「経済史から見たサブプライムの衝撃(竹森俊平vs若田部昌澄)NB online」を読む。


 NB onlineに竹森教授と若田部教授の対談が掲載されているのは既にエントリしたとおりだが、今回はその中で印象的な箇所を中心に纏めつつ私見を交えて感想を書いていくことにしたい。もう日も大分経ってしまったので御読みの方も多いだろうが、「読ませる」内容であるというのが第一印象だ。この点には少なくとも対談を御読みの方の大半が同意することだろう。

1.大恐慌時との接点
 過去の危機との対応では今回の金融危機をどのように見たらよいのだろうか。竹森教授は1930年代の大恐慌と比較して現在の金融危機は深刻だとし、その理由として、今回の危機は主要金融機関が相次いで崩壊していることを挙げる。確かに本年9月にはリーマンブラザーズ証券が破綻した後、メリルリンチAIG、ワシントンミューチュアル・・とたて続けに大手金融機関が他金融機関による買収や政府からの救済を求めることになった。大恐慌時には危機は世界的に伝播したものの、金融機関の破綻を経験したのは一部の国であった。そして米国においても破綻したのは中小金融機関であった。9月以降の展開を考えるにあたっては、世界金融システムの心臓部ともいえる米国大手金融機関の破綻・買収が顕在化した点をまず考慮すべきだろう。
 このような金融危機の深刻化が早期に進んだことは、危機の本質が大恐慌時と異なることを暗示させる。しかし、若田部教授が指摘するように、大恐慌当時は敗戦国のドイツに対して米国が資金を融通するという構図が成立しており、貸し手である米国、借り手であるドイツの景況悪化が資金循環を停滞させたという状況がある。今回の危機は借り手が米国、貸し手が新興国・資源国という資金循環が成立していた中で借り手の米国の資金繰りが悪化しているわけである。この点は貸し手である新興国・資源国に対する今後の懸念を深める材料である。
 そして、竹森教授が指摘するように、資金の借り手と貸し手との関係として大恐慌と今回の金融危機を眺めていけばリーマンブラザーズの破綻は大恐慌時のクレジットアンシュタルトの破綻になぞらえることも出来、その後に生じた事態は欧州の幾つかのファンドの危機、ハンガリーウクライナの危機、アイスランドの破綻と続いていく。資金の貸し手の資金繰りの悪化が、要注意先である貸出先から順に資金を引き揚げていき、取り付けにあった国が金融危機に陥るというパターンは大恐慌と共通するものである。以上の国際的な資金循環の流れは今後の金融危機や世界経済の動向を見る場合には重要なポイントである。確かに何ら政策手段を講じなければ、世界的な貯蓄過剰が生み出した好況が清算されるのは過剰な貯蓄が失われることで世界経済が均衡するということでしかない。しかしその事は世界の実態経済に大きなダメージをもたらすことに繋がる。今後の興味は、どのような政策がこのようなダメージを抑制し、その事で世界経済の形がどう変容していくかだろう。
 それでは、大恐慌時と比較して今回の金融危機が異なる点というのは何だろうか。それは一つには、金融システムそのものの不備に求められ、そしてそのことが今回の危機の世界的な拡大・深化のスピードの速さに繋がっているということだろう。
 竹森教授の著書*1でも明確に述べられている通り、銀行が証券会社と同じような行動を取ってしまったことが深刻な金融危機をもたらしたという側面があり、市場をデザインするにあたっての格付け側と運用側とのインセンティブ構造の不備(若田部教授)を今後どうデザインしていくかという問題に繋がる。この背景には、グラススティーガル法の緩和に伴って証券業と銀行業の垣根が失われたことやファニーメイフレディマックという暗黙的に政府保護が付けられている金融機関が住宅ローンに進出することで、プライム市場から普通の金融機関がサブプライム市場に締め出されたという話題も関連していく。さらに、この論点にはツールとして多用されたCDSをどう見るのかという話題も関連する。CDSは元々金融商品としては非常に使いにくいものだったが、結局今回の危機では皆が訳の分からない状態でCDSを使い始めて、市場のリスクをたらいまわしにしていただけだったということも言えるのかもしれない。さらに、リスクそのものを整備された市場取引の俎上にのせていなかったという点も重要な問題点だろう。この点は金融市場全体を俯瞰した場合のリスクを適切にどう処理するのかという市場デザインそのものの話題にも繋がっていく。

