米国長期金利上昇をどうみるか?

 各種報道*1によれば、バーナンキFRB議長は6月3日の下院予算委員会での証言において、長期国債金利及び住宅ローンの固定金利は最近上昇しており、その原因として1.大規模な政府の赤字に対する懸念、2.経済見通しに対する楽観的な期待の醸成、3.質への逃避に向けた資金の流れが逆転していること等を指摘したとのことだ。あわせて米国景気後退の年内の収束をより確信しているが、景気回復が始まった後も成長率は潜在成長率を下回る水準で推移する可能性が高い、インフレは現在のところ懸念事項ではないとの判断も下している。
 まず題名の論点を考える際には、金利の変動がもたらす情報としてどのような効果が含まれているのかをまず明らかにするのが一つの方法である。一般に金利の変動は、流動性効果、所得効果、フィッシャー効果という三つの効果が時差を伴いながら組み合わさった形で変化した結果であると理解できる。
流動性効果とは、通貨や信用の供給の増減が資金需要にもたらす影響である。例えば通貨や信用の供給が増えれば資金需給は緩和されるので金利は下がり、逆の場合には金利は上昇する。所得効果は、景気の先行き感の変化が投資活動に影響を及ぼし、更に資金需要に影響するという効果である。例えば、景気の先行きが変化して投資活動が活発化するのであれば資金需給は逼迫するので金利は上がるということになる。最後にフィッシャー効果は、名目所得の変化が期待インフレ率の変化を促すことで、投機的投資のための資金需要が変化し、それが金利の変化に結びつくというものである。例えば、名目所得の高まりを予想して期待インフレ率が上昇すると見込むのであれば、金利は上昇するということだ。
 こうみていくと、バーナンキ議長が長期国債金利の上昇という状態に対してどのような判断をしているのかが明らかになってくる。バーナンキ議長の発言に即して言えば、2.経済見通しに対する楽観的な期待の醸成、3.質への逃避に向けた資金の流れの逆転、という二つのポイントは上で挙げた所得効果を指していると考えられ、所得効果を経由した長期金利の上昇という経路の可能性を指摘しているわけだ。更に、インフレは現在のところ懸念事項ではないという判断は、期待インフレ率の高まりが危険水域ではないという判断につながるだろう。現状が完全雇用の状態とは程遠いことをあわせて考慮すれば、フィッシャー効果を経由した長期金利上昇という経路は想定できず、事実発言の中でも長期金利上昇の理由として挙げられることは無かったわけである。
 それでは1.の財政赤字が一因という指摘についてはどうだろうか。この点については、私はバーナンキ議長の苦悩が表明されていると思う。我が国の事情とは異なり、米国の長期国債は米国内ではなく外国がその大半を保有しているわけだが、海外諸国(中国と日本)が保有している米国債を手放したり、もしくは新発の米国債の購入を見送ることになれば米国債金利には上昇圧力が作用することになる。予想通り年末に景気回復が進んだとしてもその足取りは鈍いと見通されていることを念頭に置けば、以上の経路での長期国債の急騰は現状の米国にとって好ましい状況ではなく、結果財政赤字懸念が一因の可能性があるとの指摘をバーナンキ議長は行ったのである。
 しかし現時点での財政赤字懸念の吐露は一方で別のリスクをも生み出すことになる。早すぎる財政引き締めは折角回復しつつある景気拡大の芽を摘むことにつながり、更に現在の財政出動の規模が巨大であればあるほど、現時点の財政赤字懸念の吐露は将来の増税の必然性を確固たるものにし、進みつつある景気回復の芽を摘んでしまうということにつながるからだ。しかしバーナンキ議長個人の思いとしては、恐らく財政赤字のマネタイズも(場合によっては)考慮に入れるべきだと考えているのではないかと推察する。そしてバーナンキ議長が財政赤字について発言したとしても、実際に増税等の手段を行うのは政府であるという前提を念頭に置くと、今回の下院予算委員会の証言において国債もしくはMBSの購入拡大について明言を避けたという事実が、寧ろ国債もしくはMBSの購入拡大への布石なのではないかとも読めるのである。仮に今回の証言でバーナンキ議長が国債もしくはMBSの購入拡大を明言し、同時に長期国債金利の上昇について財政赤字懸念を表明したらどうなるだろうか。恐らく国債もしくはMBSの購入拡大により見込まれる効果は半減し、FRBにとっての懸念である財政赤字懸念を経由した長期国債金利の上昇という経路が現実のものになるリスクが高まるだろう。このリスクを避けて国債もしくはMBSの購入拡大を進めるのであれば、まず懸念を明示したという事実を市場に認識させておくことが得策だと判断したのではないだろうか。
