ケチャップを買う人、評価する人、副作用を指摘する人

1.25日に発表された凄まじいFRBの金融対策の概要*1

2.(並べるのはご迷惑かもしれないが)それに関連して岡田さんのロイター論説*2

3.タイミング良く報道された白川総裁の量的緩和策に関する発言*3

 以上の三つの報道・論説を併せ読んで私が感じたのがエントリのタイトルである。これは誇張でも何でもないが、ケチャップを買ってでも流動性を供与し最後の貸し手として米国経済、ひいては世界経済の破綻を最小限に食い止めようと金融政策を行うバーナンキ総裁の姿勢・政策は、勿論様々な失敗もあるかもしれないが評価すべきだ。
 しかし海を隔てた我が国においてはこの行為を念頭においてなのか、量的緩和に伴う副作用を懸念する声が聞かれるわけである。必死にケチャップを買っている人に対して後ろから「そのケチャップ毒入りですよ」と耳打ちするような行為とでも言おうか。あるいは今にも死にそうな重病人に対して特効薬の投与を行っているところに、「その特効薬には副作用を伴う」と後ろから耳打ちするような行為と言おうか。勿論、副作用を伴うのは事実かもしれないし、その点は議論すべきだ。しかしながら「何としてでも生きる」のが当面の目的であるところにその副作用を云々する行為に意味があるとは到底思えないのである。 
 当然ながら特効薬を投与すると判断した人間にとっては、その薬の効能は(副作用も含め)明らかなのだろう。結局のところ、今にも死にそうな重病人に対して特効薬の副作用を指摘するという行為の裏には、「ケチャップを買う人」と「その副作用を喧伝する人」との大きな差−判断の甘さと政策目的の優先度の認識の違い−があるのではと思うのである。