浪川攻『前川春雄「奴雁」の哲学』、田中隆之『「失われた十五年」と金融政策』


 浪川氏の書かれた『前川春雄「奴雁」の哲学』を早く読みたくて本屋に行き購入。合わせて新刊の『「失われた十五年」と金融政策』も購入。
 『前川春雄「奴雁」の哲学』は韓リフ先生のご紹介にもあるとおり、第二次オイルショックの際の迅速な金融引締めを実現させた日銀総裁としての顔と、為替レートの高騰を背景として内需拡大を訴える「前川レポート」を生み出したという二つの顔を持っているわけだが、この二つの政策を貫く前川春雄の考え方・思想といったものがどのようなものなのかをドキドキしながら読んでいるところである。
 本書のタイトルでもある「奴雁(どがん)」とは、本書75頁に記載がある。

『奴雁』というのは福沢諭吉の論集の中にあり、「群雁野に在て餌を啄むとき、其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺ひ、不意の難に番をするものあり、之を奴雁と云ふ」

つまり、群雁を日本経済を支える人々(世間)とすれば、中央銀行たる日銀は其の中にあって不意の事態に備え、「物価安定」の為に番をするものであるということだろう。この際に重要な点は前川春雄本人が語っている「信頼される日銀となるためには、まず何といっても、正しい判断に基づいて金融政策を決定し、かつ勇気をもってこれを実行していかなければならない」という視点との両立である。現下の経済判断が過度に楽観的であれば、「奴雁」の哲学は「独善」の哲学に陥り政策は有効性を持ち得ない、そして自らの行う政策自体が袋小路に陥る危険性を有しているわけである。
 この視点から『「失われた十五年」と金融政策』を読んでいくと、中々興味深い。『「失われた十五年」と金融政策』では90年代以降の金融政策を包括的に取り上げているわけだが、気になるのは「90年代以降の金融政策の第一の特徴として、金融政策自体が一貫してプルーデンス政策を「肩代わり」する性格を持ったため、また98年以降はデフレからの脱却という目的が加わったために循環性を失った一方的な緩和政策の発動となった」という指摘についてである。
 今般の金融危機に関する対応にも繋がるが、プルーデンス政策景気対策としての金融政策の切り分けは明確に意識すべきであることは尤もだろう。プルーデンス政策のみを行ったとしてもデフレは脱却できず、景気も十全には回復しないことは98年以降の金融政策の経験からは実証済みである。「プルーデンス政策と物価安定策」の双方を担わなければいけないから仕方なかったのではなく、物価安定策(デフレ脱却策)として期待された量的緩和策を自らがプルーデンス政策として位置づけてしまったために、物価安定策(デフレ脱却策)として期待された効果が減殺され、そのことが「政策金利の引き下げ以外に金融政策として物価(景気)に働きかける有効な政策は無く、現状の政策金利の幅を鑑みると引き下げ余地が少ないために効果が薄い」という判断に繋がっているのではないか。これが「奴雁」ではなく「独善」に結びついているのではないかと思うのである。
 『「失われた十五年」と金融政策』には個人的視点から見ると、批判したくなる論点がかなりあるが、いずれにせよ本書をじっくり読んでから論じてみることにしたい。

前川春雄「奴雁」の哲学―世界危機に克った日銀総裁

前川春雄「奴雁」の哲学―世界危機に克った日銀総裁

「失われた十五年」と金融政策―日銀は何を行い何を行わなかったか

「失われた十五年」と金融政策―日銀は何を行い何を行わなかったか