昭和恐慌、およびその脱却の経験から何がいえるのか(その2)
3.現代に蘇る高橋財政の教訓
(その1)では岡田・安達・岩田(2004)を中心にしながら1920年代から井上財政、高橋財政に至る道のり、そして高橋財政におけるレジーム転換がデフレ脱却を果たし、経済の諸側面にどのようなルート・ラグを伴いながら影響したのかを簡単に跡付けてみた。高橋財政における経済の回復は、恐らくは人々にとって「魔法」のように映ったことだろう。何しろ25年以降デフレに陥り成長率が低下した状況下で、30年及び31年は更に急激なデフレと経済収縮が生じたという状況の元である。就任して一年あまりで安定したインフレと経済回復を達成した高橋是清の手腕は、大恐慌のさなかにあって主要諸国が不況に苦しんでいたという事実をあわせて考慮すれば特筆すべきものである。以下、何が高橋財政を成功に導いたのか、それに付随して現状についての感想を書いてみることにしたい。
(1)「ビックイベント」の必要性
高橋財政が開始された当時の日本経済は1910年代末までの大戦景気とその崩壊を経て実態経済は停滞し、1920年代後半にはデフレに陥ることでその停滞は更に強固なものになった。勿論、1920年代における経済停滞に際して政策当局が何もしなかったわけではない。しかしながら結果論としては停滞が続いたのも事実である。そして昭和恐慌によってデフレの深化と実態経済の破壊的な悪化という深刻なダメージを被った。
このような経済状況においてはデフレ期待(予想)が蔓延・深刻化したのは事実だろう。そして高橋財政においてはデフレ期待(予想)の払拭は、「二段階レジーム」の実行によりなされた。飯田・岡田(2004)*1では具体的に予想インフレ率の推計を行っているが、31年12月の金本位制離脱直前の11月に予想インフレ率は20%程度に上昇したが、その後金融政策の転換がなかったために予想インフレ率は徐々に低下していく。32年3月に国債の日銀引き受けが報道され、あわせて公定歩合の引き下げ(31年のピークは5.84%だったが33年には3.65%となった)が報道されると4月には予想インフレ率が前月に比べて10〜15ポイント増加し、3ヶ月にわたって30%にわたる水準が維持されたのである。すなわち、予想インフレ率の大ジャンプが生じたのである。この際注意すべきは、実際の政策が発動されてから予想インフレ率がジャンプしたのではなく、明確な政策転換(レジーム転換)の宣言がなされた段階で、予想インフレ率が拡大し、さらに実際にインフレ率の拡大、資産価格の好転、バランスシートの回復、実態経済の好転というルートを通じて経済は回復していったということである。
ビックイベントとしての経済政策の構想と公衆への明確なアナウンスは期待を反転させ、期待がラグを通じつつ、実態経済へと波及していく。経済停滞が深刻であるのならば、予想主体に足元を見られるような小出しの政策決定・発表を継続して行ったとしても大きく公衆の期待を反転させることは難しい。この点は現在の経済政策についても当てはまるところであり、深刻な不況に陥りそうな状況においては公衆に明確な形でビックイベントを起こすことができるのか否かが鍵となる。この点、来年1月から新政権に移行する米国には千載一隅のチャンスが巡ってきていると思えるが、新政権移行のタイミングでレジーム転換をはかれるかどうか、思い切った政策を打てるかどうかが一つの山場だろう。オバマの発言や経済対策チームの発言を見聞きすると思い切った政策を行わないというリスクは非常に少ないと思う。勿論米国にも不安材料はあるのだが、ここ数ヶ月で急激な実態経済の悪化が生じている我が国に関しては、麻生政権の混迷と経済政策として念頭に置かれている対策が不十分であるという両側面において不安を感じざるをえない。
(2)現状の経済政策をどうみるか
もう少し我が国の経済政策についてみていこう。金融政策についてみると、日本銀行が12月の金融政策決定会合で決定した利下げ幅は0.2%であり、既に長期金利が利下げ予想を織り込んで推移していたことを考慮すれば「ビックイベント」にはなり得ない。12月の政策決定会合の決定を評価する議論もあり、事実長期国債買入れの増額や買入対象国債の追加・残存期間別買入れの実施、企業金融支援特別オペの決定、CP買入れを含めた企業金融面での追加措置という政策が実施されるのは確かに前進だろう。しかしながら、長期国債買入れの増額には上限が設けられ、企業金融支援特別オペは来年4月末日までの時限措置、CP買入れも同様に時限措置である。危険資産をあくまで買取りつつ市場に潤沢な資金を供給し続けることを目的とし、バランスシートを拡大させることを厭わずに政策の発動を継続・模索し続けている米国FRBと比較すれば、今回の日銀の政策決定はわずかな利下げ以外は年末から年度末に向けた緊急支援の域を出ないのは明白だろう。白川総裁は今回の政策決定に際して量的緩和策ではないと明言しているがそのとおりだ。マスコミはCP買入れの決定に際して金融市場の機能維持を念頭に置いたギリギリの決断と報じたが、カネが回らないという形で金融市場が失血死する懸念が十二分に予想される中であくまでも規律としての市場機能維持に拘ることで金融緩和が小出しにされるのならば本末転倒ではないだろうか。
