竹森俊平「『大恐慌の再来』とその後の世界」を読む。

 中央公論5月号に掲載された竹森教授の論考は題名の通り近年のサブプライムローン問題の進展を「大恐慌の再来」と捉えつつ、サブプライムローン問題が終結した先の世界について論じている。以下、サブプライムローン問題がなぜ「大恐慌の再来」なのか、竹森流の「その後の世界」は何なのかについて簡単に紹介した上で、私の感想を書いてみたい。

1.サブプライムローン問題がもたらしたダメージ
 まずサブプライムローン問題がどの程度米国経済にダメージを(これまでに)与えたのかという話から竹森論考は始まる。「大恐慌の再来」と氏が指摘するのは、一つには金融部門へのダメージについてである。発表されたタイミングにより異なるが10兆円〜300兆円の規模は十分に大きいものだ。そしてFRBの対応は危機モードである。政策金利は既に昨年9月から3%引き下げた。そして金融機関に対して様々な資金供給策を実施している。ベアー・スターンズに対する救済策についても同様であり、金融機関の破綻を回避するために断固たる対策をとるという姿勢が濃厚である。

2.米国の金融政策をどう評価するか
 さて、このような金融危機の深刻化の元でFRBが思い切った行動に出ているにも関わらずなぜ金融危機が収束しないのだろうか。ここからが竹森論説の面目躍如な部分だと思うが、「金融危機」の要素を分解してみるとその理由が明確になる。
 まず問題の要素の一つは米国住宅価格の変動だろう。住宅価格はピーク時から既に1割下がった。しかし、住宅の在庫は10か月分を超えるといわれる。供給超過であるわけだから需給バランスの回復にはニ年から三年はかかり、その間住宅価格は下落するというのが竹森教授の見立てである。

(1)住宅価格下落に伴う住宅ローン不履行にどう対処するか
 住宅価格の下落はどのような影響をもたらすのだろうか。一つは旺盛な消費による好況・経済成長を享受してきたこれまでの米国経済の枠組みを変えるということだろう。資産効果が剥落していけば消費は減る。米国の輸入も減り、輸入元である国々、特に東アジア諸国にダメージをもたらすことになる。二つ目は、住宅価格の下落が住宅ローンの不履行を増加させることで金融機関の損失を拡大させるということだ。住宅ローンの不履行増加は住宅価格も増加させる。それは不履行資産を差し押さえた金融機関が現金を回収する目的で住宅を売却するために、住宅の値崩れが生じるためである。つまり、住宅価格の下落が住宅ローンの不履行を生み、そして住宅ローンの不履行が住宅価格を押し下げるという悪循環が働くことになる。
 では住宅ローンの不履行を抑制するためにFRBが行うことの出来る政策は何だろうか。それは、政策金利の引き下げを通じて住宅ローンとして適用されている変動金利を引き下げることだろう。変動金利ローンの金利を下げることはローン不履行を抑制し、先の悪循環を緩和させる働きをもたらす。以上の効果が効力を持つには、FRB金利を引き下げることである程度の長期に渡り金利が低くなるとの期待を持たせることが必要だろう。そうすれば住宅ローン不履行の抑制効果は大きくなるはずだ。さらに住宅ローンの不履行→住宅の売却増加→住宅価格低下→・・住宅ローンの不履行という悪循環を抑制するにはローンの元本を減免するという措置も必要だろう。元本が減免されればローンの不履行を抑えることが可能となる。バーナンキ議長が指摘しているのはこれが目的である。

(2)住宅価格下落→バランスシート毀損がもたらすもの
 住宅価格下落は金融機関のバランスシートを毀損させ、金融政策の機能低下をもたらしていく。それが、我が国の不良債権問題でも観察された「貸し渋り」である。
 周知のとおり金融機関には自己資本規制が適用されている。なぜかといえば、自分が入手した安全資産(預金)のみで危険資産を購入できるとしたら、危険資産の貸し倒れが生じても金融機関の損失はゼロとなるためである。これが認められれば、金融機関は損失を考えずに運用が可能になるだろう。このような事態に対する抑えとして自己資本規制がある。バーゼル協定の元での自己資本は総資産(危険資産+現金)から負債(預金)を差し引いた値である。不良債権や資産の評価損が生じると、総資産は減少する。しかしながら負債を評価損に合わせて減損処理することは許されないため、自己資産は目減りすることになる。
 不良債権や資産の評価損が進み自己資産が大きく目減りした際の金融機関の対応として何があるのだろうか。その手段は二つしかない。一つは自己資本の目減りに対応した増資を行うことである。そしてもう一つは危険資産を自己資本の目減りに応じて圧縮することである。増資の動きについては、周知の通り中東のSWFによる米国金融機関への増資*1といった話題が挙げられるだろう。これらの機関による増資で不足であるとすれば、公的資金による投入が必要となってくる。そして、危険資産を自己資本の目減りに応じて圧縮するという行動は貸し渋りに繋がっていく。
中央銀行が行う金融緩和策は、銀行の保有する国債を買い取り、現金を渡す操作である。通常モードであれば、銀行は利子を生まない現金を嫌い、それを「危険資産」に転換する、すなわち証券化したり運用したりするだろう。このようなメカニズムが働けば貸し出しの連鎖(貨幣乗数)を通じてマネーサプライは増えることになる。しかし、現下の状況の元では、中央銀行から供給された現金を金融機関が危険資産に転換するメカニズムがうまく働かないことになる。

