小野善康「ケインズ『一般理論』と不況動学−『不況のメカニズム』(中公新書)」報告会メモ

 本日15時から専修大学にて掲題の報告会が開催されました。参加自由ということなので、私も隅っこで先生方の議論を拝聴しました。
 野口先生、平井先生、田中先生、大和総研原田さん、稲葉先生(お会いしたことないので断言できないのですが・・多分)、以前仕事でお世話になった作間先生、同じく仕事でお世話になった記憶がある某省の方・・を含めて40名は居たのではないでしょうか。会場の席は満席でした。
 それから、11/10に橋本努『帝国の条件』合評会、12/22に野口(編)『経済政策形成の研究』合評会が催されるとのお話が。参加自由でしたらこちらにも行ってみたいものです。

 以下、備忘録代わりに私の理解の範囲内で纏めてみたいと思います。出来るだけ言及した部分については正確を期すようにしますが、誤解している箇所もあるかと存じます。その点はご理解を頂くとともに誤り等ございましたらコメントを頂ければ幸いです。15:00から開始して一回休憩を挟んで17:30までの予定が終わったのが18:00。やはり本を読んで考えるのと、議論を聞くのは違うなぁというのが実感。かなりお腹一杯な内容で興味深かったですね。刻が経つのを忘れました(笑)。懇親会でのディープ議論は田中先生のブログをご参照下さい。

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1.「不況理論」のモチベーションとケインズ『一般理論』(小野先生)
 『一般理論』にはコンプレックスを持っていた。宇沢弘文先生の下で経済学を学び始めた時、『一般理論』を読んでみたがさっぱり分からない。そこで宇沢先生のケインズについての著書を読んだが、「ケインズはこう言っていた」という記述に終始しており、「だから何なのだ」という側面が全くなかった。それで「だから何なのだ」を解こうとしたのがモチベーションだ。
 私はこうして『一般理論』を読まずして自分の「不況理論」を作り出した。自分のモデルをバーナンキグロスマンに語ったのだが、彼らの反応は「そのモデルの考え方はスタンダードだ」というものだった。そして過去宇沢先生が取り組んでいた仕事を知った。
 自らの「不況理論」を構築した後で『一般理論』17章を読んだのだが、自分自身はこの時『一般理論』をはじめて理解したような気がした。そして最初から読みなおしてみたら『一般理論』を理解できたような気がした。読み直してみて思うのは、ケインズは自らの体系について必ずしもきちんと論理的に把握しきれていなかったのではないかという思いである。ケインズ新古典派批判に傾注するあまり、自らの論理を詰めきれていなかったのではないか。勿論、これでケインズが評価されないということではない。経済学者はまず着想が重要だからだ。ケインズを例えると高橋亀吉なのではないか。理論家ではないが直感的に物事の本質を指摘できた人だったと感じる。
 私の「不況理論」に対して「それは消費不足論だ、ケインズの理論は消費ではなく投資に着目したものではないか」という反応があるが、『一般理論』17章の議論を論理的に検証していくと、消費の重要性が分かっていなかったから投資に着目することになってしまったのではと思う。『一般理論』の最初の部分で、時間選好率と流動性選好、流動性プレミアムの議論にふれていたのに、消費関数はケインズ型を採用してしまった。勿論その中には貯蓄との選好は含められているが、不十分だった。
 『一般理論』では、豊かな社会になると投資は最終的にはゼロになると何度も指摘されている。経済成長が進めば投資は止まる。とすれば不況理論には消費こそが鍵となる。ケインズが指摘したのは、所得が増えるほど消費が増えないという点だ。所得は総生産と言い換えることも出来るので「総生産のうち一部分しか消費されない」という仮定を置いていることになる。均衡するためには投資が増える必要がある。一方新古典派のメカニズムは価格(名目)調整で均衡するといっているので、議論がかみ合っていない。
 ケインズの消費関数を前提としている(従来型の)IS-LM分析や乗数効果の把握は冷静に考えると誤りである。こう見ていくと常識レベルで捉えられているケインズの理論は誤りとなってしまうが、勿論そうではなく、消費関数の定式化が誤りなのだ。

2.野口先生コメント
(1)「構造改革主義」批判について

 本書で述べられている構造改革主義=淘汰主義への批判については同感だ。非効率の最たるものが需要不足失業の存在である。現行の構造改革はわざわざ非効率を増やす政策であり好ましくない。但し、「新古典派=淘汰主義」という図式は疑問だ。松尾教授の議論に即して言えば、淘汰主義は通俗的新古典派の理解=反経済学に対応しているのではないか*1

