沢木耕太郎『危機の宰相』、『テロルの決算(新装版)』から
*1来月、文藝春秋から文庫本として、『危機の宰相』、『テロルの決算』が刊行されるとのことだ。『テロルの決算』は未読だが、文庫版刊行をきっかけに読んでみたい。『危機の宰相』は下村治の子息である恭民氏によるあとがきが追加されるとのことである。一昨年同書が話題になった際に私も読んだのだが、『危機の宰相』は、1960年という時代に対する沢木耕太郎氏の尽きない興味から生み出された著作である。同書のあとがきによれば、沢木氏は1960年という時代を、体制の側が提出した夢と現実を描く「所得倍増」の物語である『危機の宰相』、右翼と左翼が交錯する瞬間としての「テロル」の物語である『テロルの決算』、学生運動とメディアが織りなした「ゆがんだ青春」の物語である『未完の六月』の3つを通して描くことを意図していた。
沢木氏はこれらが次の10年である「1970年」に「所得倍増」と対応するものとして「日本列島改造論」、「山口二矢」に対応するものとして「三島由紀夫」、「全学連」と対応するものとして「連合赤軍」という形で繋がっていくものと捉えている。『テロルの決算』は刊行されているが、『未完の六月』は未完のままとなっている。全学連委員長だった唐牛健太郎氏については西部邁氏による『60年代安保センチメンタルジャーニー』(文藝春秋)もあるが、是非沢木氏による『未完の六月』の刊行が待たれるところである。
1977年に文藝春秋に掲載された『危機の宰相』が2006年に単行本の形で取りまとめられたことについては、もっと早く単行本化されていればというのが正直な気持ちである。一方で現代こそこのような本が読まれるべきではないかとの思いも生じる。同書を読むと、池田隼人、田村敏雄、下村治という三人が偶然にも結びつき、「所得倍増」という夢に向かって突き進んでいく様が臨場感を持って描かれていることに驚く。そして、「所得倍増」という経済政策の成功により、「安保」で揺れたわが国が「潮が引くように何かが変わってしまった」という同書の指摘の意味を今こそ噛み締めるべきではという思いが去来する。また、飯田経夫氏による書評の中にも引用されている沢木氏の言葉は、まさに現代においても成立する感想だろう。そして竹森俊平『世界デフレは三度来る』*2、安達誠司『脱デフレの歴史分析』*3においても共有されている感想なのかもしれない。
「当時の経済論壇」は、ただ「『永遠の正論』の側に身を寄せて現実を批判」していただけであり、「批判者たちの立論の変遷を辿っていくと、この国の『口舌の徒』に対する絶望感が襲ってくる」
- 作者: 沢木耕太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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下村治氏が亡くなった際、下村氏が『危機の宰相』が単行本化されるのを待っていたという記述からしても、同書の内容が所得倍増の際の下村氏の状況を的確に伝えていたことを物語っている。さて、下村治氏が「所得倍増」を唱えた時期の経済認識はいかなるものであったのだろうか。竹森俊平『世界デフレは三度来る』(下巻)では、下村氏の経済認識について以下のように記している。
ようするに、下村は日本企業の投資意欲が強く、製品の質や生産工程についての技術進歩が目覚しい現状では、日本経済の潜在的な生産能力と輸出能力は、しばらくの間は飛躍的に拡大していくと考えた。他方で、その時に政府がうまく需要側を管理してやらなければ、需給のアンバランスをきっかけに、せっかくの経済成長の芽が摘まれてしまう。その危険を彼は指摘し続けたのである。
「短期」の問題に注目したケインズの経済理論では、「投資」は「消費」とともに、「総需要」を構成する要素であり、その増減に従い、総需要の増減をもたらす働きがある。しかし、これを経済成長を視野に含めた「長期」の視点で考えるならば、「投資」こそが経済の産出能力を高める源泉である。そうだとすると、需給のバランスがとれた経済成長が実現できるかどうかは、「投資」からもたらされた産出能力の増加が、その同じ「投資」からもたらされる「総需要」の増加とマッチするかどうかに依存する。この点がまさに下村の経済思想のポイントであった。
以上の記述から、設備投資の増加によってもたらされた産出力の増加が需要不足により無駄にならないためには有効需要を十分に伸ばしていく必要がある。この積極策が成功を収めたのは、実際問題として「国際収支の壁」が当時の安定成長論者が想像する程大きな制約条件とはなりえず、長期的な国際収支の動向を考慮した場合に一時の赤字基調を十分にクリアするだけの黒字をもたらしえたこと、「所得倍増政策」というビジョンが実態を伴った「コミットメント」として機能し、政府と日銀との協力関係が保たれた、また政府と日銀との「幸福な協力関係」が成立したという点が理由としてあるのだろう。
さて、現代の経済政策において「所得倍増政策」の経験はどのように生かされるべきだろうか。「所得倍増政策」の実施に際しては、政府と日銀との「幸福な協力関係」が成立していたことが指摘され、当時と比較して現在の金融政策の持つ役割は大きい。
2006年、日銀は「独立性」、「フォワードルッキングな政策運営」という御旗の元で量的緩和策、ゼロ金利政策を解除したが、日銀が言う「正常な状態への回帰策」が日本経済の「需給バランスを担保した経済成長」に寄与しうるものだといえるのだろうか。わが国がデフレから脱却したとはいえない状況の中で、「いくら独立性を有したところで誤った判断をすればそれまでだ」という思想の重みを認識しつつ、そして政府と日銀との適切な政策協力の可能性を探っていくことが必要である。そして世界的な金融危機に苛まれた我が国の現状において、私はこの思いをより強く持たざるを得ないのである。