松本清張『対談昭和史発掘』と昭和恐慌

 本書は1975年1月号の文藝春秋に掲載された「対談 昭和史発掘−昭和50年を迎えて」と、1964年7月から71年4月まで「週間文春」に連載された「昭和史発掘」の全二十話の中で単行本化する際に収録されていなかった第16話と第18話が収められている。
 対談の方は松本清張が戦前編として、「不安な序章−昭和恐慌」と題して城山三郎と、戦中編「吹き荒れる軍部ファシズム」と題して五味川純平と、そして戦後編「マッカーサーから田中角栄まで」と題して鶴見俊輔の各氏と対談している。なかなか面白く一気に読了してしまったのだが、こう並べていくと自分が何を書きたいのは多くの方にとってはお分かりのことかもしれない。そう、戦前編としてまとめられた城山三郎との対談だ。ちょっと昭和恐慌のあたりの二人の対話を抜書きしつつみていこう。

 まず、大戦景気が崩壊した後、震災恐慌と続いていく1920年代後半の時期について二人はこのように語る。金解禁へと向かう空気が濃厚であることがわかる。

城山 経済学的にいえば、スタグネーション、長期沈滞というやつがずっと続いていたわけです。悪性の貧血みたいに、どんどん血が失われていくみたいなことで、中小企業自体もやきもきしている。・・・・ある意味では、こんなにどうしようもないんだったら、思い切って治療してくれという、金解禁待望論みたいなものが圧倒的に強くて、中小企業自体もそれを期待していたフシも見える。
松本 そうでしたね。それにまぁ、世界の経済情勢が金解禁に向かっていたからね。あの時、非解禁国として残っていたのは、スペインと日本ぐらいのものでしょう。
城山 フランスはすでにやってましたし、大きな国では日本だけという状況ですね。


 そして旧平価での金解禁というデフレ政策の発動と同時にアメリカの恐慌が襲う。この点、量的緩和策の解除、二回の利上げという事態からアメリカ発のサブプライム危機が世界中を襲い、世界的な実態経済の悪化をもたらしている現在の状況にも重なるだろうか。さらに言うと、株価及び地価の暴落が先行して実態経済の悪化に結びつくさま、株価の下落が当初歓迎され、十数年超に及ぶ経済停滞の始まりであったとは認識されなかったというのは、十数年前に我が国が経験した事実そのものである。

松本 日本では金解禁を断行した矢先にアメリカの恐慌に直撃される。誰もアメリカのウォール街の株価暴落を予想していなかった。・・・アメリカの恐慌、それにつづく世界大恐慌を誰も予期していなかったんですね。
城山 予期しなかったと同時に、株と経済のつながり具合への判断が問題ですね。アメリカの繁栄を見てきた人が、ウォール街の暴落を聞いても信じられなかった。株は水ものだから、株の世界だけの暴落は終わるだろうというのです。井上はじめ財政当局も、確かにニューヨーク株は暴落したけれども、経済自体はまだまだ健全だから、投機の行き過ぎの反動がきたんじゃないか、くらいの受け止め方だったんじゃないでしょうか。

 さて対談自体は、金解禁前の三井、住友、三菱らの外国為替の思惑買いから、労働運動や無産政党の発展、ロンドン海軍軍縮条約に調印した政府への統帥権干犯問題といった二つの話題、つまり極左と極右の二つの運動が同時進行していく様に移っていく。そして右翼運動が農本主義と結びつきファシズムへとつながっていく日本的な風景の話題や国際的な視野から国内改革を唱えた北一輝といった話題がふれられ、不況とは何なのかという話に進む。
 そして、以下の不況の見立てにつながる。やはり「男子の本懐」を書いた城山氏らしい感想ともいえるのかもしれない。というのは、世間の認識として清算のための金解禁断行が一般に求められており、それに井上が後乗りしつつ金解禁を断行し、予想外に世界大恐慌が生じてしまったとすれば、井上の政策決定は誤りであって「不況政策に賭けた」という程ヒロイックな意味合いで後世の城山が井上を捉えるのは誤りであると感じるためだ。現在においても不況下に「将来の国民のため」、「国は巨大な割り勘組織」というお題目で消費税増税を唱え、定額給付金の実行を「誰が貰うべきか」という論点に結びつけることで骨抜きにするという愚行を行っている経済財政担当大臣氏が居るが、もし城山が井上の中に見たヒロイックな偶像を経済財政担当大臣氏が同様に見ているのだとすれば笑止千万である。

