竹森俊平『資本主義は嫌いですか』を読む。(その1)

 本書は序文でも著者自身がまとめているように、「サブプライム危機」をテーマにした書籍である。『資本主義はきらいですか』という著者の問いかけの答えは、著者が言及するナイトの思想−「批判的な経済自由主義」に鮮明に現れている。つまり、熱狂的な市場崇拝は今回のような危機に直面し資本主義の重大な欠縮が露呈すると容易に瓦解してしまい今度は市場否定へと傾いてしまう。結局のところ、資本主義が現状では最適なシステムであることを念頭に置きながら、その利点と弱点とを考慮するしかないわけだ。自分が無知なだけだろうが、著者の議論の内容は濃く、数行で済ませられるような代物ではない。論点が多岐にわたるので、(その1)は第一部の内容から敷衍しつつ、最後に著者の議論から少しだけ逸脱して書いていくことにしたい。そして(いつになるかわからないが)(その2)以降で第二部以降の話題、つまりは金融システム・金融政策と流動性なるものについての竹森教授の論考をみていくことにしよう。

1.サブプライムローン問題とは?
 サブプライムの毒性を隠すための錬金術は、『三つの目覚まし時計』という考え方に集約される。「遅刻」というリスクを回避するには目覚まし時計を三つ準備しておけば良い。この背景にあるのは「三つの時計が同時に壊れる可能性は極めて低いため、「遅刻」は回避できる」という考え方である。サブプライムローンも考え方は同じで、リスクが低い順にシニア、メザニン、エクイティーといった形で投資家のリスク・アペタイトに応じてサブプライムローンを担保とした証券を発行・分類して、リスクが高いメザニン、エクイティーを他のローンに混ぜ合わせて更に新しい証券を作る。これを再度シニア、メザニン、エクイティーといった形に分類しさらにリスクの高い部分のみを抽出して再度他のローンに混ぜ合わせて新しい証券を作る・・・ということを繰り返せばリスクの高い部分は他の全く関係のない部分と一緒に混ぜ合わされてリスクが抑えられた(と看做された)状態で発行されるということになる。
 混ぜ合わせられた他の債権がサブプライムローンを担保とする債権と独立な関係にあれば『三つの目覚まし時計』の理屈が成り立ち、三つの目覚まし時計のうち一つが壊れても他の二つの時計は正常に動作するので「遅刻」というリスクは回避できるわけである。しかしながらサブプライムローンに基づく『三つの目覚まし時計』商品(RMBS,CDO)は容易に壊れてしまったのである。その理由はこの商品が市場向けではなく特定の顧客に対してのオーダーメード商品であったため、市場価値がどの程度かという指標が「格付け」しかなかったことによる。住宅価格の下落が進みサブプライムローンの不履行が進行すると、今度は商品の価値を保証した「格付け」の判断が疑われる。商品に含まれる全ての債権のリスクを判断することは困難であるために、商品の取引が急激に縮小され、かくして問題が顕在化・深刻化していくことになったのである。

2.住宅バブルはなぜ生じたのか
 周知のとおり、このようなサブプライムローンに基づく新商品が作られる背景にあったのは住宅価格の高騰であるが、ではこの住宅バブルはなぜ生じたのかという点について本書では二つの説−住宅バブル低金利主因説と金融政策犯人説を追っている。
 結論からいうと、「市場に構造変化が生じている」という社会認識がバブルを生じさせ(ロバート・シラー教授)、短期金利FRBの金融政策が影響すると考えられるものの、長期金利である住宅金利の低下は世界的な貯蓄・投資行動の結果といった構造的要因によるもの(ラグー・ラジャン教授)とみるのが適当だというのが著者の議論だろう。なぜ長期金利が低下したのかという点については、勿論政策金利の低下も一因だろう。しかし一方で「グローバル貯蓄過剰」(バーナンキ議長)という議論もある。つまり、グローバリゼーションの進展と新興国及び開発途上国の経常収支黒字の拡大(貯蓄過剰)、一方での日独を除く先進国における経常収支赤字の拡大(投資過剰)とが相まって全体として貯蓄過剰を生み、それが長期金利の低水準をもたらしたというわけである。この過程において、住宅バブルに伴う先進国の内需拡大は、新興国及び開発途上国の経常収支黒字を引き受ける役割を果たしたと見ることもできる。とすると、世界的な不況圧力を打ち消し、好況へと導いたのは「住宅バブル」ということになるが・・・。

