世界的な対外不均衡の拡大、資源価格高騰と我が国のデフレ(その2)


3.デフレはなぜ生じたのか
 以下では、90年以降の長期停滞の過程を概観しつつ、なぜ長期停滞の過程の中でインフレ率が低下し、そしてデフレとなったのかについて議論してみることにしたい。

(1)90年以降の長期停滞の概観
 我が国の長期停滞が90年代初頭のバブル崩壊を契機として始まったことに異論がある人は少ないだろう。以下の図は実質GDP成長率の寄与度をみたものであるが、80年代後半は3%から7%程度の成長率を達成しており、それは民間消費、設備投資の寄与が大きいことがわかる。
バブル崩壊は、株価・地価といった資産価格の下落により生じ、それは住宅投資の減少(91年〜)惹いては設備投資の減少(92年〜)や民間消費の停滞(93年〜)を惹き起こしながら93年には実質成長率は0.2%の水準にまで下落した。
93年以降の日本経済は、90年以降の実質成長率の停滞の中で公需の寄与が大きい点も特徴である。これは実態経済の停滞の中で行われた大規模な経済対策を反映している。これらの公共投資は一定のタイムラグを伴いつつ設備投資を押し上げ、消費を高めることで実質成長率を高めることに寄与したといえるだろう。但し、我が国の実質成長率は80年代後半の成長率に達することはなかった。
96年から98年にかけて再び実質成長率は減少傾向に入ったが、公需の寄与がマイナスに落ち込む中で住宅投資が減少し、そして設備投資、消費を押し下げていった。98年には総需要の全てのコンポーネントの寄与がマイナスとなり、実質成長率がマイナスに突入したわけである。02年以降の景気回復局面では実質成長に占める輸出の寄与が大きいことが特徴である。設備投資及び民間消費の寄与はプラスであるものの十分ではない。今般の景気回復時の実質成長は2%台であり、90年代の景気拡張期の水準を上回るには至っていないことがうかがわれる。

図:実質GDP成長率と各項目の寄与度の推移

注:85年から93年までは、95年固定基準年表示に基づく実質ベースの寄与度、94年以降は00年連鎖価格表示に基づく実質ベースの寄与度を示している。
出所:内閣府「国民経済計算」

(2)「長期停滞とデフレとの関係」についての二つの考え方
a)総需要と総供給のバランスに着目する考え方によるデフレの解釈

 以上の長期停滞の進行とデフレの進行を考える際には、大きく二つの考え方があるだろう。一つは物価の変化を総需要と総供給のバランスとしてみるというものである。つまり国内物価を示すGDPデフレータが、国内総需要である実質GDP、そして国内総供給としての潜在GDPのバランス(GDPギャップ)の変化に基づいて変動するという考え方である。以下の図はGDPデフレータGDPギャップの変化率を見ているが、総需要の伸びが総供給の伸びを上回る場合=GDPギャップの伸びが正の場合にはインフレが進み、逆の場合にはデフレが進むことが読み取れる。

図:GDPデフレータ変化率とGDPギャップの推移

注:GDPデフレータ変化率は85年から93年までは、95年固定基準年表示、94年以降は00年連鎖価格表示に基づく。GDPギャップは(実質GDP−潜在GDP)/潜在GDPである。
出所:内閣府「国民経済計算年報」、IMF,WEO Database

b)物価の持つ貨幣的側面に着目した考え方によるデフレの解釈*1
 以上のGDPギャップに基づいてなぜデフレが生じたのかという問いに答えるとすれば、「長期停滞が深刻化したことが総需要を押し下げ容易にはデフレから脱却できない状況を作り出した」ということになる。より大きな成長率を達成すれば、GDPギャップはプラスの伸びを示し、そしてデフレからインフレに達するということだ。
しかし、GDPギャップに基づいて物価を説明することは誤りではないものの不十分である。それは、物価の持つ貨幣としての側面、つまり物価がGDPギャップの議論で考慮されている実質成長率だけではなくマネーサプライの変化や流動性の変化、そして将来への期待といった要素に左右されているという点を見逃してしまうためである。以下、物価の持つ貨幣(マネー)としての側面を考慮しつつデフレがなぜ生じたのか、そしてなぜ10年もの間続いているのかを考えてみることにしよう。
 以上の物価の貨幣(マネー)としての側面は、(1)式が恒等的に成り立つこと、つまり定義としていついかなる場合にも成立していることが出発点となる。

M(マネーサプライ)=k(マーシャルのk)×P(物価水準)×Y(実質GDP)・・・(1)

 まず(1)式の意味するところを考えてみよう。左辺のMはある時点で一国で流通しているマネーの量(残高)をあらわしている。kが1である場合には、一国で流通したマネーの量はある時点で支出された金額−P(物価水準)とY(実質GDP)を乗じた値−名目GDPの値に等しくなるというわけである。このことは、モノを購入し支出する際には必ず対価としてマネーが必要になることからも明らかである。現実には人々の手にわたったマネーはタンス預金として支出されずに残したり、支払のために財布に入れておくという可能性もあることから、マネーの量が支出額と厳密には一致しない。kはマネーを(株式や債券投資を行うといった形ではなく)マネーとして保有しておこうという需要の程度を示しているわけである。
 物価変化について成立する関係をみるために、伸び率として(1)式を変形し整理すると、以下の(2)式となる。

P(物価水準)の変化率=M(マネーサプライ)の変化率−実質GDP成長率−k(マネーの需要の度合い)の変化率・・・(2)