(2)マクロ経済学の対立軸について
 小野理論が「真」のケインズ理論であり、新古典派の特殊ケースとして硬直性を考慮したのがニューケインジアンという理解は正しいのだろうか。
マンキュー「科学者及びエンジニアとしてのマクロ経済学者」の中でソローの米国経済学会の会長演説の話が記載されている。ソローは新古典派の経済学者たちが賃金と価格の硬直性の想定や市場が均衡しない可能性を排除していることを例えて、以下のように述べている。「私は以前、キリンが十分な量の血液をどのように頭部にまで運び上げているのかについてはまだ解明されていないと読んだことがある。しかし、それゆえにキリンは長い首を持っていないのだと結論付ける人々がいるだろうことはまったく想像もできない。」つまり、経済システムには硬直性が存在しているという事実がある。硬直性を無視してモデルを組んだとしても政策には役立たないのではないか。
この硬直性には二種類あり、一つは実質的硬直性(例えば構造的失業の存在)だ。これはマクロ経済政策で是正することはできない。もう一つは名目的硬直性である。これは賃金や物価といった名目変数が硬直的であるという意味であり、これはマクロ経済政策で是正できる。
小野理論が想定する世界は、硬直性は存在しないが、不況の鍵概念として流動性プレミアムの存在が考慮されている。これは評価したい。但し小野理論は「ケインズ理論」ではないのではないか。

(3)小野氏の「流動性の罠」について
 小野理論によれば、「流動性の罠」が生じる状態とは、流動性プレミアム>物価上昇率+中立実質利子率(=時間選考率=収益率)と記載されており、流動性プレミアムを名目利子率と見做せば、名目利子率>中立実質利子率+物価上昇率となる。クルーグマンによる流動性の罠の解釈は、名目利子率が下限に落ち込みゼロとなった場合に0>中立実質利子率+物価上昇率となることを意味しており、小野理論から得られる流動性の罠の解釈の特殊ケースとしてクルーグマン流動性の罠を解釈できるのではないか。デフレが流動性の罠に陥る可能性を強めるのであれば逆(つまりインフレが流動性の罠に陥る可能性を弱める)と言えるのではないか。

(4)マクロ経済政策の役割について
 小野理論の枠組みでは物価上昇率が考慮されているのに著書の中では金融政策は無効であるとの議論がされている。又財政政策も乗数効果無効論から否定される。つまり金融政策と財政政策の両方が働かないということになる。
 不況に陥った際に、経済メカニズムが自律的にはたらいて好況をもたらすことはないと指摘されている。これは新古典派以上のマクロ経済政策否定論ではないか。
 景気には世代交替が必要*2ならば、世代交替の間はGDPギャップに相当するだけの財政支出を「意味のある投資」として行う必要があるのか。
 なぜ「期待への働きかけ」を放棄するのだろうか。小野理論はインフレターゲット策の理論的基礎にもなりえると思う。現在の金融緩和にコミットするのは無意味だが、将来の金融緩和にコミットするのは意味がある。小野理論における(3)の流動性の解釈からすると、流動性プレミアムはゼロではないため、クルーグマン以上のインフレ目標を提示しなくては小野理論に基づけばデフレから脱却できないと理解することも可能である。

(5)残りの若干の疑問
 著書の不況下における実質賃金の上昇や貨幣賃金の低下といった現象はIS-LM,AS-ADの教科書モデルから得られる帰結と整合的である。著書の中の「内需拡大→経常赤字→通貨安→需要拡大」という図式はマンデルフレミングモデルの財政政策効果分析とは対立している。これはなぜなのか。


3.平井先生コメント
(1)『不況のメカニズム』の意義

 著者の『一般理論』理解とケインズ理論への基本的な同意点、同時にその限界を乗り越える自らの理論の提示、からなる意欲的な構想を公衆向けに示した著作である。「失われた10年」をめぐって様々な論争が繰り広げられてきたが、著者は不況の根本要因を有効需要の不足に求める論客である。強調されているのは、サブタイトル「ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ」が示すとおりである。著者は、ケインズが「新古典派」と異なるビジョンのもとで理論を立てている点については全面的に賛成する。但し、本書でより重要な点は、小野理論(「不況動学」理論)は『一般理論』が陥っている欠点を乗り越えたものである、という主張である。

(2)小野理論について
 小野理論は2つの要素からなる。第一にモノと貨幣の間の流動性選好(流動性プレミアム)、第二に、家計の動学的な予算行動(時間選好率)であり、これらをl曲線とπ曲線として示している。第一の点は人々の貨幣願望を示し、第二の点は消費関数(乗数理論)を完全否定し、それに代わるものとして位置づけられている。流動性の罠を時間選好に基づく消費の利子率に結びつける点が強調されている。
 著者はIS-LM理論には批判的である。まずISの中の主要素である消費関数を否定している。また、ニューケインジアンの理論やインフレターゲット論についても否定的である。
 IS-LM理論に関してコメントすると、ISを残し、LMを捨てるべしという立場の人は少なからず存在する*3。著者の場合はISは不要であり、LMを変形した上で残すという立場にたっているように思われる。
 著者が『一般理論』の中で重視するのは17章だが、この章を重視してきた研究者はポストケインジアンのなかにも居り*4、著者の立場は少ないけれどもゼロではない。『一般理論』の16章までの議論を理論A、17章以降の議論を理論Bとすると菱山泉氏はスラッフィアンの立場から理論Bを重視していた。
 ケインズ理論の革新的部分を「流動性のわな」に求めるという考えは初期から存在する。*5。著者の場合、LM曲線そのものを使用しているわけではないため、必ずしもこの中に属さないといえる。

