マンガ『嫌韓流』を読む。

 マンガ『嫌韓流』。
 やや韓流ブームは沈静化したような観がある昨今、その衝撃的なタイトルの故なのか主要出版社から発行が許可されず、さらに新聞の広告欄にも登場しないにもかかわらず30万部を突破するという勢いの本である。近所の小さな本屋に(なぜか)数冊おいてあったのを見つけて早速購入してみた。ちなみにこの本の存在を知ったのはとある掲示板においてである。
 マンガ『嫌韓流』は9話構成となっている。日韓ワールドカップの裏側といった最近の出来事から入り、戦後補償問題、在日韓国人問題、日本文化を阻害する韓国、反日マスコミの脅威、外国人参政権問題といった現代進行中の出来事に進む。そして、日韓併合の真実、竹島問題、日韓友好への道という話題で終了するというものだ。これらの内容でほぼ日韓問題の主要論点を押さえてしまうという内容であり、この本をまとめるにあたって参照したであろう西尾幹二氏の本などは以前読んでいるためにさして内容には新しみを感じなかったのは正直な所である。
 私が西尾氏や半藤氏、井沢氏といった方による日本の近代史・アジア史の本を読み漁ったのは、今から20年程昔の中学生の時のことである。当時は今と違って、平和主義、憲法9条賛成、日中戦争・第二次大戦の日本軍部のあくどさといった点が強調され、授業で嫌韓流の一端を口走ろうものならまさに狂人扱いされるような状況だった。父親の本棚にあった『新潮45』の挑発的な巻頭言を密かに一人で読みながら、受験にでるからと朝日新聞天声人語を読めと勧める教師を「そもそも人が書いたものを天声という心根が片腹痛い」と偉そうに心の中であざ笑うような、あくまで個人の中に留めおくべき「本音」の次元での思いとして処理すべきものとして、私の中では『嫌韓流』で書かれた出来事があった。
 そのような状況下にあった者として、インターネットにおける中国・韓国の情報紹介が多数なされており、掲示板などで盛んに戦前の出来事が議論されている状況、『嫌韓流』が30万部を越えるヒットとなっていることには驚きを禁じえない。そして一方で、恐らくこの本から戦前の出来事を知ったと思われる若い世代の人に対しても少なからず危惧を抱いてしまう次第である。それは昨今の中国・韓国と我が国における対立とも無縁ではない。
 対立が生じたきっかけは様々な要因があり得るのだろうが、中国・韓国においては自国内での政治的な矛盾、内政上の行き詰まり・不満といったものが背景にあるのかもしれない。また我が国においても15年にもわたる経済的な停滞が急進的な行動に走らせる要因としてあるのかもしれない。さらに、内政干渉というべき中国・韓国の言動に毅然たる態度でNOを突きつけてこなかった我が国の政府に原因があるのかもしれない。事実を相手に配慮するという名目でウソを伝えてきたマスコミに原因があるのかもしれない・・・。
 正直に告白しておきたいのだが、私は我が国の隣国(中国、韓国、北朝鮮)に対して言い難い違和感を持っている。この違和感はどこから去来するものなのか。戦後日本人の関心が文化・芸術、経済、政治などほぼ全ての点で欧米に向いており現在もそうであること、ただ一方でアジア人として生まれた以上、欧米人からは同種と見なされるであろうアジア人としての自分に対する嫌悪感が、最も近い同胞である中国・韓国に向けられているのかもしれない。また中国・韓国は歴史問題について時に執拗なまでの批判を我が国に浴びせてくること、そしてその批判が私が考える解釈とは異なる事も理由の一つなのかもしれない。そして、この『嫌韓流』に述べられている事実を一瞥すらしようとしない韓国という存在にいらだちを覚えるのかもしれない。
 ただ、このようないらだちをお互いにぶつけるだけでは物事の解決には結びつかないのも事実である。以上の嫌悪感というものは私の心の中の本音とも言える部分ではあるが、建前としての気持ちも当然ながらある。韓流ドラマは家人の影響かもしれないが、ご多分にもれずかなり観ているし、仕事でも韓国・中国の人との付き合いもある。恐らく中国人・韓国人である彼らの心象もそんなものなのではないかと期待したい。以上のように考えると冷静に話し合っていけば解決するような気もするのだが、事はそう単純ではない。中国、韓国、北朝鮮といった国々では着実に反日教育がデフォルト化されている訳であるし、各政府によるあからさまな我が国への挑発は日本人として見逃しに出来ない気がする。靖国神社に合祀されているA級戦犯の是非すらも国内的な意見の一致をみていない我が国においては、自国の立場を明確に語ることは不可能なのかもしれない。
 いずれにせよ、すっきりとまとまらない気持ち、そしてそれは日本人としてのアイデンティティに深く根ざしたものであるということを考えさせられた。何をすべきなのかは判然としないが、FTAといった経済面での協力を進めていく以前の問題として、このような問題をクリアにしていくことが必要なのは明らかである。