書評は難しい。

 一冊の本の評価をするのは難しいものだと思う。当ブログでは一冊の本について自分の主観を交えて語っていることが多いが、これらはカテゴリ通り「読書感想文」である。とても「書評」などと言える代物は私には書けない。

 書評をするには、当然ながら対象となる書籍で言及されている諸説の議論について一応の理解がなくてはならず、かつその一応の理解が正当なものでないと評価できない。雑誌・新聞等の書評欄を見ると、この点についてきちんと言及している書評が少ないと感じる。勿論文章量の制約を考慮する必要があるが、以上の雰囲気を感じさせない括弧付きの「書評」が多いのではないか、上っ面の広告文章に堕しているのではないか、などとも思ったりする。

 じゃあお前はなんなのだということになるのだが、非常に大げさに言うと、ブログとは言え取り上げている本やその感想からでもmasterの見識が透けて見えるわけで、そうするとmasterの不見識を画面の向こう側で嗤う人も少なからず居るのだろうなぁと思ってしまう次第。しかし、こんなことを考え出すととても文章なんて書けなくなってしまう。でも少なからず考えてしまう。

 私が以上のように思っているにも関わらず毎度毎度何か書いてしまうのは、結局面の皮が厚いということなのだろう。私にとって出来るのは、私の知りうる知識に照らして本の中で明らかに誤りだと感じることを指摘すること、そして一冊の本を物して世に問うた著者の労を尊重しつつ、著者が書籍で記載した「思うところ」を正確に纏めて、そのことに対して自らの不見識を披露することだろうか。
 
 多少控えめに言うとこんな風にして書いたものが画面の向こう側・もしくは著者の方にとって「書評」だと認識してもらえれば望外の喜びでもあるし、それこそが面の皮の厚い人間の目論むところでもあるのだが・・・。やはり「書評」は難しい。