バーナンキの「金融政策」とは何か?

 岡田靖「FED型危機対応への批判と本当の評価」(ロイターのインサイトコラム)から。今回の岡田さんの論説は、FED型の危機対応策(所謂FEDビュー)に対する批判に関して、グリーンスパンの政策がサブプライム問題を生み出したのか、バブルについての誤解、そしてサブプライム問題に対するFRBの金融政策について論じられている。以下、これらの概要を纏めつつ、かつデータを敷衍しながらバーナンキ総裁のFRBが金融政策として何を行っているのか論じてみることにしよう。

1.岡田論説の概要
(1)サブプライム問題に際してFEDビューは間違いだったのか?

 まず、今回のサブプライム問題に関する議論の中で、グリーンスパンの政策がサブプライム問題を生み出したとの批判が数多くなされている。グリーンスパンは02年にマネタリーベースで9%程度の大規模な金融緩和を実施したが、これはITバブル崩壊を食い止めるためだった。幸いなことに03年以降、米国経済はITバブル崩壊を乗り切ったが、この金融緩和策がITバブルで支払うべきだったツケを先送りにして、サブプライム問題という別の危機を招いたという話である。この議論は、金融政策はバブルの生成自体を阻止するように行動すべきというBISビューに基づくものだ。
 岡田論説では、03年以降のFEDのマネタリーベースに着目する。マネタリーベースの伸びは03年6%程度、04年5%程度、2005年から2006年は4%程度、07年には2%程度となっている。並行して政策金利は引き上げており、03年からサブプライム問題が発生するまでFEDは金融引締め的な政策を行ったわけである。つまり、BISビューの指摘する「金融緩和がバブルの生成の原因である」という議論に対する疑念が生じることになる。岡田氏が指摘するように、寧ろバブルは、FEDビューの言うとおり「低位で安定したインフレ、その下での低金利、堅調な経済成長と企業収益と個人所得の拡大」という良好なマクロ経済環境が持続した結果として考える方が良いのではないだろうか。
 そして、BISビューが指摘するように、金融政策がバブルの生成自体を阻止するように行動するべきであるのならば、資産価格の上昇が生じた際にそれが「バブル」であるか否かを判断する必要がある。資産価格の上昇が根拠なき熱狂でありかつ早晩低下することが分かっているのであれば空売りを行うことで金融機関は膨大な利益を得ることが出来る。しかし、そのような荒稼ぎが可能なのは極々一部の金融機関であり、かつそのような金融機関が「バブル」を毎回見極めるわけではない。つまり「まぐれ」なのだ。大部分の金融機関にとって「バブル」が予見できないというのに、BISビューが指摘するように「バブル」を未然に防ぐことが可能なのだろうか。岡田氏が指摘するように、BISビューという怪しい主張に基づいて金融政策を運営して良いわけがないだろう*1

(2)FRBサブプライム問題に対して行っている金融政策とは?
 サブプライム問題に関してFRBは劇的な金融緩和に踏み切ったといわれている。事実昨年夏時点からFRBはFFレートを下げ続けており直近時点のFFレートは2%となっているが、金融政策の量的側面に着目するとマネタリーベースの前年比の増加率は1.5%程度と70年代以降で最低の伸び率でありFRBは全く金融緩和を行っていないことになる。この矛盾の秘密として岡田論説は、FRBのバランスシートの内容に着目する。FRBはマネタリーベースを拡張させるといった形で資産規模そのものを拡大させるのではなく、その中身を安全資産たる国債からリスク資産であるベアスターンズへの迂回融資や仕組み債の担保受入れに変えている。つまり、インフレの激化に繋がるベースマネー拡大を避けながら、市中に安全資産を提供し、市中に存在する危ない資産を引き受けることで、金融危機の拡大と景気後退の激化を防いでいるのである*2。そして、このようなFRBの金融政策は、実際に効果を上げ始めているのだ。

2.バーナンキの金融政策
 議論を始めるにあたって少しデータを参照しつつ、ITバブル崩壊以降のグリーンスパンの金融政策と、サブプライム問題におけるバーナンキの金融政策の状況を跡付けてみることにしよう。図表は、マネタリーベース(対前年同月比)、FFレート、M2(対前年同月比)、物価上昇率(CPI)について2000年代初めと2007年半ば以降の推移を比較したものである。これらの図表からも、グリーンスパンバーナンキの金融政策が同じ「金融緩和」であるものの、その中身は異なったものであることがわかるだろう。