 さて、バーナンキ議長の発言の中身からではなく、本題の米国長期金利の動きをどう見るかという視点に即して考えてみよう。金利の動きは先に述べたように流動性効果、所得効果、フィッシャー効果という三つの効果がラグを伴いながら作用した結果だと解釈できるが、長期金利の動きから金融政策が実体経済に与えている影響を探るのは難しい。
 過去の経験を紐解いても金利変化の判断の難しさは実証済みである。例えばFRBは60年代の末期に手痛い失敗をしている。当時の金利は高水準に達していたのだが、それを流動性効果に基づくものだと誤認してFRBは引き締めが浸透していると解釈し、引き締め策をとらなかった。しかし、この高金利はフィッシャー効果に基づく期待インフレ率の高まりを実は反映したものであった。ここでの判断ミスが引き締め強化を後手に回していき、惹いては70年代の大インフレにつながっていくのだが、以上の教訓は金利から金融政策の効果を判断することの難しさを示唆しているといえるだろう。その後の経緯は70年代早々に金融政策の中間目標としてマネーサプライ重視にFRBは舵を切ることになり、更に金融自由化や様々な支払い手段の登場に伴ってマネーサプライと実体経済との関係性が薄れてきていることが認識されると、判断基準は金利をはじめとした様々な指標に基づいたマエストロの手腕に託されることになった。ITバブル崩壊に対する危機対応としてのグリーンスパンプットとその後の政策金利引上げの過程においても長期金利の判断の難しさがバブルを軟着陸させるのではなく崩壊へと至らせ、現在の危機を作り出した一因と見ることも可能だろう。
 Economistsview*2では米国長期金利の上昇に際して期待インフレ率の高まりの反映として懸念を表明するファーガソンらと事態の改善の反映だと解釈するクルーグマンの二つの見解を報告しているが、ファーガソンらの見解はフィッシャー効果に基づくもの、クルーグマンの見解は所得効果に基づくものという整理ができる。08年末から09年の初めには一時ゼロ%近辺まで低下したBEIの動きや名目所得の推移を見る限り期待インフレ率の高まりが危険水位と見做せるかといえばそこまでの状況には至っていないと思われる。マネーストック(M2)の最近の変化(季節調整済、対前年同月比)をみると、09年3月にM2は8.7%の伸びとなり、4月も7.4%と08年9月の3.9%の伸びと比較するとほぼ倍となっている。ちなみに09年3月の伸びは01年9月の伸び(8.6%)とほぼ同様だが、M2を構成する要素の寄与度をみると小口定期預金や要求払預金の寄与が大きく、1年前と比較してリスク資産から安全資産へのシフトが進んだことを示唆している。一方で前月比のM2の推移から小口定期預金や要求払い預金の寄与の合計をみると09年初以降の動向はわずかながらマイナスの寄与であり、株価の好転を反映した結果になっている。但し、その動きは弱い。
 以上のようにみていくとリーマンショック以降のFRBの対応は功を奏しつつあるものの、インフレ率の高まりが長期金利を押し上げており、早晩引締めを必要とするような状況だと見做すのは時期尚早だろう。とすると、現在の長期金利の上昇は好ましいものであるという判断が正当であるといえるのではないだろうか。金融政策のタイムラグが1年から1年半であることや実体経済の悪化からの回復が緩やかと見込まれる点を念頭におけば本年末の段階で物価上昇が真に懸念すべきレベルである場合にはじめて行動を起こせば良い。寧ろ現状で考慮すべきは、企業の投資活動を円滑かつ活発にすることの方だろう。

(参考)