城山 不況というのは、本当は、そう簡単に解明がつく問題じゃないし、実に入り組んだメカニズムを持っている。わたしはやはり井上準之助は不況政策に賭けたと思うのです。彼は、彼なりの見通しと識見と勇気とがあって、ああいう不況対策をやれば恨みを買うことは目に見えていても、強行したと思うのです。ああいう緊縮財財をとった人というのは松方さんと井上さんと戦後のドッジラインの池田さんということになりますが、たしかにデフレ政策は評判がわるくインフレーション政策というのは人気を呼びますからね。

 浜口雄幸は一個の個人としては自己の信念に順じたのだろう。その姿は個人としては美しい。しかしながらそのような個人が時の宰相であり、宰相の決定が多くの人々に塗炭の苦しみを味わせたのであれば話は別であり、男子の本懐でもなんでもない。城山は以下のように語るのだが、浜口や井上と高橋とは明確な差がある。それは日本経済をいち早く回復の途につけさせたという事実そのものであり、後世の我々が考慮しなくてはいけないのは、誤った政策を採用した個人の意識を美しいと評価するべきではなく、はたまた正しい政策を行い経済を回復させた人間と同一視してはならず、さらに誤った政策に命を賭すのは国にとっては迷惑至極以外のなにものでもない、という単純な事実である。

城山 その一連の人たちを見ていると、凛としたものを感じます。浜口さんもやられた時には「男子の本懐」だと言っていますし。立派な姿だと思いますね。高橋さんも偉いですよ。・・・・本当に、命を賭けた人がもっと大勢いれば、日本の政治なり経済には、かなりちがった道があったんじゃないかという気がします。

 昨年の今頃あたりに華やかだった「円高で景気回復論者」の妄言は、ほぼ松本清張の以下の指摘と重なる。つまり自ら厳しい環境に身をおき、体を鍛えるという「筋肉経済学」そのものである。そして井上が実際に行った金解禁の効果は、彼が金解禁に当初反対していた際の見立てと同様の結果をもたらしたのである。
 城山の弁に倣えば現下の情勢はこう整理することもできるだろう。02年から07年10月までの日本経済は、麻酔治療を受けながらよろめきながら回復の徒についた状況であり、十分な回復期間を経ずして麻酔投与が絶たれたのが量的緩和解除、その後の利上げ局面であったわけである。そして、07年半ばから日本経済は徐々に病気が顕在化していき、現下の状態は「肺病にマラソン」である。これを処方箋(政策)の失敗といわずして何といおうか。
 マラソン(世界的な実態経済の悪化)をせざるを得なくなったのは確かに現下の苦境を作り出している原因である。しかしなぜ震源地の米国以上に実態経済が悪化することが見込まれているのかといえば、もともとの病気が治っていなかったからではなかろうか。結局、日本経済の問題である「もともとの病気」がなぜ治らなかったのか、どうしたら治せるのか、これからどのようにして養生するかを考えなくては駄目なのだ。病気が治りもしないのに体を鍛えることがいかにおろかな所業かは現在の状況が雄弁に語っているだろう。

松本 ところで、浜口内閣の金解禁は名目としては、緊縮政策をやって、それによって産業の合理化、そして先進諸国との世界市場での競争力を養うということでしたね。
城山 最初に、井上が金解禁に反対した時の有名な言い方は、「肺病患者にマラソンをさせるようなものだ」ということです。それだったら、実際に井上が金解禁をした時に肺病が治っていたかといえば、そうではない。・・・・・・
 あの頃まで、中小企業がなんだかんだといいながらも命を保っていられたのは、為替がどんどん暴落していくから、何とか安く売れたわけですね。(旧平価での:引用者挿入)金解禁をやれば、為替が高いところで固定して、つまり、日本から売るものは高くなって出て行くのですから、もう世界には売れない。よほど、合理化をして、その分を吸収しなければいけない。しかし、合理化とは、量産のメリットをあげることですね。そのためにはカネがいる。もちろん、そんなことは中小企業にはできない。逃げ場なしですよ。したがって、いざマラソンが始まったら、バタバタ倒れるのは当たり前だった。

