金森久雄『エコノミストの腕前』を読む。

 インターネット等で欲しい本は簡単に手に入る昨今では、中々本屋に足を運ぶことは少ない。

 仕事で考えに行き詰まった時、かつ少し時間がある時に本屋に資料集めに行くといって出かけて、結果全く関係のない本を買い込んでしまうというのがこの所の自分にとっての「資料集めの為外出」(本屋に行く)の意味である。
 そんな中、ふと目にとまったのが、「エコノミストの腕前」(金森久雄著、日本経済新聞社、2005年4月)である。金森久雄氏といえば、言わずとしれた著名なエコノミストであり、高橋亀吉、下村治、大木佐武郎、篠原三代平、小宮隆太郎といった錚々たるエコノミストと渡りあってきた方である。「経済予測の神様」の称号を持つ氏の自伝であること、また「エコノミストの腕前」というタイトルから、何かヒントになるものがないかという気持ちで手にとってみたが、通勤電車の行き帰りで一気に読めてしまった。
 内容は、以前日経新聞の「私の履歴書」に掲載されたものが第1部、日本経済研究センター会報に掲載されたものが第2部という形の2部構成になっている。
 第1部では金森氏の生い立ちから始まって、現在に至るエコノミストの人生が綴られている。驚いたのが、金森氏の父が戦後憲法制定に関わった金森徳次郎氏であったということだ。徳治郎氏は戦前時に岡田啓介内閣の際の大蔵省法制局長官になり、天皇機関説憲法史観を攻撃され退官した後、戦後になって吉田茂内閣の憲法担当大臣として新憲法誕生に尽力した方である。第1部を通して読むと、氏の生き様はまさに戦後の経済成長、そして官庁エコノミストの栄光そのものだったということがよく分かる。オックスフォード大に留学する際の試験で試験官から難しい質問をされた際に、(英語が分からなかった為)What is your opinion?と逆に聞き返したら、試験官同士が議論してしまい合格したというような話も述べられており、氏の正直な人柄がうかがわれた。
 第2部では、経済論争の回想と題して、氏及びエコノミストの「説得と論争」の歴史が綴られている。第一回経済白書における都留重人氏との論争、苦労して作成した戦後復興計画を吉田首相が反古にした話、戦後経済の発展の為には貿易、国内産業の振興のどちらが必要かといった中山伊知郎氏と都留重人氏との論争、・・年代毎の経済論争・論点が平易に書かれていて参考になる。第2部の最後に書かれている「失われた10年」の評価だが、「政府が景気回復を起こすだけの十分な有効需要を供給しなかったことが、不況が長く続いた理由だと思う」、「複合不況論・金融不況論は今回の不況が長引いたことの説明としては説得力を持っている。しかし立ち直ることができなかった最大の理由は、政府が財政再建を急いで有効需要拡大政策に踏み切らなかった事にあり、政策不況といえるだろう」と書かれており、ケインジアンとして有効需要拡大政策(公共事業拡張策)を主張している。量的緩和策については、ベースマネーの拡大が貨幣供給量の拡大に繋がっていないこと、物価下落がなくなれば実物面での景気には有利に働くが、物価のみが主要因なのかとの疑問を呈している。
 さて、主題にかえって、題名でもある「エコノミストの腕前」の答えは何であろうかと考えてみたい。
まず氏が戦後まもなくの日本経済が大きく発展すると予想したように、氏の日本経済についてのビジョンがその後の時流を上手く捉えたという点があると思う。また、当時体系として受け入れられていなかったケインズ経済学を分析のツールとして取り入れ、政策に生かしてきたという功績も大きいだろう。広く正確なビジョンを持つこと、有効かつ時代に即した分析ツールを政策分析に結びつけていくこと、共に言うは安しだが、現在のエコノミストにとっても必要かつ難しい視点であることには変わりがない。『景気予測は「良いか悪いか」の二択であるから、どちらかを常に主張しつづけていれば当たる確率は2分の1だけど、時流を見つつ適当な意見を言う「トンデモ云々」にはならないようにしなくてはなぁ・・・』と思った次第。
 
 今日ももし、時間があれば「資料集めの為外出」せざるをえない羽目になりそうだ。