(3)抽象化とモデルの「使い易さ」
 ケインズの消費関数は直感から組み立てられたという側面もあり、統計的に検証し易い。その意味でフィリップスカーブの議論と同じジャンルに属する。又、現実との対応の中で、ライフサイクル仮説、履歴効果、等々の反論がなされてきた。
 一方で『一般理論』17章に基づく著者の立場に立った議論は非常に抽象的なものだ。多数の資産の間での個人の合理的選択の問題(利子率の均等化)としてモデルが立てられている。この抽象的な側面は政策論を論じる場合に不利になるように思われる。

(4)「ケインズvs新古典派」という位置づけをめぐって
 著者は「ケインズvs新古典派」という構図で一貫して論じており、ケインズ的ヴィジョンに賛成する立場だ。但し、ここで言及されている「新古典派」の意味について言及する必要がある。例えばケインズと同時期の「新古典派」としてホートレー、ロバートソンも挙げられるかもしれない。但し彼らを「新古典派」と見てよいのか?という点については根拠がない。小野理論における家計の動学的な予算行動の導入は、「ケインズvs新古典派」という見方ではなく、新古典派要素の再導入という理解も可能ではないか。

4.リプライ(小野先生)
(1)「構造改革主義」批判について

 本書の目的は学説史ではなく、『一般理論』を自分なりに論理的に詰めてみたものだ。その点はご容赦いただきたい。『一般理論』を読むと、失業の持つ意味(非効率性)が再三述べられている。当時のイギリスの状況は我が国の小泉政権の状況と同じであった。人間は進歩していないと感じる。「新古典派=淘汰主義」の図式は疑問との指摘だが、勿論、パレート効率性や比較優位論の含意は認識している。但し、新古典派はコアな部分では淘汰主義と繋がるのではないか。

(2)マクロ経済学の対立軸について
 「価格硬直性の強調」というケインジアンの持つ側面については、自分は学説史家ではないのでコメントできない。ケインズ『一般理論』に即してコメントすると、『一般理論』が「一般」と言えるのは、Dixitが指摘するようにある意味何でも書いてあるからという側面もある。ケインズはとりあえず価格が止まったもの(硬直的)として持論を展開するが、価格を動かした(伸縮的)としても同じ問題に直面する。つまり、価格硬直性が重要ではなく、価格硬直性が成り立たないとしても「なぜ不況が生じるのか」を説明できるという点が重要なのではないか。仮に「価格硬直性」が問題だというのであれば、近年の価格破壊といった現象は「価格硬直性」を除去しているのだから正しいという理解になってしまう。

(3)「流動性の罠」について
 まず私の理論では「実質的硬直性」は考慮していない。常に実質ベースでは均衡する。つまり名目(貨幣的現象)により不況が生じるということになる。この点は野口氏の理解と同じである。
 小野理論から得られる流動性の罠の解釈の特殊ケースとしてクルーグマン流動性の罠を解釈できるのではないか、との指摘だが、私のモデルはクルーグマン流動性の罠とは関連していない。

(4)マクロ経済政策の役割について 
「究極(新古典派以上)のマクロ政策否定論」という指摘だが、そうかもしれない。近年の日米の経験を踏まえて考えると、マクロ経済政策が景気循環に影響を与えられなかったのではないか。大規模な不況が生じた際には政策として何をやっても無駄なのかもしれない。
本当に何もしなくて良いのかというと、需要不足失業が生じているのならば就業を進めることで無駄な資源が利用され、効率的になる。但し、これはマクロ経済政策とは全く関係ない話だ。
 インフレターゲット策については、「将来」物価上昇にコミットするとして本当にそんなことが可能なのかが疑問だ。例えば2000年に物価上昇するといって本当にできるのか。「将来」のある時期が訪れる前にコミットメントが変わったらどうなるのだろうか。以上はモデルの帰結を使った政策手段の話であり、結局「コンニャク問答」*6だと思う。この場でこれ以上続けても仕方がない。
 期待によって物価上昇率をコントロールできるかは難しいと思う。ニューケインジアンフィリップスカーブ等を折り込んだモデルで階となりうる物価の経路を得ることは困難である。確かに私のモデルからは流動性プレミアム>物価上昇率+中立実質利子率という関係が導かれており、流動性の罠を脱する際に物価上昇率が影響していることは事実だろう。しかし理論として言えるのはここまでであり、物価経路をコントロールできるかどうかは別の話で、かつ困難だというのが理論家としての私の立場だ。

