雑感

 この頃海外(欧米)経済学者の議論を読んでいると思うことこれあり。僕が偉そうにいうことではないのかもしれませんが、こういう際に共通言語としてのDSGEモデルが機能しておらず、結局はそれぞれのマクロ経済学的主観に基づいた議論に基づいているということです*1勿論、その度合いは論者によって差があるのは皆さんご存知の通りでしょうが、観客としてみている限りでは興味深い現象。で、そのあたりが議論のレベルは格段に違うとは言え、我が国の90年代における経済政策論議を傍観してきた人間からすると妙な既視感のようなものとして蘇ってきたりもしますし、そうじゃないポジティブな側面としても浮かび上がったりする訳です。これは一概には言えない。
 個人的な気分としては、そういった議論の流れに乗っかるだけではなくて、寧ろ徹頭徹尾forward lookingな視点、合理的期待均衡の視点で物事を見、解釈していくということも観客としては大切ということでしょうか。我が国は長期停滞を経験しているわけですし、(異論のおありの方も極々少数いるのかもしれませんが)政策の失敗の帰結がどのようなものかを痛い程味わったわけです。そして、その失敗の中で何をすべきで何をすべきではないかということは明らかなようにも思うのです。
 というようなことを最近ある先生からご指摘いただきつつ早速アンテナに登録(登録1番目でした(笑))したブログを読んでいて感じました。

*1:こう書くと又乗っかってくる人が居るかもしれませんのであれですが、個人的な感想としてはマクロ経済学は単に一揃えの単純な図式+αで説明ができる程単純なものではないと思いますし、そうであるべきではないと思います。歴史に学ぶことはあまりに多く、政治との相互関係も重要。自分の能力・趣向の問題もかなり要因としてありますが、標準的なモデルをいじり倒して解が見えるという方向性ではない何かを自分は目指したい、と格好良く弁解してみます(笑