3.バブルは善なのか
 2.の議論を続けると、バブルは良いことなのか、はたまた悪いことなのかという議論に話が移ることになる。バブルが「ファンダメンタル水準からの価格水準の乖離」と定義するのならば、単なる紙切れである貨幣もバブルの賜物である。つまり、単なる紙切れとしての貨幣のファンダメンタルな価格水準は製造コストだが、貨幣が現在・未来に渡って「購買力」を持つと人々が信じれば、単なる紙切れは人々が評価した「購買力」分だけバブルが生じていることになる。貨幣から被る恩恵を考慮に入れれば、バブルは我々に恩恵を与えていることになる。
 このあたりから先が特に面白く感じたところだが、著者はバブルの良さを議論するにあたって「動学的効率性」の議論を適用する。「動学的効率性」とは、「経済における投資収益率が成長率を上回る条件」を指すが、「動学的効率性」の条件が満たされない状態の下では「成長率>投資収益率」という関係が成り立つ。これは投資が過剰になっている経済であり投資収益率が成長率を下回る状態だと解釈することができる。このような場合には、成長率に直結する投資を行うことは無駄なのである。なぜかといえば、投資収益率が成長率よりも低いからであるが、この点を著者は分かり易く例を用いて説明している。
 例とはこのようなものである。成長率が10%、投資収益率が6%の国を考え、この国はGDPの一定割合(5%)に相当するカネを満期1年の国債で調達することを考えてみよう。この国では動学的効率性は満たされていない。そして、手元に集めたカネは生産に資する投資には使わず、無駄金として海に投げる(驚)か、バラマキと称して無駄な公共投資に投じるといった形で支出するものとする。
 それでは次の年に、国は又同じ方法で国債を発行してGDPの一定割合(5%)に相当するカネを調達することで償還したらどうだろうか。この場合にはGDPは前の年と比較して10%成長しているために、人々に償還するカネは丁度10%だけ増えていることになる。つまり金利が10%つくのである。投資による収益率が6%であることを考えれば、皆まともな投資をせず国債の発行に応じるだろう。それは、動学的効率性の条件を満たしていない状況では、まともな投資は国富を無駄に使ってしまうことを意味するのである。
さて、動学的効率性の条件を満たしていない状況とは成長率>投資収益率という関係が成立しているわけだが、投資収益率を金利と読みかえれば、これは財政の持続可能性に関する「上げ潮派」と「財政タカ派」の論点に直結してくる。「上げ潮派」が論じる財政の持続可能性とは、このような国による「ねずみ講」の利点、さらには後段で述べるバブルの利点を活かすというものなのである。
 では、このような動学的効率性の条件が満たされない状況−成長率が投資収益率(金利)を上回る状態−が永遠に続くのだろうか。著者はジャン・ティロール教授の議論を引きながらこのような状態は永遠には続かないと論じる。先の例は国と国民との関係であるが、動学的効率性の条件が満たされない状況で人はどのような行動をするのかを考えると、投資収益率が成長率よりも低いのであれば、人は生産に資するための投資ではなく投資収益率よりも高い金利が得られる資産への投資を進めるだろう。もしくは消費をさらに進めるだろう。そのことで生産に資する投資は磨耗していき、国内の投資の過剰状態は解消されていくことになる。その結果として、成長率と投資収益率が接近していき、「動学的効率性」が満たされる状況になるのである。また、同じ資産を購入しようとする人が増えるほど、資金状況は逼迫するために金利が上がるという効果もあるだろう。このような効果が「動学的効率性が満たされない状況」=バブルが投資過剰という非効率な経済状態を解消することに貢献するという意味である。
 この「動学的効率性が満たされない状況」=バブルという説明は、バブルが頻発している世界経済の状況を上手く説明する。新興成長国では「動学的効率性が満たされていない状況」にある。つまり高い成長率は高い投資収益率を伴ったものではなく、技術進歩率の高さによるものだと著者は論ずる。「動学的非効率性が満たされない状況」では生産によって得た富は生産に資する形で投資をすることが出来ず、さらに先に見たようにそのカネは先進国に向かうことでバブルを生み出す。そして、デフレ(物価の低下)もしくはディスインフレという状況を生み出していく。
 このあたりの著者による説明はリカルド・カバレロ教授による「ワルラス法則」に基づく議論を紹介することでなされている。ワルラス法則とは、各市場の財に対する超過需要の合計値がゼロであることを保証するものである。新興国内の「投資対象の不足」はすなわち、グローバルな貯蓄過剰を生み出すのだが、世界市場が金融資産市場と実物市場の二つから成り立っているのであれば、投資対象の不足という金融資産市場の需要超過はワルラス法則から実物市場の超過供給を生み出す。結局、金融資産市場の需要超過は金融資産(株式・債券等)の価格上昇(金利の低下)をもたらし、実物市場の超過供給はデフレ及びディスインフレを生むのである。さらに、世界が「金融資産市場」と「原材料市場」と「その他実物財市場」という形で構成されており、「金融資産市場」及び「原材料市場」で需要超過が成立しているものとすれば、「その他実物財市場」はワルラス法則から供給超過が成立する。需要超過は金利の低下、資産価格の高騰、原材料価格高騰を生み、供給超過はその他実物財市場の下落をもたらす。そして一般物価は原材料価格とその他実物財のウエイトと価格変化の度合いで変化するというのがここ数ヶ月前の世界経済の姿だ。