我が国の財政政策については、政府は12月19日に「生活防衛のための緊急対策」を取りまとめた。内容は周知のとおり10月30日発表の「生活対策」で決定されている事項に加えて雇用対策の実施や金融市場・資金繰り対策の追加的措置である。金額の割合としては金融面での対応がメイン(生活対策と生活防衛のための緊急対策をあわせた64兆円程度のうち54兆円が金融措置、財政措置は10兆円程度)だが、結局のところ当座の金融収縮の対応が主で64兆円という金額に比して実態経済(民間需要)の急速な悪化を公的需要で補填するという意味合いは薄い。
10兆円の内訳を見ると、雇用対策に1.1兆円、雇用創出等のための地方交付税増額1.0兆円、経済緊急対応予備費1.0兆円、税制改正(住宅ローン減税、自動車重量税・自動車取得税の減免措置、中小企業経営や資金繰り支援にかかる減税策等)に1.1兆円、そして定額給付金2兆円をメインとしつつ、介護・子育て支援、学校耐震化、高速道路料金引き下げ等を含む「生活対策」6兆円程度というものである。昨今話題となっている定額給付金に関していえば、個人的には公的需要で足りない民間需要を補う必要があるのならば、一人当たり2万円程度のカネで家計が行う支出の促進をはかったり、雇用維持や新規雇用を行った企業への助成金を配るのではなくて、現状は甚だ不人気かもしれないが維持補修の充実や、新たなインフラ設備の充実という形の方が良いのではないか。貯蓄性向が高い状況では家計にわずかなカネを配っても貯蓄に回されてしまい消費増加という本来期待した政策効果が発現しにくいが、政府自らが新たに仕事を作り出せば確実に失業している人は職を得ることができる。そして真水分は確実に需要が増える。結局のところ、新たに人を雇いたくともモノが売れずに人を雇えないのだから、モノが売れるように需要を付けるべきというふうに思うのである。
(3)「ビックイベント」をおこすことは果たして可能か?
先ほど「ビックイベント」をおこすことが必要だと論じたが、我が国の場合は「ビックイベント」をおこすことは可能なのだろうか。一言で言うと現状のままではビックイベントをおこすことは難しいだろう。不幸なことに我が国の場合には無制限の金融緩和にコミットしないことを明言する総裁の任期は再任されないとしてもあと4年以上残っている。副総裁及び審議委員の任期も水野氏を除けば4年程度残っており、解任の権限がない以上いかんともしがたい。政府についてもねじれ現象に伴い安倍、福田と短命政権が続き、麻生政権においても野党との折り合いの悪さは健在である。このような状況では政治がリーダーシップを取りながら経済政策を行うことは難しい。
勿論いくつかの可能性はある。一つは来るべく衆議院選挙にて民主党を中心とする勢力が過半数を取り、衆参で同一会派が多数を握るというものである。この場合、ねじれ現象は終息するかもしれないが、「利上げで経済回復」といった虚妄も聞かれる民主党にビックイベントを起こすことができるかという別の不安も生じる。そして何よりも日銀総裁・副総裁の選出時において現総裁を選択する結果をもたらした責任の過半は民主党にあるという「前科」も不安材料である。
そしてそもそも過半数を取るという可能性に関しても甚だ疑問である。民主党の現在の衆院での会派勢力は113であり、定数480に対して過半数を得るには241以上の議席が必要だが、民主党会派のみで過半数をとるためには現有勢力の当選は勿論のこと、それを上回る数の当選者数が必要ということになる。民主党では単独過半数獲得の可能性も考慮に入れているらしいが、いくら衆院選で民主党が勝利する可能性があるとはいっても過半数獲得はなかなか難しいのではないだろうか。このように考えると、たとえ民主党が勝利したとしても現在の状況は変わらず政治的な混迷は続く可能性が濃厚ということになる。既存の党の枠組みの中での対立構造ではなく、新たな政界再編が生まれるかもしれないが、深刻な不況局面に陥ることも予想される中で政界再編というコストを抱えることが果たして可能なのだろうかという疑問もぬぐえない。
もう一つの可能性は、主要諸国が積極的な緩和政策を行う中で景気回復を遂げていき、その中で我が国の輸出が回復する形で徐々に景気回復が進むという状況である。「ビックイベント」が起こらないのであればこの可能性の方が濃厚だろう。ただし、主要諸国が積極的な緩和策を行う中で、我が国は実効性のある経済政策を行わずに外需に頼むという形で遅ればせながら生じる景気回復の規模は02年から07年秋までの景気回復局面以上のものは見込めないだろう。その中で再び湧き上がるのは「構造改革主義」の再来であり、マクロ経済政策という手段の「死」という事態なのかもしれない。
※色々と書きたいところはあり、生煮えっぽいのですが取り急ぎ上げておきます。
*1:「昭和恐慌と予想インフレ率の推計」、岩田編『昭和恐慌の研究』第6章所収