能性、資本*2、労働*3TFP *4の想定・推計については多様な論争点が存在する点を鑑みれば、現在コンセンサスとして挙げられている潜在GDP推計こそ誤りであり、政策判断の指標としても採用されているCPIの水準を信頼するには何をすべきかという点こそ議論されるべきではないだろうか。

*1:http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/business/column/index.html&date=20070808040752

*2:公表統計では1970年国富調査以来、十分な形での調査はなされていない。生産関数の議論では、対応する説明変数はある資本から生み出される資本サービスであり、現行多くなされている生産関数推計は資本の物理量とサービスが一対一対応するものと仮定している。

*3:例えば以前推計した構造失業率の問題

*4:TFPは残差として事後的に導かれ、その精度は生産関数の定式化・推計結果に依存している。又、構造的失業率にも共通する点だが、構造要因と景気要因を峻別することが困難である。