4.バブルは悪なのか
 バブルの利点を強調する見方に対してバブルの欠点を強調する見方も同様に存在する。この点を著者はケネス・ロゴフ教授の議論を引きながら論じていく。ロゴフの議論は3.の「バブルは善である」という見方とは対象的である。まず、バブルが頻発することの責任の一旦は新興国にあるという議論に対しては、新興国が成長する過程において海外からの資本流入に頼らない経済成長を志向することは自然なことであり、さらに住宅バブルの責任は米国にあり、過剰な経常収支赤字を抑制していくことが必要であると論じる。
 著者は世界経済としてのバブル頻発に対するロゴフの「解」は世界各国が自給自足化することでグローバルなインバランスを解消していくことであろうと述べるが、このロゴフの「解」は新興国及び先進国の成長のスピードを弱めるという形でなされることは容易に想像できるだろう。成長率が停滞すれば、バブルによる経済効率の改善という可能性も必要は無くなる。つまり、成長率の停滞に伴って自然と「動学的効率性が満たされない状況」が改善するからである。そして、3.で描いた世界経済のインバランス、つまりは金融市場・原材料市場の超過需要、その他実物財市場の超過供給は縮小していく。金融危機の到来と世界経済の成長の低下といったシナリオは、著者がロゴフの議論を解釈した「低成長への道」をひた走っているように感じられる。

5.世界経済は拡大するのか
 さて、こうみていくと世界経済のシナリオはロゴフ教授のシナリオどおりに進んでいるようにも思える。年初の米国経済学会におけるペーパーでのラインハート・ロゴフ論文などからしても米国経済のリセッションは避けられない状況が過去のバブル崩壊の事例から説得的に語られているわけだが、一方で「世界経済を拡大させる道」というものはあるのだろうか。
 一つは「新興国内に投資対象がない」ということが現下の問題であるのならば、投資対象を作るという方法が考えられる。端的にいえば、世界中で「上げ潮政策」を行うというものである。この政策の利点は、ロゴフの予言のように世界経済が停滞するというリスクを犯す必要がないことであるが、一方でエネルギー問題といった経済成長に起因する問題は解決できない。
 では、そもそもなぜ「新興国内に投資対象がない」という状態が生じているのだろうか。この点に関して著者はラジャン教授の研究を引用して答える。ラジャンは新興国における「成長の飛躍」という要因が「新興国内に投資対象がない」という状況を説明する有力な要因であると論じる。「成長の飛躍」とはある時期をきっかけとして突然新興国の成長率が上昇することを指しているが、このような状況下の国はどういう行動に出るのだろうか。ラジャンは「成長の飛躍」が一時的であると認識した国の貯蓄率は、通常の成長率に戻ることが予想されるために上昇すると論じる。一方で「成長の飛躍」が永続的であるのならば、貯蓄率の上昇は生じず、成長によって得た富を消費の形で享受することを選択するのだろう。著者はラジャンの議論を援用して、「成長の飛躍」が生じた国では当初は「成長の飛躍」が永続的かどうかが判断できないため貯蓄率が上昇するという現象が生じ、そして「成長の飛躍」が継続するにつれて貯蓄率は当初の水準に収束していき、消費の増加がもたらされるという解釈を述べる。問題はこのような「成長の飛躍」の認識の定着が内需拡大という形で結びつくのかということだ。著者はこのラジャンの議論に悲観的だが、それは高度成長以降経常黒字が継続している我が国の事例や、民主的な政治体制といった成長を約束するための環境条件が新興国で満たされているとは言いがたいこと、輸出主導の経済成長と資本輸入依存型の経済成長の折り合いが悪いこと、といった事例を考えると中々楽観的にはなれないことは事実である。

6.金融政策とバブルの効用の関係
 以上が第一部における竹森教授の議論の大枠である。第一部の最後段部分は「しかけ」がある(らしい)のでここではふれないが、以下は「ちょっとだけ逸脱」部分について論じたい。それは竹森教授の議論の中にある、バブルの効用を論じる箇所の「動学的効率性が満たされない状況」と金融政策との関係である。
 この点を論じるにあたって少し準備をしておこう。まず「policy rate gap」という概念を導入する。これは、以下の式で表すことができ、事後的に金融政策が緩和的か引締め的かを判断する指標である。

policy rate gap = 名目GDP成長率 −政策金利     (1)

 (1)式の意味を考えてみよう。まず一国全体についてマーシャルの貨幣数量方程式を考え、少しだけ変形すると次式を得る。

物価水準×実質GDP=貨幣の流通速度(マーシャルのkの逆数)×マネーサプライ (2)

