「空虚」について

 中々時間が取れないことと、ある知識人に関する頁に本書で記載されている別の知識人を見つけるとその知識人についての頁を合わせ読むということをしているせいなのか、はたまた私が無知なだけ(最もこちらが可能性が高い)なのか、毎晩牛歩の如く一頁一頁を噛み締めながら粕谷一希『戦後思潮』(藤原書店)を読み進めている。あながち就寝前の清涼剤のような気分である。
 本書で語られている戦後から70年代までの知識人の思索の系譜を読んでいくと、最近の田母神論文騒動は覚悟の無い小児病化した我が国の現状を投影しているようで興味深い。例えば、我が国が為した戦争という行為を擁護するたった9頁の論文に最高位の評価を下した渡辺昇一氏らの行為は現在における知識人の地盤沈下・滑稽さを暗示させる。
断っておくが、私は田母神氏の主張そのものに異を唱えたいのではない。そうではなくて、政府の公式見解と異なる己の意見を防衛省高官という立場で公表するにあたって形式的には何かしらの処分がなされること、そして論文の内容が周知のところになることが容易に予想され、その処分に対して氏が大なり小なり何らかの覚悟をしていたことは想像に難くないにも関わらず、自己の意見表明である件の論文の内容・根拠の薄さ、論理展開の飛躍が田母神氏の「戦争行為擁護論」を空虚なものに貶め、「言論の自由」の是非などという形式論を派生させ、更に田母神論文を評価した保守派知識人の底の浅さを垣間見させるのではないかということが言いたいのである。
太平洋戦争が開始された時、『身をすてるほか今はない。陛下をまもらう』と決意し、太平洋戦争に協力的姿勢を示した高村光太郎は敗戦後に受けた新世代からの批判に対して自らを暗愚と称し自己批判への道を切りひらいた。『太平洋戦争という未曾有の経験は、感性の使途たちを惑乱させるだけの体験だったのである。』そして大東亜戦争という歴史的事実を積極的に評価した田辺元が敗戦後にそれまでの哲学的立場を変革し、『懺悔道としての哲学』を著した。これらの人々は太平洋戦争の主導者達と同じ世代でもある。さらに敗戦を40歳代で迎えた小林秀雄が「僕は馬鹿だから反省などしない」という時、既に戦前から軍人や官僚の愚劣さを見透かしていたその眼に注意を向けざるを得ない。
 敗戦という事実は昭和10年代において抑圧され沈黙していた人々の復活をも意味していた。この抑圧と沈黙を耐えた後の知識人の表現方法は様々である。例えば太宰治は自己の破局への道を描くことで敗戦後の人々の空虚感といったものを切り取ることに成功した。戦後の軽薄な啓蒙主義の波の中でその虚偽性にいち早く反駁し、ヨーロッパ近代を目標としながらその超克をあわせて目標とせざるをえない日本の宿命を問いた福田恒存が「平衡感覚」を口にするとき、それに応える好敵手がいなかったのは不幸だった。
 我が国が起こした戦争という行為をどう位置づけるのかは、戦争を継続し敗戦という結末を迎えた過程において何かしらの形で参画した世代毎の温度差というものを抜きにして語ることは不可能だと思う。これまで敗戦という経験を、本質的に連続性を持つものである歴史・思潮から過度に断絶した存在として看做した側面は否めないだろう。戦争責任擁護論といったものが近年それなりの力を有するようになったのは、この断絶に対する違和感の表明とも見ることができる。そしてその際に検討すべきは事実の正確な認識とその事実が当時の人々の間でどのように受容されてきたかという点である。
 たった9頁の小論文では事実の正確な認識など望むべくもないが、私が思うのは緻密な事実の羅列によってのみ事実を判断できる程、事は単純ではないという思いである。この小論文には戦争という行為を起こした祖先という存在をどのように捉えているのだろうか。自由主義という空気を満喫しつつ、我が国のアイデンティティを犯される危険性を感じ戦争に賛成し、その後自己の行為を悔いた高村光太郎をはじめとする戦前派ともいうべき人々の思い、ファシズムと徹底的に戦いつづけることに殉じた河井栄治郎の思い、戦中に青年期を過ごし敗戦を通じた喪失感の中で自己のアイデンティテイの確立に彷徨い苦悩した世代の思い、新たな思潮を先導した戦後世代の思い、戦争責任を敗戦・自我の崩壊という形で具体的に感得することなく逝った近衛文麿ら戦争責任者の思い、このような人々の思いが開戦から敗戦にいたる一見して無機質な事実の相を具現化させる手がかりとなる。後に残された世代が判断すべきはこのような具現化された事実の集積としての「戦争」という行為をどう捉えるかということだろう。この意味で田母神氏、更には同様の主張をする保守派言論人らは単に戦争を悪と叫ぶ人々と同種の過誤に陥っているのである。
 私が感じる「空虚」は、粕谷一希『戦後思潮』に綴じこまれている「機」(2008年10月号)における粕谷氏と御厨氏の対談(「新古典」の読み方)の中でも指摘されている。例えば、御厨氏は戦後思潮についてこのように語っている。

 戦後史というか戦後の思想も、営々として豊饒なものも結構あったと思うのですが、次の三十年がたったときにふり返ってみると、豊饒に見えたものが極めて脆弱だった。それでその後の方向性が全く見えていない。思想やイデオロギーよりも先に現実の方が来てしまった、ということだと思うんですね。

 上の御厨氏の発言に即して言えば、思想の空虚さという事実と知識人の表舞台からの退場は表裏一体であり、戦後から徐々に徐々に進んでいたということだろう。ただ戦後から高度成長にかけての時期においては経済成長という事実が我が国を活性化させたことも事実である。この事実の過程にあって生み出された思想というものをどう評価するかという点も論点になりえるが、より重要な点は70年代の二度の石油危機、80年代後半のバブル経済、そして90年代の「失われた十数年」を経た現在において、経済成長という戦後を形付けた特徴が成長率の鈍化という形で具体的に剥落していき、さらに雇用の崩壊という形で社会をすさんだものに変え、そしてその事実に対する方向性を提示する思想が表立った形で出てこないことにあるのではなかろうか。
 今に始まったことではないが、思想の空虚さ・方向性の見えづらさといった特徴は、社会を構成する人間を裸の状態で現実に向き合うことを強い、結果として社会そのものをすさんだものに変えていく。変化に対して有効な処方箋がないわけではない。問題は、変化に対して何もせず座して死を待つという消極的姿勢そのものにあり、消極的姿勢を乗り越える過程の中で希求されるものが有効な思想足りえ、そのときこそ跋扈する似非言論人、したり顔で世間の無知に付け込む似非報道人は放逐され、思想を思想として戦わせる知識人達の復権がなされるのだろう。尤も、このような見通しには懐疑的になってしまわざるをえないが、一方で行き詰まった現状を打開する萌芽は少ないながら見受けられるのではとも思うのである。