ITバブル崩壊後のマネタリーベース、FFレート、M2、物価上昇率の推移

出所:FRB及び米国商務省サイトから入手

サブプライム問題下のマネタリーベース、FFレート、M2、物価上昇率の推移

出所:FRB及び米国商務省サイトから入手

 ITバブル崩壊に際してのグリーンスパンの金融緩和は、FFレートの果断な引き下げとマネタリーベースの急激な増加を伴ったものであった。細かく見ていくと、FFレートを急激に下げ且つマネタリーベースを大きく増加させた2001年と、FFレートをほぼ据え置きつつ、マネタリーベースの伸びを6%〜10%近辺に持続させた2002年という整理が出来るのかもしれない。FFレートの引き下げに伴って、M2も6%台から10%台へと大きく増加した。そしてタイムラグを伴いつつ物価上昇率も2%台へと復帰を果たしている。ITバブル崩壊という危機に際して、FFレートの引き下げとマネタリーベースの増加という形で流動性を市中に果断に供給し、それを持続させることで影響を最小限に食い止めたわけである。
 今般のサブプライム問題以降のバーナンキの金融政策はどうだろうか。FFレートに関してみると、07年8月から現在に至るまでバーナンキはFFレートを引き下げたが、FFレートで見た金融緩和の速度はほぼ同一(グリーンスパンがFFレートを5%前半(5.31%:2001年3月)から2%程度にまで引き下げるのに9ヶ月を要したのに対して、バーナンキも8月から5月までの9ヶ月かけて2%までFFレートを引き下げた)であることがわかる。つまり、FFレートの引き下げという意味ではグリーンスパンとほぼ同様にバーナンキの金融緩和は果断であったわけだ。対照的な点は、マネタリーベースの伸びである。図表から明らかな通り、サブプライム問題が顕在化した07年8月以降のマネタリーベースの伸びは一貫して2%を下回っている。そして4月の伸びは1%を割り込む勢いである。この違いの理由は、物価上昇率が07年8月以降それまでの2%台の水準から4%台まで上昇したことと無縁ではないだろう。さらに言えば、物価上昇率の伸びも8月から11月にかけて上昇傾向にあるものの、07年12月以降は4%近辺で安定している点も見逃せない。07年12月以降、FFレートの下落ペースは速まっているが、実態経済の悪化が顕在化する中で、マネーサプライの伸びを6%近辺で抑えて物価上昇を抑制しつつ、不良資産の買取りを行うことで危機を乗り切っているわけである。
 バーナンキFRB議長に就任した際、「バーナンキが金融政策の歴史を作る」と報道されていたのを覚えていらっしゃる方は居るだろうか。岡田論説でも指摘されているが、FRBが現在進めている金融政策は米国が直面するインフレ懸念に配慮しつつ、サブプライム問題という米国発の金融危機を乗り切るために、1)FFレートを下げることで住宅ローン金利の低下を進めサブプライムローン債務者の負担を抑え、かつ実態経済に良い影響(投資コストの低下や輸出の促進)を与える、2)量としてのマネタリーベースの拡大を押さえつつ、市中に蔓延する危険資産を買い取り、安全資産を市中に供給することで金融危機の拡大を抑える、という二段構えの政策を行っているわけだ。この政策は、「物価低下なら利下げ・物価高騰なら利上げ」といった単純なインフレターゲットとは全く異なるものであり、さらに、金融危機が生じた場合に市場の不安を抑えるだけの大量の流動性を果断に供給するという単純なベイル・アウト政策とも異なる現下の状況を踏まえた上での新しい政策だ。まさに、論説で述べられているように「金融危機と恐慌こそがマクロ経済学のアイディアの宝庫」であるし、「バーナンキが金融政策の新しい歴史を作っている」のではないだろうか。勿論懸念すべき問題も多いことを視野の外におくべきではない。実態経済の悪化はこれからだとの議論もある。しかし、クルーグマンが指摘するように*3、我々はもっとバーナンキの行った金融政策を評価し、今後のFRBの金融政策に期待をかけても良いのではなかろうか。

(追記:6/5)
 報道によれば、バーナンキはFFレートを据え置くとの話が出ているようだ。上のエントリの図表を見ていくとグリーンスパンはFFレートを2%程度まで9ヶ月間をかけて引き下げた後、10ヶ月ほどは同じ水準で維持した。バーナンキは9ヶ月かけてFFレートを2%まで引き下げたが、今後は物価の伸びが高まらない限りグリーンスパンと同様にFFレートを据え置いていくのだろうか。今後の展開が見ものである。

*1:以上の話は、昨今の白川総裁のグリーンスパンの金融政策に否定的との発言とあわせて読むと興味深い。まさに白川総裁はBISビューの人である。http://www.asahi.com/business/update/0524/TKY200805230327.html

*2:関連してBuiter教授の論説も参照されたいhttp://www.cepr.org/pubs/PolicyInsights/PolicyInsight24.pdf

*3:http://www.nytimes.com/2008/06/02/opinion/02krugman.html?_r=2&hp&oref=slogin&oref=slogin