2.グリーンスパンの成功と失敗
 「皆が訳の分からない状態でCDSを使い始める」ことが進んだ背景には、群集行動がバブルに与える影響をみることができる。今回の金融危機に対する政策対応においても、いかに政策当局が群集心理・行動を飼いならしていくのかが問われているところだが、この論点は後回しとして、住宅バブル及び金融危機に至る状況において金融政策の責任をどうみるかをみていくことにしよう。
 背景にはグリーンスパンの金融政策が影響していることは否定しえない事実だが、ではグリーンスパンは何に成功し何に失敗したのだろうか。竹森教授はグリーンスパンの金融政策について三つのポイントを挙げている。一つ目は2001年以降のITバブル崩壊の局面において思い切った金融緩和を行ったことの是非である。今回の金融危機においてもバーナンキ総裁は危機が顕在化したとみるや金融緩和を断行したが、この点について(金融緩和が不十分であるという以外の)批判が少ないところを見れば、一つ目のポイントは正しい判断だったと言えるだろう。二つ目は1%という低金利を2005年まで持続したという点である。この点はテイラールールに基づいて早期に金利を上げるべきだったとの批判もあるところだが、一方で拙速な利上げは折角安定化した景況を再度悪化しかねないとの反論も予想される。どちらの視点が正しかったのかは断言できないという竹森教授の指摘はそのとおりだろう。そして三点目は金融規制の問題である。グリーンスパンは市場には自浄作用が働くため、政府・連銀による規制は必要ないという判断だった。CDSといった金融商品も市場に内在するリスクを市場のプレイヤーが適切に処理するための仕組みであり、これをどう利用するかは市場に任せるべきというのがグリーンスパンの判断だったわけである。今回判明したことは、「野放しは重大な問題を引き起こす」ということであり、ルール・枠組みを最低限用意することが政府・連銀にとっては必要だったということだ。 
 個人的感想を交えつつ纏めると、物価安定と雇用安定の二つを目標とする中でのグリーンスパンの金融政策は正しかった。問題は、金融政策と金融システム安定策という二つの政策を見た場合に、グリーンスパンは市場プレイヤーの自浄作用に期待したものの、様々な要因により金融市場システムの中では上手く働かなかったという判断ミスが必要な政策手当てを怠ることに繋がったことである。そして、バーナンキ総裁も迅速な金融政策を行ったものの、リーマンブラザーズを破綻させるという判断ミスがこれまでの地道な流動性供与策の効力を失わせ、更なる対応が必要になっているという現状を生み出しているのではないだろうか。

3.我が国の危機対応は十分か?
 世界的な金融危機が深刻化し、実体経済の悪化が鮮明となるにつれて我が国への影響も大きくなってきている点は周知のとおりである。97年の金融危機に対する政策当局の対応は竹森教授が指摘するように不味いものであった。90年代の長期停滞は基本的に国内固有の問題であったわけだが、今回の世界的な金融危機は、国際的な問題である。各国が自国経済の悪化を阻止しようと対策を講じ、その事が新たな資金循環や国際経済の枠組みを形作ることは大恐慌の経験からもわかるが、この意味では金本位制にあくまでも固執して金融政策のフリーハンドを放棄し続けたことで、初期の停滞は軽微であったものの、結局停滞が最も長期化してしまったフランスのような事態に我が国が陥りはしないだろうかという懸念・危機感が対談からはうかがえる。この懸念は自分も同意するところだ。思い切った金融政策を基点とした経済政策を行うことが何よりも自国経済の悪化を食い止め、その事が世界経済にも伝播していく、その結果として政策協調があるという論点を我が国の政策当局は十分に考えるべきだろう。以前エントリした点にも関係するが、政府と日銀が互いの足を引っ張り合い、そのことが経済政策への諦念をもたらし、現状からの脱却という美名の下でおよそ景気対策としては無理筋な構造改革というマモンが経済政策の表舞台に台頭した結果、国民に無理・負担を強いるという「失われた十数年」で繰り広げられた悪夢は避けてもらいたいところである。
 対談でも指摘されているとおり、政策の失敗を認めた上で早期に対策を発動していく米国と、「失われた十数年」の総括すらなく文字通り思考停止の形で「失われて」しまった我が国の関係は対照的である。何度も過去失敗した政策を繰り返しつつ、さながらガダルカナル戦のような様相を呈しつつあるのは政治の不在、政策に対する基本的認識の不十分さという側面が大きく影響している。いつになったら我が国は「失われた」という事態がなくなるのだろうか。有効な政策を打つことは未だ可能であるにも関わらず事態は逆に向かっていく様を見るにつけ、不安は尽きないというのが正直な感想だ。

(追記 11/27)
 ブクマでコメントを頂いておりますが、そもそもこの対談(及びエントリ)は現在の危機に直面しているバーナンキへの評価を現在どう考えるのかというのが趣旨ですので「過去及び現在進行形の政策」でしか判断の仕様が無いでしょう。10年後の評価は10年後すればよい話です。私も10年後再度論じますのでお手数ですが10年後コメントしていただければ幸いです。このようなご指摘ははっきり言ってナンセンスです。
 又、今の世界的な金融危機では流動性を供与しなければクラッシュする状態にあるのはその通りです。97年・98年の我が国の金融危機においても銀行間市場は麻痺して幾つかの金融機関が倒産しました。その後の動きは、都市銀行は合併・数の縮小を余儀なくされ、株価はバブル最盛期の2割の水準まで落ち込み、デフレに突入、実態経済はマイナス成長、90年には2%台だった失業率は5%台後半まで上がりました。私の感想は、次々手を打たなければいけない時に手が打てなかったのが我が国の状況ではないかというものです。

*1:私の感想は該当エントリ(その1)〜(その3)をご覧ください