岩田規久男・若田部昌澄「「高橋財政」に学び大胆なリフレ政策を」を読む

 今週の週刊東洋経済(2009年6/13特大号)に寄稿された岩田・若田部両氏による論文である。底入れ感が出始めているとは言え、日本経済は戦後最悪の不況に陥っているのは事実である。両氏が指摘するのは、昭和恐慌を超える危機を回避するための大胆なリフレーション政策の実行であり、系統立てて整理された議論がなされている。以下、かいつまんで内容を纏めてみることにしたい。是非立ち読みでも一読すべきだ。
 尚、文中の(余談ながら)以降が私の雑感、その他の部分が論文で記載されている内容である。一部入り混じってしまい恐縮だがご容赦いただきたい。

1.リフレ政策ではなかった量的緩和
 今回の経済危機の局面で判明したのは日本銀行が01年3月から06年3月まで実施した「量的緩和策」がリフレーション政策ではなかったという点である。つまり日銀が目標としたのはマネーストックの増加ではなく、ターゲットとした日銀当座預金残高の維持であった。当座預金残高の維持では市中のマネーストックは増加しないため、日銀が国債を大量に買い取ることが不可欠である。結果から言えば、マネーストックは5年間で11%しか増えなかった。実感として当時の状況はカネをジャブジャブに供給したと解釈されがちだが日銀自らが公表する統計データによれば、実体としてそのような事実はない。そしてこれも統計データから自明なのだが、日銀の言う「物価の安定」とはゼロインフレを指している。生鮮食料品を除くCPIの伸びを見れば明らかである。
 但し、余談ながら物価統計の持つバイアス、そして貨幣錯覚を考慮すれば事実上、日銀はマイルドなデフレーションをターゲットとした金融政策を行っており、そのことが高い期待実質金利を生み、内需を圧迫していたとも言えるのである。

2.「高橋財政」の誤解と真実
 金融危機を伴う深刻な不況に陥った際、鍵となるのはマネーストックの増大であることが過去の経験を探ると明らかになる事実である。昭和恐慌に陥った我が国が短期間で奇跡的な復活を遂げたのは、当時の経済政策の国際的なレジームであった金本位制から脱却したこと、そして国債の日銀引き受けを通じた積極的な財政・金融政策のおかげである。これが高橋是清蔵相と深井英五日銀総裁によるポリシーミックスである。重要なのは、高橋財政において日銀の国債引き受けという金融緩和がマネーストックを押し上げることで低金利の元での財政支出拡大という状況を可能にしたということだ。高橋財政の効果は、株価・地価といった資産価格を上昇させ、インフレ期待が生み出されることで期待実質金利が低下し、消費と投資が刺激された。更に円安が輸出を刺激した。結果として高橋財政の期間においてはインフレ率は2%程度と安定し、実質GDP成長率は平均で7%程度と安定していたのである。現代において不幸なのは高橋財政によるリフレーション政策と、高橋暗殺後の軍部主導による政治過程の中で日銀の国債引き受けが悪用されたという事実は別ものであるという点である。
 余談ながら、問題は軍部の専横であって、日銀の国債引き受けという政策手段ではないことに注意すべきだ。当時の国際金融システムは金本位制であり、現在の日本は変動相場制であるために教訓足り得ないという評価も誤りである。余談ながら理由を記すと、1970年代以降の変動相場制の採用の中で、我が国は変動相場制の利点を活かしきれていなかったのではないかと思われるからだ。70年代前半の大インフレにおいては1ドル=360円の固定レートからの切り上げに伴う円高を恐れるあまり、マネーストックを無視した過度な金融緩和を行ったことが大インフレを生み、その後スタグフレーションとして日本経済を襲った。70年代半ばから80年代半ばのプラザ合意までの期間は「金融政策の黄金時代」とも呼ばれるが、実証分析を行うと、政策手段である公定歩合コールレートGDPギャップ・インフレ率ギャップに目配りしながら行われており、為替レートの上下に反応した運営がなされていなかったことがわかる。そして、80年代後半の政策運営は円高基調の元で金融緩和を行ったことがバブルを生み出す要因になった。90年代の円高圧力はバブル崩壊のきっかけとなった金融引き締めが持続したことと密接に関連している(浜田宏一岡田靖「実質為替レートと失われた10年」、『政策分析』)が、経済危機が生じた場合に我が国の足枷となっているのは為替レートという対外要因に縛られた金融政策運営であり、その意味では金本位制に縛られた政策レジームに固執した昭和恐慌時と重なるのである。現代においても同様である。

