原材料価格の高騰に伴うインフレ期待の行方

 近年の原材料価格の高騰やサブプライムローン問題の深刻化を受けて、近い将来我が国経済は物価上昇と実態経済の悪化が共存するスタグフレーションに陥るのではないかとの声も聞かれるようになった*1
 尤も政府の経済見通しや経済予測機関の見通しでは、08年前半は厳しい状況が続くものの、後半になると回復基調に乗るとの見方が大勢となっている。「原材料価格の高騰がインフレをもたらした」という時、多くの人々の頭によぎるのは70年代の「狂乱物価」の動向だろう。結論を先取りすれば、個人的にはスタグフレーションが生じる可能性は限りなくゼロに近いと思う。以下では70年代の「狂乱物価」の動向を跡付けつつ、直近で生じつつある原材料価格高騰がどのような影響を我が国の経済に与えうるのかを見ていくことにしたい。

1.70年代における「狂乱物価」の動向と00年代の比較
(1)各種物価指数の比較
 
 さて、オイルショックは73年、79年に生じたわけだが、当時の物価の動きはどのようなものであったのだろうか。図1−Aは国内財の価格動向を示すGDPデフレータ、企業間で取引される商品の価格動向を示す卸売物価指数(WPI)、消費者が購入する財・サービスの価格動向を示す消費者物価指数(CPIコア)、輸入財の価格動向を示す輸入デフレータを見ている。
 この図を見て、まず輸入財の価格が第一次オイルショック(73年〜)、第二次オイルショック(79年〜)のタイミングで大きく上昇していることがわかるだろう。そしていずれのショックにおいても物価上昇の程度は前年同期比で70%を超えるという規模に達している。また輸入価格が上昇しはじめ、下落に転じ、さらに安定した水準に達するまでの期間は2年程度となっていることもわかる。図1−Bは参考までに00年代の物価動向を見ているが、周知のとおりCPIコア及びGDPデフレータはマイナスからゼロ近傍で推移し、卸売物価及び輸入デフレータの伸びはプラスであるものの、その程度は1970年代と比較して小さい。勿論、最近時点の輸入物価が反映されておらず今後は70年代の70%に迫るような規模の上昇がありえると言うことも出来るかもしれない。しかし、12月時点までの輸入物価指数から計算した対前年同期比は10%を下回っていることや、原油価格高騰にも限度があること、を勘案すると70年代と同様の輸入物価上昇が生じるとみるのは非現実的だろう。

図1-A:1970年代の物価動向


出所:SNA、卸売物価指数、消費者物価指数

図1-B:2000年代の物価動向

出所:SNA、卸売物価指数、消費者物価指数

図2−Aは輸入物価指数を財別にみているが、この輸入価格の高騰は原油価格(鉱物性燃料)の高騰によることがみてとれる。00年代についても輸入価格の上昇は原油価格の高騰によるという意味では共通である。

図2-A:輸入物価及び財別寄与度(1970年代)

出所:SNA、輸入物価指数

図2−B:輸入物価及び財別寄与度(2000年代)

出所:内閣府「今週の指標No.846」
http://www5.cao.go.jp/keizai3/shihyo/2007/1126/846.html

 先のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080107/p2)でも論じたとおり、輸入物価の上昇は国内財の物価動向を示すGDPデフレータにはデフレ要因として作用する。しかし図1−Aを見るとGDPデフレータは第一次オイルショック時で最大約21%、第二次オイルショック時点においても横ばいか上昇傾向で作用している。
 この理由はGDPデフレータGDPを構成するコンポーネントの変動に左右される点を考えると分かりやすい。つまり、GDPは消費、投資、純輸出(輸出−輸入)の和であるため、輸入物価上昇に伴うGDPデフレータへのデフレ圧力を打ち消すだけの物価上昇が消費、投資、輸出において生じたということである。この点を確認したのが図3−Aである。図をみると、輸入物価(輸入デフレータ)の上昇は国内財の物価動向に対してマイナスに作用しているが、民間消費、設備投資、公需(政府消費、公共投資)、輸出、その他(在庫等)のGDPデフレータへのプラス寄与が高いため、GDPデフレータが上昇したわけである。
 以上から、原油価格上昇に伴う輸入物価の高騰が国内財物価を上昇させたのではなく、輸入物価の高騰に伴う国内財物価低下インパクトを打ち消すだけ、消費、投資、輸出等の物価が高騰したことが国内財物価を上昇させたことがわかる。

図3−A:GDPデフレータの要因分解(1970年代)