(2)式は、物価の変化はア)発行されるマネーサプライの変化率が増加すれば上昇し、イ)実質GDP成長率が高まると下落し、ウ)k(マネーの需要の度合い)が高まると下落することを示している。ア)は、世の中に流通するマネーが増えれば、マネーの価値が下がるため、これまで買えたものが買えなくなる=物価が上昇する、ということを意味している。イ)は、他が一定である状況で生産高のみが上昇した場合には取引を行うために相対的にマネーの需要が高まること=物価が下落するということを意味している。そして、ウ)は人々がマネーをマネーとして持とうすればマネーへの需要が高まることを意味している。言い換えると、マネーを株式や債券の購入に充てずに保有しようという動機が高まる程、物価は下落するということになる。
 (2)式の関係を考慮しつつ、物価変化率としてGDPデフレータ変化率(折線グラフ)をとり、マネーサプライ(M2+CD)変化率、実質GDP成長率、k(マネーの需要の度合い)の変化率(以上棒グラフ)をみたのが、以下の二つの図である。

図:マネーの要因を考慮したGDPデフレータ変化率の要因分解

出所:内閣府「国民経済計算」、日本銀行統計

図:マネーの要因を考慮したGDPデフレータの要因分解(年代別平均)

注:各年の数値の単純平均値である。GDPデフレータ変化率=(マネーサプライ変化率−実質GDP変化率)−(マーシャルのk変化率)。
出所:上記図表と同じ。

 これらの図からどのようなことがわかるだろうか。まず大きな特徴は、マネーサプライの伸びが80年代の7%台から11%台という水準から、91年を境に4%台未満の水準にまで大きく低下したことである。そして、80年代ではマネーサプライ変化率から実質GDP変化率を差し引いた値は5%程度で安定していたのに対して、長期停滞期には0%台となり、本格的なデフレへと突入した96年から00年にかけて回復するものの2.3%の水準に留まり、01年〜06年の平均値では逆に0.6%と変化率は低下したことがわかる。
マーシャルのkの変化率はマネーを保有する動機の高まりを意味している。80年代前半には平均して2.4%の伸び率だが、80年代後半にかけて上昇し、そして90年代後半にはマイナスとなった。90年代後半には大きく上昇し、そして01年〜06年には若干低下しつつ推移している。このマーシャルのkが意味するところは、貨幣需要と貨幣供給の均衡式であるLM曲線(M/P = L(i,Y))を物価についての式に変形した(3)式と(1)式を物価についての式に変形した(4)式を対応付けると明らかとなる。

P = M/L(i,Y)・・・・・(3) :iは名目金利
P = M/(kY)・・・・・・(4)

 (3)のL(i,Y)は貨幣需要関数を示しており、名目金利が高まると貨幣需要は減少し、Yが増加すると貨幣需要が高まるというおなじみの式を示している。(4)式は恒等式である(1)式を展開したものだが、(3)式と(4)式は同じ物価についての式である。よって、マーシャルのkは名目金利が高まると人は貨幣を手放して株式や債券投資に向かうということ、つまり流動性選好((3)式のL(i)部分)を意味していると解釈することも出来るだろう。さらに、マネーに対する需要はインフレ期待といった要素にも影響することが考えられるだろう。つまり、将来インフレであると予想されるのであれば、マネーに対する需要は減少し、それが現在の物価上昇率を上昇させる、という影響も考えられるわけである。
 以下の図は10年物国債利回りの推移を示しているが、概ね国債利回りの推移とマーシャルのkの伸び率は共通した変化をしていることがわかる。

図:10年物国債利回りの推移


(3)まとめ
 これまでの議論から把握できる点は以下である。このように考えていくと、90年代後半以降のデフレは、実質GDP成長率の低下に加えて、なぜマネーサプライが上昇しなかったのか、そしてなぜマネーに対する需要が高まったのか、そしてこれらの相互関係を掴むことで把握することが可能になるといえるだろう。(その3)以降で以上の「なぜ」を議論しつつ、経済政策との関係をみることにしたい。

1.長期停滞による実質GDP成長率の低迷がGDPギャップをマイナスに低下させることでデフレをもたらした。
2.1.に加えてマネーの要素を考慮し、物価上昇率の要因分解を行うと、物価上昇率は、マネーサプライが増えることで上昇し、実質GDP成長率が高まると低下し、マネーに対する需要が高まると低下することがわかる。
3.80年代と90年代以降を比較すると、マネーサプライの伸びと実質GDP成長率の差は5%程度で安定していたが、90年代前半は0.5%と大きく低下し、90年代後半は上昇に転じたものの80年代の水準には達していない、そして00年〜06年の伸びは90年代後半の水準を下回っている。つまり、90年代後半以降デフレに陥ったのはマネーサプライが実質GDP成長率に対して十分に増えなかったことが原因と考えられる。
4.物価上昇率に影響を与えるマネーに対する需要をみると、長期金利が高まるとマネーに対する需要は減少し、長期金利が低下するとマネーに対する需要は高まり、物価上昇率を低下させる。さらに、長期金利以外にもインフレ期待もマネーに対する需要に影響すると考えられる。インフレ期待の低下は現在のマネーに対する需要を増加させ、それが物価上昇率を低下させることになる。

*1:この辺りの分かり易い解説は飯田泰之「歴史が教えるマネーの理論」、ダイヤモンド社がお勧めです。