3.頑として動かない日銀
 現代において必要なのは強力なマクロ経済政策の発動であるが、この点、岩田・若田部両氏は中央銀行の資産増加率を米英欧日で比較した上で論じている。リーマンショック以降米国FRBは自らの資産を2.4倍、英国中銀は1.9倍、欧州中銀は1.3倍増という形で増加させ、資金を市中に供給している。しかし日銀は自らの資産ポジションをこれら中央銀行よりと同様だけ拡大させているわけではなく、増加幅は1割未満(ほぼ変化させていない状態に限りなく近い)である。
余談ながら、各種報道や与謝野大臣は日銀が精一杯やっているという評価をしている。確かに長期国債の購入額を月1.8兆円に増額したり、企業のCPや社債の買取りを行うといった非伝統的な政策に踏み込んだ点は(量的緩和策に消極的で、主要国で最も遅く小出しの利下げを行った)白川総裁の行動を鑑みると「精一杯」の緩和策なのだろう。しかしその緩和策が不十分であるのは自らの政策目標である生鮮食料品を除くCPIの伸びがリーマンショック以降マイナスに陥ったことからも明らかである。そして来月以降更なる物価下落が生じることが明白である。この状況を見て、「日銀は精一杯やっている」と誰が言えるのだろうか?

4.第二次高橋財政を発動せよ
 以上の状況を考慮に入れながら岩田・若田部論文は、マネーストックを確実に増加させる手段として日銀の国債引き受けを含む高橋財政そのものを実施することを提案する。財政法5条では原則日銀の国債引き受けは禁止されているが、特別の事由が生じた場合には国会の議決を得た金額の範囲内で可能との記述がある。日銀法34条においても対応する記述がある。つまり、政府が国会にて日銀引き受けを行う旨を決定すれば、大胆なリフレーション政策は可能なのである。
具体的な政策手段の提案は興味深いが、まず幅のあるインフレ目標を設定(2〜3%)し、達成には1年半から2年程度の期間を設けること、そして毎月の国債引き受け額はBEIの状況を見ながら増減させる、更に非常事態を脱して国債引き受けを中止する場合には別途インフレ目標を設定した政策運営を行う、というものである。
 余談ながら、ターゲットの設定の仕方等については、物価水準ターゲットを念頭に置くといった話題もあると思う。政府及び日銀において景気は4〜6月期に最悪期を脱するとの観測を述べているが、はっきり言えばそのことで今後緩和的な経済政策を行わなくても良いという免罪符が得られたわけではない。リーマンショック以降から現在において生産レベルは3割から4割落ち込んでいる。そして、02年から07年にかけて我が国は長い景気回復期を経験したが、デフレからは脱却できず失われた十数年の痛手からは脱却できていなかったという事実も肝に銘じるべきである。大戦景気とその崩壊、震災恐慌、昭和金融恐慌と続く1920年代の長期停滞の中でなし崩し的に発動された財政政策と、金融機関への支援策の実行は功を奏すことなく、1920年代半ばに我が国はデフレに陥った。以上の長期停滞にあえぐ日本経済を襲ったのが世界大恐慌の余波である1930年代初頭に生じた昭和恐慌である。このような状況の下で日本経済を立ち直らせることに成功した高橋財政金融政策の教訓を学ばなければ我が国は現下の恐慌を脱出し、惹いては「失われた十数年」を乗り越えることなど不可能ではないだろうか。

5.関連記事
恐縮ながらご参考まで。
○昭和恐慌・大恐慌に関連した話題については、以下を宜しければご参照ください。

昭和恐慌、及びその脱却の経験から何がいえるのか(その1、その2)
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20081219/1229666440
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20090106/1231237749

「経済史から見たサブプライムの衝撃(竹森俊平vs若田部昌澄)NB online」を読む
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20081126/1227682058

大恐慌期のデフレから世界経済はどのようにして脱却したのか?
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20090604/1244044998

○我が国の金融政策に関連した話題については、例えば以下をご覧ください。

正念場を迎えた金融政策と三つの「不幸」
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20081029/1225253848

FRBの金融政策と正念場を迎えた我が国の経済政策
http://d.hatena.ne.jp/eecon_econome/20081217/1229491816

経済の持つ二面性とインフレーション
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20080807/1218095822

08年9月以降の米国の金融政策をどうみるか?
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20090115/1232017263

Quantitative and qualitative easing again(by Willem Buiter)を読む。
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20090121/1232467890

若田部昌澄「「日銀券ルール」の誤謬」を読む。
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20090410/1239370897

○為替レートに関する話題(円高ジーム云々)については例えば以下をご覧ください。

いわゆる「円安バブル崩壊」という話題について
http://d.hatena.ne.jp/econ_econome/20081028/1225184611

週刊 東洋経済 2009年 6/13号 [雑誌]

週刊 東洋経済 2009年 6/13号 [雑誌]