竹森俊平「世界金融危機は再び来るか?」(中央公論5月号)を読む

1.概要
 2007年の世界経済に金融危機・景気後退が発生するのであれば、それは10年前からの流れの「結末」である。この問題意識から、竹森教授は1997年、1998年に生じたアジア経済危機、ロシアの債務不履行LTCMの経営破綻、我が国における金融機関の経営破綻(三洋証券、拓銀山一證券長銀日債銀)における政策対応について整理しつつ、2007年に危機が生じた場合の対応策について議論している。以下、議論に沿ってまとめていくことにしよう。

(1)1997年・1998年危機の対応
 金融危機は債務の支払いが滞ることで生じる。債務不履行は、?「返済能力」、?「流動性」のいずれかが滞ることを指す。?の返済能力の欠如に基づく問題に対しては戦後IMF発展途上国に対して行ってきた処方箋がある。つまり、つなぎ資金を供給するとともに公的資金の削減を含む緊縮プログラムを勧告するというやり方である。?については「流動性」を担保するために中央銀行が最後の貸し手としての役割を果たしてきた。重要な点は債務が外国通貨建てである場合については、中央銀行の救済能力には限界があるという点である。
 97年から98年において生じたアジア経済危機と日本の金融危機は、債務が自国通貨建てかそうでないかという点において異なった。東アジア各国が抱えていた債務はドル建てが主体だったが、金融危機が生じた場合に各国政府・中央銀行は「ドル準備」の範囲でしか救済に応じることが出来ないため、IMFに救済を求めざるをえなかった。アジア経済危機は?流動性の問題であったにも関わらず、IMFは従来型の?返済能力の問題として処理(緊縮プログラムと構造改革の徹底)したことが、問題を深刻化させたわけだ。またこの点については米国クリントン政権が95年のメキシコ通貨危機の際に為替安定化資金を利用したことが議会の反発を受けたため、救援資金の円滑な利用が困難であったという点も挙げられている。

(2)1997年・1998年の政策的失敗の対応
?米国・IMF
 
(1)の失敗の対応として、ブッシュ政権IMF自体の融資枠を厳格化するとともに、「集団交渉条項」を国際的融資のスタンダードな条件とすることをすすめた。これは、主要債権者と債務国との間の再交渉により条件が決まれば、それを他の債権者にも自動的に適用するというものであり、フリーライド問題を防ぐ意味合いを持つ。この対策は第三者からの資金援助で救済を図る「ベイル・アウト」と比して当事者からの資金で問題の解決を図るため「ベイル・イン」と呼ばれる。

?アジア各国
 アジア各国の通貨危機に対する対応策は「IMFは頼りにならない」という認識から発生している。つまり、97年当時に政府・中央銀行のドル準備が潤沢にあれば、政府・中央銀行は「最後の貸し手」の役割を果たせたのではないかという点だ。これによりアジア各国は急速にドル準備を増やし、企業も流動性を増やす経営に乗り出した。
 国際収支の観点から見れば、97年以前は対外借入れを梃子にしつつ経済成長を行ったアジア各国が対外的な貸し手(米国債への投資家)に転じたという意味がある。また中国は元高を抑えるためにドルを買い支えているため、介入で得たドルはさらに米国債への投資に回っている。

?世界的な貯蓄過剰
 米国の経常収支赤字の拡大、つまり対外借入れの膨張の原因は、通説のように、米国の家計・政府が無節操な支出をするために借入金を増やしているのではない。そうではなく、発展途上国が国内投資を削り、対外的な貯蓄を増していることが原因である。このことを示す原因が世界金利の低位安定だ。仮に米国の借入金増加が背景にあるのならば、国際資本市場で世界需給が逼迫し、金利が高騰するためである。
 世界的な貯蓄過剰は、それが投資につながらなければ世界景気の減退をもたらしかねない。貯蓄過剰の中で世界景気が好況を維持しえたのは米国景気が好調であったことが大きい。99年は米国ITバブルが絶頂期を迎えており、バブル崩壊以降はFRBが類例の無い金融緩和を迅速に行ったことが、米国景気の好調を維持させるのに効果をもった。つまり金融緩和に伴い金利が下がるが、これが住宅ローンの借り換えを行わせ、住宅投資ブーム、そして住宅価値の増加、家計消費の増加をもたらしたわけだ。