(5)小野理論と「ケインズvs新古典派
 IS曲線は不要という考えではなく、π曲線という形で全く違う形のIS曲線を想定したと自分は考えている。自分のモデルもLM曲線のイメージと結局は同じだ。
 『一般理論』17章のケインズ新古典派的な考え方にたっている。時間選好率を考慮するというのは『一般理論』で語られていることであり、その意味でケインズ的だと認識している。

5.質疑応答
 幾つかの点について活発な質疑応答がなされましたが、以下「乗数理論について」と「流動性の罠物価上昇率の位置づけ」について記載します。

(1)乗数理論について
a)SNA統計上の乗数効果と小野先生の乗数理論批判をめぐって

 93SNAでは政府サービス部門については費用項目の積み上げとして推計がなされており、公共投資=政府が家計から財・サービスを購入するため、乗数効果はあるのではとの指摘があった。
小野先生のリプライは、現行のSNA統計の作成方法は理解しているが、私が批判しているのは理論的な側面としての「乗数理論批判」である。SNA上でGDPが増えると言っても、それは経済厚生が増加することには繋がらない、というものだった。

b)ケインズ型消費関数について
 ケインズ型消費関数を仮定した場合、理論的に乗数効果が論証できるのではとの指摘があった。
 小野先生のリプライは、元々ケインズ型消費関数は理論的に誤りであり、それを前提とした乗数理論は間違いである、さらにGDPを所得として流れ込むもの、付加価値の二つに分解して、ケインズ型消費関数の元で乗数効果を論証すると乗数効果は否定される、とのことだった。
 実証的にケインズ型消費関数が確認し易いのは、GDP(所得)の一構成要素として消費があるため相関が高いためである。又別の論点として、恒常所得仮説に基づいた消費関数の計測から乗数を求めた近年の研究からは(統計上の乗数効果を認めたとしても)乗数効果は小さい、という指摘があった。

(2)「流動性の罠」と物価上昇率の位置づけ
 野口先生のコメントに対するリプライに関連して、議論がなされた。印象的な点としては、ケインズが想定した「貨幣経済」とは、いくら紙幣を刷っても紙幣の不足は止まらない世界との小野先生の指摘である。では、理論的対応として物価の側面が生かせないのかといえば、その点は確証がないとの答えだった。
 又、関連して合理的期待=完全予見と看做した現在の経済論壇についても注意すべきとのコメントがあった。理論家にとっては勿論合理的期待が完全予見に繋がらないことは明白であり、小野理論においても情報のバイアスが無いとしても不況が生じることを主張している。

6.感想
 以上長々と纏めてみたが、とても興味深い議論だった。議論から個人的に関心を持った点は以下の二点である。
まず小野理論で含意している、流動性の罠物価上昇率の関係についてだが、理論家としての立場としての「物価の経路のコントロールの可能性」についての小野先生の考えは他でも指摘されている点でもあり、理解できる。但し内外の研究者が指摘するように「期待によってコントロールできる」という議論もあるのも事実だろう。
 一方で「物価上昇率にコミットすることが可能か否か、その手段はあるのかないのか」という議論は確かに小野理論の帰結からは「コンニャク問答」かもしれない。だが小野先生の議論における「不況に対する新古典派以上のマクロ政策否定論」には首是できない。なぜかといえば、90年代以降の日米のマクロ経済政策と景気循環との関係において「マクロ経済政策が景気循環に全く影響しない」というのは言いすぎなのではと思うためだ。極論だが、当時政策金利を一定にしていても景気循環に全く影響を及ぼさなかったのだろうか。そうではないと思う。
 もう一点目は、小野先生の「乗数理論は無効である」との指摘である。理論上の帰結として「乗数効果は意味がない」という指摘は同意だが、では小野先生の言われる経済厚生を示す指標をどう統計として作ればよいのか、という点は(既に様々な議論があるところだが)難しい問題だと感じた。

帝国の条件 自由を育む秩序の原理

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経済政策形成の研究―既得観念と経済学の相克

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*1:「反経済学」等の松尾教授の議論についてはhttp://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20070919をご参照。

*2:ちなみにhttp://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20060614における「ニュータイプ理論」に相当します(笑)

*3:レイヨンフーヴッド(貸付資金需給説を採用)、ブラインダー(ISは重要だがLSは不要)等

*4:Rogers〔1989〕、原〔1994〕、Potestio〔1992〕、Tonveronachi〔1992〕等

*5:例えばHicks〔1937〕、Modgliani〔1944〕、Friedman〔1970〕

*6:千日戦争状態(笑)