「奇人」の主張
先日ノーベル経済学賞を受賞されたこともあって、久しぶりにクルーグマンの『経済政策を売り歩く人々』を読んだのだが、この本は米国の経済政策において政策プロモーターが経済学者の真摯な研究成果を食い物としている様、そして戦後米国の経済政策の見取り図を分かり易く描いている好著である。
同書の102頁にマーチン・ガードナー『奇妙な論理』でふれられている「奇人」の特徴についての言及がある。「奇人」とは以下のような人を言う。
第一に、「奇人」は議論を広める際に、通常とられるような方法を避けたがる。「奇人は発見した理論を著名な学術誌に寄稿しようとはしない・・・自分で設立した組織で講演し、自分で編集する雑誌に論文を寄せるのである・・・」
第二に、学界の主流派が自分の考えを必ずしも受け入れようとしないのは、彼らが浅薄であるか、不誠実であるか、あるいはその両方であると考える点である。
クルーグマンがこのような「奇人」の定義を持ち出して攻撃した相手とはサプライサイダーである。サプライサイダーの議論はウォール街のレストランで構想され、その議論の中から、ケインズ経済学が論理的に一貫していないという奇妙な結論を得た。何百回もの学会が行われ、幾多の経済学者が議論を重ねているにも関わらずである。また、金融政策は実態経済に重要な影響を与えないという結論を得た。シカゴ・セミナーで約30年間も真摯な議論が続けられているにも関わらずである。
そして、ウォール街のレストラン−マイケル1−で夕食を取りながら構想された世界的な発見に繋がる深遠な結論は、驚いたことに殆どがWSJ紙の論説欄やパブリック・インタレスト誌に掲載されたのである。これは、サプライサイダーの首謀者とも言えるロバート・バートレーがWSJに属していたことが理由である。
勿論、「奇人」も程度問題であろうが、様々な言説を見るにつけて感じるのは、自らの理屈を偉大なる経済学者の誰も思い浮かばなかった議論だと論じたうえで、一方でその素晴らしい成果を世界中に発信することをためらう人々が居るという奇妙な事実である。
私はそのような言説を見るにつけて心底勿体ないと思う。そのような素晴らしい成果こそ世界中の経済学者をあっと言わせ、新たな知識の源泉となりうるものだからだ。私のような凡人はケインズの云う通り誰かの思想の奴隷としてこの先も生きていくしかないというのに。
そしてもう一つ残念なことは、そうした「奇人」の主張が正当な形で吟味されることなく容易に力を得るという事実である。我々にとって必要なことは、「世界中の経済学者の誰も構想したことがないような素晴らしい議論を発見した」という「奇人」を見かけたら、是非とも狭い言説の中に留まらず世界中にその議論を広く発信し世界にその名を轟かせるように助言することなのだ。そうすれば「奇人」は「貴人」となるのだろう。
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奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)
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