(注)折線グラフはGDPデフレータの対前年同期比、棒グラフは寄与度を示す。
出所:SNA

 70年代と対照的な状況を示しているのが00年代の動向である。GDPデフレータの減少率が著しい00年代前半においては、消費、設備投資、輸出、在庫といった70年代においてプラスの寄与を果たしていた項目が軒並みマイナスとなった。直近時点ではゼロ近傍に近づきつつあるが、依然としてGDPの主要項目である消費デフレータの伸びはマイナスとなっており、70年代では消費デフレータの動きが安定的にプラスの寄与を果たしていたことと比較しても違いは大きい。

図3−B:GDPデフレータの要因分解(00年代)


 図1−Aでは卸売物価指数及び消費者物価指数も(輸入物価指数ほどではないにせよ)大きく上昇している。では消費者物価指数の上昇に原油価格の高騰はどのように影響しているのだろうか。図4−Aは、消費者物価指数の変化を財別に要因分解したものである。これをみると、第一次オイルショック時の消費者物価の動向は原油等のエネルギーに関連する「光熱・水道」、「交通・通信」といった財の価格も上昇しているものの、その寄与は物価上昇全体の半分未満であることがわかる。そして「食料」といった必需財や娯楽・嗜好品としての「教育娯楽」も同様に上昇しており、消費者物価指数の伸びにプラスの寄与をもたらしていることがわかる。

図4−A:消費者物価指数の要因分解(1970年代)

(注)折線グラフは消費者物価指数の対前年同期比、棒グラフは寄与度を示す。
出所:消費者物価指数

 一方で、2000年代の消費者物価指数を要因分解してみると、物価上昇局面では、必需財である「食料」、原油価格高騰に直結する「光熱・水道」、「交通・水道」の上昇が大きく寄与していることがわかる。しかし、70年代と比較して物価上昇率の規模は小さく、かつ「教養娯楽」といった娯楽・嗜好品関連の価格は一貫して低下していることが読み取れる。

図4−B:消費者物価指数の要因分解(2000年代)

(注)折線グラフは消費者物価指数の対前年同期比、棒グラフは寄与度を示す。
出所:消費者物価指数

(2)まとめ 
 1970年代と00年代の物価指数の動向を比較することで、以下の共通点、相違点が把握できるだろう。物価上昇の基点として、原材料価格高騰→輸入物価上昇という点は共通であるものの、GDPデフレータ消費者物価指数への影響は異なる。それが、デフレから脱却できない現状をもたらしているわけである。

共通点
・原材料価格、特に原油価格の上昇が輸入物価を押し上げている。

相違点
・70年代の「狂乱物価」と比較して00年代の物価動向はインパクトが小さい。(イ)
・70年代はGDPデフレータの構成要素であるその他のコンポーネント(消費、投資、輸出)の物価は上昇しており、輸入物価の上昇に伴うデフレ圧力を打ち消す形で作用した。00年代はGDPデフレータの構成要素であるその他のコンポーネントの上昇がわずかであり、それが輸入物価上昇に伴うデフレ圧力と相まって国内財価格のデフレをもたらしている。(ロ)
・70年代の消費者物価指数の動きは、原油価格上昇に直結すると考えられる財(「光熱・水道」、「交通・通信」)のみならず娯楽・嗜好品関連の価格も上昇し、それが消費者物価指数を上昇たらしめている。一方で00年代は娯楽・嗜好品関連の価格は一貫して低下しており、「光熱・水道」、「交通・通信」の上昇も大きくはない。(ハ)

2.「狂乱物価」を狂乱足らしめた要素は何か?
 1.のように跡付けてみると、原材料価格上昇が輸入物価を押し上げること(A)、さらに国内財物価の動向を示すGDPデフレータや、消費者が受け取る財の物価を示す消費者物価指数を押し上げること(B)との間には他の要因が作用しているのではとの推測が成り立つ。ご存知の方も多いところだが、70年代に(A)の事象が(B)足らしめた理由が小宮隆太郎氏が言う「石油ショック前の行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めの遅れがこの「狂乱物価」の犯人であり、企業や労働組合などに製品価格上昇や賃上げに走らせた」というものである。この点をデータで確認してみよう。
 図5は、70年代の金融政策(マネタリーベース、マネーサプライ)、国内財物価と給与総額、企業の売上高と経常利益の動向をみている。この図を見ると、日銀が供給したマネタリーベースがマネーサプライを大幅に増加させ、それが一定のラグを伴って現金給与総額やGDPデフレータの上昇を誘発したことがわかる。現金給与総額の大幅な増加は家計の所得を増加させ、財の全般的な価格上昇を許容させるとともに、消費、投資、輸出といった各財の物価上昇(価格転嫁)を可能にする素地を作ったのだろう。企業部門の動向を見ると、現金給与総額の大幅な増加は企業の経常利益の減少(マイナス)に直結していることが見て取れる。第一次オイルショックにおける物価上昇と企業の経常利益の減少が重なった74年第1四半期から第4四半期には実質GDP成長率がマイナスとなった時期でもある。この時期の内需の動向は、設備投資・住宅投資といった民間投資や公需(政府消費+公共投資)が大きくマイナスに陥ったことがGDP成長率のマイナスをもたらしている。消費は74年第1四半期及び第4四半期はマイナスに陥ったものの、その寄与は投資と比較して軽微だった。そして第2四半期と第3四半期はプラスの寄与となっている。これは、現金給与総額の伸びに見られるような所得面での下支え効果が作用したとみることが出来るだろう。売上高の伸びが減少しつつもプラスを維持しているのは物価高と74年を通じて純輸出が堅調に推移したことも影響しているだろう。