 この後、対談の話題は昭和恐慌から手っ取り早く這いでるにはどうしたらよいかということで、軍事への膨張、高橋の暗殺、満州侵略への道と話題が続いていく。上記の言葉では明確にデフレ政策の愚を説明している城山だが、以下のくだりを読むと奇妙な思いに取り付かれる。つまり、城山は、カネが足りずにバタバタ倒れた中小企業が、高橋の政策によってカネ回りが良くなり体がなおっていくという。しかし体が治った中小企業は長い目で見れば廃人だというのである。結局、体が治っても廃人だからバタバタ倒れた方が良いということか。

松本 高橋のインフレ政策というのは、あの時点では景気の立ち直りのカンフルにはなりましたね。
城山 そうです。二、三年は、順調にいきます。中小企業は、戦争というくらい背景のもとだけれども、息を吹き返したんじゃないでしょうか。・・・これを中小企業の面から見ると、催眠療法にかかったみたいに、知らないうちにどんどん体が治っていく。しかし、長い目でみれば廃人になっていたということでしょうね。

 両者は昭和50年、つまり第一次石油ショック後の経済状況について語っているが、現在の視点から見れば、城山が高橋亀吉の言葉をもじって述べた肺病と糖尿病が併発する状況は、肺病を実態経済の悪化と捉えるのであれば、栄養を減らし、糖尿病(物価高)の抑制をはかったたことで肺病の悪化を伴いつつ治療をおこなったとみることもでき、結果日本経済は高度成長が終わり安定成長期に突入したわけだ。ただし見方を変えれば高度成長から安定成長に移行した時期において肺病と糖尿病以外にも大きな病、つまりその前後で人口移動といったダイナミズムを日本経済が失ったという事実が後に大きく影響しているのかもしれない。これを心臓病と捉えるとすれば、心臓病の進行(ダイナミズムの低下)は着実に日本経済を蝕み、その後の心臓ショックであるバブル経済が崩壊すると三重苦となって我が国を襲ったとも解釈できるのである。
 昨今世界経済の停滞を見て取って大きなパラダイム変化の到来と捉えるむきもあるが、特に政策担当者にとって懸念すべき事態は、国内不況の深刻化・長期化に伴う失業率の悪化の定着とそのことに伴う社会不安の醸成という事態だろう。
 この国の経済政策の混迷は、失われた十数年を経て景気対策として割り当てるべきマクロ経済政策が一旦全て放棄され、構造改革という愚策がその位置を占めたことに一つの原因がある。小泉政権からの脱却が唱えられたのは良いが、小泉政権で得られたもの、失われたものの整理すら満足にできないままに、そして政策そのものの効用すら認識しないままに景気対策としてマクロ経済政策を再度割り当てることは我が国にとっては再度「失われた十年」を繰り返すこと、つまりマクロ経済政策への諦念とその諦念の後で生じてくる構造改革主義の発現という歴史を繰り返すことに他ならないのではなかろうか。
 仮に過去と同じことが今後繰り返されるのだとしたら、我が国へのダメージは90年代の停滞のような状況では終わらないのかもしれない。余計な懸念なのかもしれないが、その場合、軍部に変わる新たな魔物が到来することこそ避けねばならない。その意味で、以下で指摘されているような潜在失業者数の増大が顕在化することの懸念というのは為政者が常に有しておくべき点ではないだろうか。

城山 ・・・・ただし、似ている点は、高橋亀吉さんは、当時(昭和恐慌:引用者挿入)のことを肺病と心臓病を抱えている病人のようなものだったといわれていますが、今(第一次オイルショック:引用者挿入)で言えば、肺病と糖尿病とでもいいましょうか。肺病をよくしようと思って栄養を取ると、糖尿に悪いし、糖尿を良くしようとおもって栄養を減らせば肺病に悪い。・・・・
松本 ・・・・前(戦前:引用者注)の形のファシズムじゃなくて、形を変えたファシズムというのが出現するのかもしれない。
城山 もっと糖衣にくるんだようなファシズムですね。
松本 いままで志願者の少なかった警察官が、昨年の応募数が関東方面で5,6倍、関西方面では十倍だそうです。それだけ若い人が大企業からしめだされているとみてよい。この潜在失業者数の増大がやがては顕在失業者の数字になってくるかわからない。昭和初期に似てくる状況ですね。

対談 昭和史発掘 (文春新書)

対談 昭和史発掘 (文春新書)

新装版 昭和史発掘 (1) (文春文庫)

新装版 昭和史発掘 (1) (文春文庫)