岡田靖『世界的金融危機、日本の教訓は生かされているか』を読む
ロイターインサイトコラムから*1。
今回の岡田さんの論説は、今回の金融危機に際して日本が踏んだ轍をFRBが踏んでしまった点について検討がなされている。詳細は御読みいただきたいが、一点目はリーマン・ブラザースの破綻処理、二点目はMMFと預金保険制度、三点目は安全性と効率性との兼ね合いをどう考えるかである。
リーマン・ブラザースの破綻というFRBが下した処置は、金融市場の機能麻痺をもたらし連鎖的な金融機関相互の貸し渋り、金融システム全体の危機を招くという教訓が生かされなかったわけである。個人的には岡田さんと同様、リーマン・ブラザーズを破綻させるという選択肢は取るべきではなかったと思うが、先のエントリでも書いたように、適度な「危機」を醸成することで、公的資金による資本注入策や不良債権の買取りといった安定化策に各国が協力してあたるための布石という捉え方もあるのかもしれない。しかしながらこのようなFRBにとって最大限の甘い評価は「危機」が終わってからするべき類の話だろう。
二点目はMMFの元本割れに関してFRBが預金保護の上限を25万ドルまで引き上げたという点である。そもそも自己責任の問題ともいえるMMFの元本割れだが、その被害額が許容できない水準となってしまえば家計への影響は大となり実体経済悪化の懸念から政策介入せざるをえなくなる。投資対象の規制によりリスクの高い資産への投資を抑制するのか、預金保護を引き上げるのかという点は自己責任と効率性の観点の折り合いという問題を提起することになるだろう。
そして三点目は安全性と効率性の問題である。論説中にも述べられているが、安全から金融自由化という効率性に舵を切った我が国は大停滞に陥り、今もなおその後遺症に苦しんでいるところである。
安全性と効率性に関して考えられる方向性は、一つは安全性に舵を切り、より一層間接金融と直接金融とが並存する方向を志向することだろう。但しこの場合には間接金融と直接金融がどの程度で折り合うべきかという論点が控えている。もう一つの方向性は、直接金融が主体であるという現状の金融システムを念頭に置きながらリスクをどう飼いならすかということである。これまでのバブル生成から崩壊の経験を念頭に置くかぎりは「リスクを飼いならす」ことは難しいが、リスクが顕在化した際にその痛みをどう最小化させ実体経済への拡散を抑えるかという点については方策があるのではと感じる。
重要な点はいかなるシステムを採用していくにせよ、世界のどこかに必ずリスクは存在するという点である。そして、このリスクは引き受け手を捜すことが困難だからこそ、多数の参加者による競争的かつ洗練された市場ではなく、相対でかつ格付け機関という外部情報に頼った値付けという前近代的な形での取引がなされていた。今般生じた危機は事後的に見れば明らかに高いリスクに皆が手を出し、そしてそのリスクが潜在的ではなく損失という具体的な形で広範に表面化したという点が特徴だろう。
事後的に見れば明らかに高いリスクの背景にあると考えられる要素は、その性格から世界に多大なる恩恵をもたらしたのも事実である。2002年以降から続いた世界経済の成長は2007年を一区切りとすれば5年間続いたわけである。昨年中ばから金融危機が始まったものとしてもまだ一年少しであり、実態経済の悪化が顕在化している期間はより短い。「山高ければ谷深し」の喩えに従えば、今後あと4年は実態経済の悪化を伴いつつ金融危機が続くともいえるが、今の所そのような事態が生じうる可能性は少ないと見るのが妥当ではないかとも思うのである。だとすれば、「バブルが悪」と即断し、その恩恵をみすみす溝に捨てるような仕組みの採用に舵を切るのではなく、「バブル」の理解を進めて上手く付き合う方法を考えた方が建設的ではないのだろうか。