松尾先生の山形さん書評に関する感想について

 著者の松尾先生が以上の山形さんの書評に関して反論を書かれています。併せてご参照ください。

 http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_80618.html

 以下ちょっと論点ずれつつ暴論めいてますが、おセンチな戯言を。
 僕個人としては、「市場」による価格メカニズムがもっとも有効なメカニズムの一つであることは明らかだと思います。だけど、「市場」による価格メカニズムがうまく働くためにはその市場を支える社会が安定的であることが必要だという点を見逃してはいけないと思うのです。
 政府による介入に代表されるような経済政策は経済成長自体を後押しするものもあるんだけれども、一方で所得再分配といった価値判断を伴うものもある。これらは社会の安定性を担保しながら市場メカニズムを効率的に機能させると思う。そして経済政策といった場合にもそうかもしれないけれども、政府が出来ない話もありえるのではないでしょうか。
 「みんな」による話し合いが抑圧や疎外を生まないなんてことはないでしょう。それは個人の天邪鬼的な性格によるものなのか甘えなのかもしれないし、人の考えが変わらないのであれば個人対個人でも分かり合えることは適わないかもしれない。
けれども、一人一人が合意形成を進めるという行為自体の中で見出せる(判断できる)ものもあるのではないでしょうかね。会社の会議(話し合い)が無意味だったとは言っても、会議をしなくちゃ「無意味だった」という結論には至らない。無意味だから黙って飲み屋で一人文句垂れるのも乙な行為ではあるけど、そんなでは結局周りの意思疎通も図れないのも事実でしょう。
 経済成長を進めるというのは重要だし、そのために何をするべきかという視点も必要だ。だけども活動している人に対して「NPOとかの活動は筋悪だから経済成長すべきだ」と斬り捨ててしまってよいのだろうか。ジンバブエの経済政策は変だけど、困っているジンバブエの人を個人の裁量で助けようとしている人に向かって上の台詞を言い切ることが果たして出来るのだろうか。
 「市場」の価格メカニズムに信頼を寄せることは正しいけれども、それがドグマに陥ってしまうのは「大きな物語」を信奉して革命に走るのと同じく危険な行為でしょう。経済学徒の隅っこに居る人間としてその効用は認識しているつもりだけど、一方で一個人として「社会を良くしよう」というエネルギーを「経済成長は大事だ」ということで上から押さえつけるような事をするのも又間違いなのではないかと思うのです。

(追記)
 稲葉先生の山形さん書評のメモやゴキブリとマルクス論文がとても勉強になりますね*1。確か「諸君!」で直接拝読した記憶がありますが、既に忘却の彼方だった・・orz..
ということで合わせてご参照下さい。

 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080618

*1:ブクマを頂いたお礼ということではありませんので念為