図5 1970年代の金融部門、給与、企業部門の動向

(注)全て対前年同期比である。
出所:日銀、厚生労働省財務省統計

 さて、「狂乱物価」に関する小宮理論のもう一つの側面として、第二次オイルショックの評価がある。1.で見たように第二次オイルショックが輸入物価に与えた影響は第一次オイルショックと同程度の規模であった。しかし79年以降のGDPデフレータ、消費者物価、卸売物価の動向を見ると、その影響は軽微である。この有力な要因としては、図5から明らかなとおり日銀がマネタリーベースの伸びを大幅に減少させたことが挙げられるだろう。
 この点は00年代の動向を示した図6を見るとより鮮明となる。一つの特徴としては、全般的に変化率が小さいという点である。そして直近時点のマネタリーベースとマネーサプライの動きを見ると図5と比較して変化率は小さくゼロ近傍で推移していることがわかる。現金給与総額の伸びは2003年第4四半期以降上昇しているものの、直近時点においてはその伸びが低下し、わずかながらマイナスとなっている。さらに企業部門は02年以降の景気回復を受けて売上高及び経常利益は増加しているが、直近時点においてはその伸びに陰りがみられている。このような状況であれば、輸入価格の上昇が生じても国内財価格が上昇するという事態が生じないことは明白だろう。


図6 2000年代の金融部門、給与、企業部門の動向

(注)全て対前年同期比である。
出所:日銀、厚生労働省財務省統計

3.現在、スタグフレーションの懸念はあるのか?
 2.で整理したように、70年代の「狂乱物価」の原因は、原材料価格の高騰に伴う輸入価格の上昇ではなく、「石油ショック前の行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めの遅れがこの「狂乱物価」の犯人であり、企業や労働組合などに製品価格上昇や賃上げに走らせた」というものだろう。2.で見た相違点を再度整理してみると以下のようになるだろう。

(金融政策)
・70年代の「狂乱物価」が生じた時期には急激な金融緩和政策がなされ、それがマネーサプライの上昇をもたらしていた。一方で00年代は前半時点では量的緩和といった拡張的な金融緩和策がとられたが、マネーサプライの上昇という形では反映されず、07年以降においてはマネタリーベース・マネーサプライともにゼロ近傍で推移している。

(給与と国内財物価動向)
・70年代は一定のラグを伴いつつ、マネーサプライの上昇と現金給与総額・GDPデフレータの上昇が生じていた。00年代は現金給与総額の伸びは05年以降プラスに転じたものの、1%未満であり、直近時点ではマイナスとなっている。GDPデフレータもマイナスのままである。

(企業部門)
・70年代の「狂乱物価」が生じた時期には、現金給与総額の急激な伸びも相まって企業の経常利益は赤字に転落した。又、売上高の伸びはプラスであるものの、半減している。00年代においては03年第2四半期以降の売上高・経常利益の伸びはプラスとなっているが、直近時点では経常利益の伸びはマイナスとなり、売上高の伸びもわずかとなっている。

 以上の状況で原材料価格が高騰することで物価高と実態経済の悪化が共存するスタグフレーションの懸念はあるのだろうか。まず物価高については、家計所得の安定的な上昇が見込めなければ消費者物価指数及びGDPデフレータが上昇することはありえないだろう。07年第4四半期以降の動向を考えると雇用環境は悪化しており、家計所得が安定的に上昇するとは考えづらい。原材料価格の高騰は「光熱・水道」、「交通・水道」の価格を押し上げ、消費者物価指数をわずかに上昇させる可能性はあるが、計測バイアスの範疇だろう。そして全ての財への価格上昇が及ぶほど、国内需要が過熱することはありえないと見るのが妥当ではないだろうか。そして企業部門においては対外経済の悪化や原材料価格の上昇が売上高・経常利益の悪化を誘発する可能性が高いと見るべきではないだろうか。つまり、スタグフレーションの懸念は無く、寧ろ本格的なデフレ突入こそ懸念すべき点というべきなのだろう。

※図が酷い状況でしたので少し修正しました。少しは見やすくなったと思いますが・・・ちょっとサイズが小さいですね(涙。