(3)「金融政策」はどのように「効く」のか
 以上を纏めると、FRBが進める金融政策は、住宅価格下落→住宅ローン不履行の増加→住宅価格の下落・・・という悪循環に対して、住宅ローン不履行を抑えることで悪循環を断ち切ることがまず期待される。勿論実態経済への影響ということで言えば利下げは国内経済への活発化をもたらすものだろう。その効果として確実にカウントされるものがドル安による米国の輸出産業に対するプラス効果である。これまで見たように、金融機関のバランスシート毀損といった問題に対しては、金融機関への十分な増資が必要であり、この問題に対しては金融政策は十分に有効な政策とは言えないかもしれない。

3.政策の武器なき日本とサブプライムローン問題が終結した先の日本 
 02年以降の景気回復の主導が円安効果による輸出増大である日本にとっては、米国の金融緩和政策=ドル安は問題である。竹森教授は、米国の経常収支赤字の緩和に円高・ドル安路線が寄与するだろうが、そのことで日本経済が悪化するのであれば政策で応じる必要があると論を進める。しかし、我が国の政策手段が限定されているのも事実ではある。財政赤字の累増を鑑みれば思い切った財政政策を打つことは困難である。また金融緩和の余地も小さい。米国株価よりも大幅な日本株価の下落も日本経済の政策余地が限られることを考えると納得いくものと竹森教授は纏める。
 サブプライムローン問題が収束した先の世界経済はどのような姿になるだろうか。住宅バブルの中での金融機関の行動は、長期と短期の間のリスクプレミアムを稼ぎ、レバレッジをかけることでリスクプレミアムを増幅させた、というものであった。勿論リスクプレミアムの「リスク」が顕在化しない間は大きな利益を稼ぐことが実際可能であっただろう。サブプライムローン問題が顕在化した段階で、このようなメカニズムの中で顕在化しなかった「リスク」が「リスク」として顕在化していく。そうすれば、世界中が投資に対して慎重にあり、世界経済の成長率は低下することになるだろう。とすれば、日本経済の成長も弱まる可能性が高いということになる。

4.感想
 以上、私なりの理解に基づき竹森論考をまとめてみたが、米国の金融緩和政策がサブプライムローン問題のどの要素にどのように効果を持つのかといった整理は非常に分かりやすいと感じた。さらに加えるとすれば、金融政策が人々の期待にうまく作用するのだとしたら、総需要増大効果と相まって貸し渋りを抑制し、惹いては金融機関のバランスシート毀損といった問題にも作用するのだろう。このような効果が働くかどうかは米国の金融緩和政策が市場に対して信認を得られるかにかかっていると思うし、それが「思い切った行動」であれば信認を得られる可能性は高いだろう。
 サブプライムローン問題が収束した先は、竹森教授が言うとおり世界経済はこれまでよりも低成長の時代になる可能性が高い。世界各国からの供給の受け手としての米国の許容量が減少すれば、世界各国の生産は減少するだろう。その際に新たな受け皿として有望な国があるのだろうかといった点は疑問である。竹森教授は、世界的な低成長の中で我が国が対応できる政策余地は限られると論じる。但し、(竹森教授はそうは考えていないことは文中からも明らかだが)政策余地が限られるから政策を行っても意味がないと判断するのは誤りだろう。そして、金融政策に限った話で言えば、金利の糊代水準以上に重要かつ大きな政策余地が我が国にはあるとも考えられるがどうだろうか*2

*1:ちなみに昨日のテレビで竹中平蔵氏が日本郵政の資金を米国金融機関への増資として利用すればよいと議論していたが面白い案だと感じた

*2:この点については、糊代云々は本質的な問題でなく、政策金利の感応度(1%の金利変化が物価水準にどの程度影響するのか)、そして政策金利のブレ(標準偏差)が小さいことがポイントだと思う。詳細はhttp://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20060529/p1をご参照のこと。