?日本の対応
 97年の日本国内の金融問題はアジア通貨危機の一因となっている。邦銀は不良債権問題が取り上げられる中で引き当てを増やす必要があった。しかし国内市場は低金利かつ景気が悪化しており、邦銀は利鞘の大きいアジアへの有志を増やすことになった。このような中でタイでの金融危機が発生する。邦銀は自己を守るため、融資の回収に走る。これがアジア通貨危機の一因になった。
 日本の金融危機は自国通貨建ての流動性が減少したことが原因であるため、政府・中央銀行が迅速に流動性を供給すればよかった。しかし日本は迅速な行動を怠ってしまった。解決の見通しがついたのは03年であるが、金融再生プラン実施の際に大幅な株価の下落があった*1。株価はその後回復に転ずるが、同じタイミングで生じていたのが政府・日銀による為替介入である。

(3)2007年危機に対策はあるか
 97年以降の各国の処方箋は結果として米国への依存を強めた。つまり東アジア諸国IMFの代わりに、さらに米国の旺盛な消費需要の恩恵に浴するための手段としてドル準備を増加させた。ドルが重宝されたブレトンウッズ体制に倣い、ブレトンウッズ?と評する論者もいる。このシナリオは現在のところ上手く機能しており、米国にかわりアジアが世界景気を牽引していけばソフトランディングが成功するだろう。
 懸念材料として、最近の世界的株安は中国の株安をきっかけにして生じたが、中国の株安は世界経済の連鎖の一環に過ぎない。
より重要な問題点は、米国における住宅バブルの崩壊だろう。このシナリオが生じた場合の対応策は、債権者が少数である場合には「ベイル・イン」の対応策を、債権者が多数である場合にはさらに「ベイル・アウト」を考慮した対応策を講じる必要があるだろう。金融危機がマクロ経済に波及するのを防ぐには強力な金融政策が必要である。その場合の鍵は「インフレ予想の安定化」である。
米国とそれ以外の国が協力すれば、住宅バブルの崩壊が米国経済の停滞をもたらしたとしても世界不況は防げると考えている。金融政策への政策的準備は97、98年と比較して格段に進んでいることが理由だが、国際投資への安全性の過信を抑えるためにはベイル・アウトからベイル・インへの政策転換が必要だろう。

2.感想
 97、98年における経済危機がその後の繁栄をもたらしており、現在の状況は10年前の政策対応の帰結であるというくだりは、『世界デフレは三度来る』を彷彿とさせる書き出しである。現時点は米国の経常収支赤字(米国の旺盛な消費需要)を東アジア各国がドルへの信認を高める(ドル準備を増やす)ことで支えているという状況であり、この流れが当面続くと見込むことが真っ当な視点だろう。
 竹森論考の中でも指摘されていたが、今後のソフトランディングのパターンとして、アジア各国が世界経済の牽引役として機能することがあげられるが、その中で日本の果たす役割は大きいものがあると考えられる。それは、中国・東アジア各国の中間財供給国としての位置づけからかもしれないし、さらに消費を支える存在としてなのかもしれない。ハードランディングの可能性として米国の住宅バブル崩壊が挙げられているが、これはバーナンキ議長の政策対応次第、ということだろうか。そうなる前に我が国はデフレ脱却を確固たるものにしていくことが必要だろう。

*1:これは引き当ての増加を求められた主要行が自己資本率を維持するために(利益が好転するわけでもないのに)増資に走り、それが銀行株および日経平均の暴落を生み出したことが原因。