奥野正寛「ミクロ経済学」、ミルトン・フリードマン「資本主義と自由」

 アカデミアの知識から遠く離れてしまいどんどん記憶も風化していますので、時間があったらミクロ経済学の教科書でも読んでみようかなと思っていたのですが、奥野先生の「ミクロ経済学」が刊行されたみたいですね。「ミクロ経済学1・2」や日経文庫の「ミクロ経済学入門」を読んでいる自分からすると、とっつき易いような気もしています。
 奥野・鈴村「ミクロ経済学1・2」は現在のように経済学のテキストが充実していない学生時代に何度も読んだものです。「ミクロ経済学1・2」にまつわる思い出は、旧ブログのこのあたり*1に書いているところですが、そちらを抜粋*2

 大学学部時代(2年生〜3年生くらい)に一生懸命読んだ本。伊藤元重ミクロ経済学」(第一版)を読んだ後で読み始めたが、今にして考えるとかなり無謀だった。2年生の時は「ミクロ経済学1」、3年生以降は「ミクロ経済学2」を一生懸命読んだ感じである。微分トポロジーの知識が不可欠だが、巻末の簡単な案内も結構参考になった。また、巻末に示されている参考論文も興味のあるものについてはちょくちょく読んだりした。
 この本を読むことで、完全競争の世界における理論体系(競争均衡の存在、存在条件、厚生経済学の定理等々)、そして寡占・独占理論とゲーム理論の関わり、厚生経済学におけるアローの不可能性定理までの道筋といった点が頭に入った。また読み進める中で、経済学の美しさとそれが一定の仮定の下で成立している事を強く感じさせられた。「経済学は現実に即していない」と良く言われる訳だが、現実経済と比較して理論の世界がどの点において違いがあり、どう近づけていけば経済学が教える結論に辿り着けるのかを把握する事、経済問題の議論の前提となる定理の理解の必要性、という点はもっと広く知られるべきではないだろうか。
 この本にまつわる思い出は、三つある。まずは一緒にこの本を読んだK君との思い出である。大学近くの古い喫茶店で一緒にお互い分からない所を話しあったり、議論したりした。多分毎日3時間くらい、酷い時には飲み物だけ頼んで途中交互に別の場所に食事に出たりしながら一日中居たような気がする。今にして思うと結構目立っていたかもしれない・・・。大学卒業後、この喫茶店に入ってみたのだが、机の上に自分が書いた数式の跡が残っていて恥ずかしくなってしまった次第。K君は今、某中央官庁の人となってしまったのだが、今どうしてるだろうか。多分全然関係ないことをしているのだろうなぁ・・・(笑)。
 二つ目の思い出は実用的な側面である。大学当時、自分は枕というものを所有していなかったのだが、「ミクロ経済学1、2」 を重ねてタオルを巻くと良い感じの固めの枕になることを発見し、大学時代はずっと「ミクロ経済学1、2」で寝ていた(笑)。この意味で大学時代の睡眠を支えたのは同書であるといっても過言ではない。
 三つ目の思い出は著者の鈴村先生についてである。鈴村先生と直接の面識は無いのだが、鈴村先生の妹さんと自分の母が友人であったこと、また自分と同郷のご出身であることを知ったという妙な優越感がこの本を読んでいく時の励みになった。本書は現在でもお世話になっている。線が一杯引っ張ってあったり、目次に一杯日付が書いてあったり、表紙を補強する為テープで張ったりしているというまさにボロボロの状態だが、懐かしく大事な思い出である。

ミクロ経済学

ミクロ経済学


もう一冊は、フリードマンの「資本主義と自由」。新訳が出たということなのでこれを機に一度復習してみようかな。色々なブログで紹介されていますが、高橋さんの解説も興味深そうですね。

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

*1:http://ameblo.jp/econ-econome/entry-10007749950.html

*2:三つ目の思い出に加えて四つ目の思い出を書くと、結婚式のときにこの本の前で宣誓の言葉を述べたのですが、多分世界初だろうなぁ(汗。