 (2)式は、物価水準×実質GDP、つまりは名目GDPは市中に流通しているマネーの量と等しいことを意味する式である。名目GDPとはある時期に生み出された一国全体の付加価値の総和を物価変化を含めて示した値であるが、では名目GDP成長率とは何だろうか。GDPが付加価値の総和であるとともに家計・企業といった経済主体に分配されるものであると理解すれば、名目GDP成長率は一国全体で受け取る分配額の成長率、つまり一国全体のリターンを示している。政策金利とはリターンを得るためのコストと考えられるため、リターンとしてみた名目GDP成長率に対して政策金利の水準が過大であれば一国全体では損となり、一致すればリターンとコストは等しい、名目GDP成長率が政策金利を上回れば一国全体では得となるというわけだ。よって政策金利を評価するにあたっては明確な引締めの必要が無い限り名目GDP成長率以下の水準に政策金利を設定するのが望ましいことになる。
この「policy rate gap」を日本経済について適用したのが以下の図表である。図表では青い折線グラフが対前年同期比ベースで名目成長率を計算した場合のpolicy rate gap、赤い折線グラフが対前期比ベースで名目成長率を計算した場合のpolicy rate gapである。プラスであれば緩和的、マイナスであれば引締め的ということがいえる。シャドー領域は景気後退局面の時期を指している。
 この図表から何が言えるのだろうか。まず、シャドー領域の部分(景気後退期)のpolicy rate gapはマイナスであることがわかる。つまり名目GDP成長率の落込みは金利引き下げを行っても解消できず、結局のところ金融政策は引き締め的に作用したということである。さらに近年(2007年中ば以降)の状況においてpolicy rate gapはマイナスである。この事実は現在の金融政策は引締め的であること、そして景気後退局面に入っていることを示唆する。

図表:policy rate gap及び政策金利の推移

(資料)日銀資料、内閣府『国民経済計算』

 さて、竹森教授の言う「バブル」が生じる原因とは、「動学的効率性が満たされない状況」に経済が陥るというものであった。それは成長率が投資収益率を上回る状況であり、さらには財政破綻に関する議論に照らせば名目GDP成長率が国債金利を上回るという状況であったわけだ。
正常な金融政策は政策金利にはたらきかけるわけだが、金融緩和により政策金利を下げるということは金利の期間構造を経由して、経済を「動学的効率性が満たされない状況」にいざなうことになるのだろう。この事実を「バブルは悪である」という観点から照らせば、緩和的な金融政策はバブルの温床になるため、バブルを未然に避けるように行動すべきというBIS Viewに帰着するわけだ。
 しかし、そのような議論が早計であるのは殊に我が国においては明らかである。それはpolicy rate gapのプラス幅が1997年以降においては3%がせいぜいであり、かつ現下の状況はマイナスであるという事実からもわかる。政策金利国債金利やその他の短期金利と比較して最も低水準の金利であるために、容易に現在の状況は「動学的効率性が満たされている状況」なのだ。そして、投資収益率(=金利)が名目成長率を上回っているからといって投資が活発に為されているのかといわれればそのようなことは無く、2007年以降の設備投資の伸びは顕著に停滞している。更に言えば我が国は「失われた10年」以降、「国内に新規投資対象が無い」という状態が持続しているのだ。
 それではこのような局面において「動学的効率性が満たされている」といって状況を放置するのが好ましいのだろうか。私の感想はNoである。世界的な枠組みで捉えれば「国内に新規の投資対象が無い」という状況は新興国、そして我が国も同様であるが、投資対象の無さと「動学的効率性」との関係を考えると、金融緩和によって「動学的効率性が満たされる状況」の下で新規の投資が円滑になされることを後押しし投資収益率(=金利)を下げ、あわせて名目成長率を上げ、そして「動学的効率性が満たされない状況」、すなわちバブルの方向に持っていくことが、我が国にとっては必要なのではなかろうか。
 もう少し補足するとこう言えるかもしれない。我が国はバブル崩壊前(80年代後半)の名目成長率は平均して6.3%、金利国債10年物利回り)は平均して5.4%であり、「動学的効率性が満たされない状況」であったわけである。一方直近時点の名目成長率はマイナス成長、金利(新発10年物利回り)は1.5%程度であり「動学的効率性が満たされている状況」である。但し名目成長率がマイナス及び低水準の状況では投資をしようとしても総需要が不足しているため新規投資など生じないことは必定である。我が国の経済との兼ね合いで考えれば、特にデフレに陥っている状況においては金融緩和を行うことで「動学的効率性が満たされない状況」を作り出すことが必要なのではないだろうか。この意味で我が国には「バブルの効用」はあるのだろう。

資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす

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