小野善康「不況のメカニズム」を読む。

 バブル経済崩壊以降陥った「失われた十数年」の中で、完全雇用に基づく経済学(新古典派経済学)から導かれる処方箋である構造改革が多くの支持を得たという事実がある。
 本書は以上の状況の中で、そもそも新古典派経済学完全雇用の前提に立っているために不況の存在を否定しており、不況を考える経済理論としての役割を満たさない、そして「不況を考える経済学」としてケインズの「一般理論」の内容を吟味しつつ、そこで明示的に扱われていない要素を補いながら独自の「不況の経済学」を論じていくことを主題としている。以下では、理論的な側面に重点を置きながら著者の不況の経済理論を整理するとともに、そこから得られるインプリケーションについて感想を纏めることにしたい。

1.ケインズの理論の独創性と限界
 「不況の経済学」を構築する上で、ケインズの理論をどう乗り越えていくのか。まず本書の1章から3章では新古典派経済学との対比においてケインズの理論の独創性と限界が明らかにされていく。ケインズの独創性は、価格による調整が働くことで社会全体の資本および労働を投下した際に得られる総供給(完全雇用下での総供給)が総需要と一致すると考える新古典派に対して、総需要こそが経済規模を決定する要因であり、総需要に対応した総供給は完全雇用下での総供給と一致する保証はなく、かつ価格は総需要が先見的に決まったあとで決定されるため、調整機能を果たさないという点にある。
 ケインズのモデルでは、総需要の構成要素である消費は家計が得た現在の所得の関数として描かれ、投資は収益予想と利子率との見合いにより決定される。利子率の決定に際して、新古典派は家計の所得から消費を除いた貯蓄が投資の源泉であり、利子率は貯蓄と投資が一致するように定まるとしている。一方ケインズのモデルでは、利子率は株式・債券といった収益を生む資産と流動性を有する貨幣をどのように保有するのかといった選択の中で決定されると考えた。このため、貯蓄に見合うだけの投資がなされるように利子率が調整されるという保証はない。このように見ていくと、ケインズのモデルでは不況とは総需要が完全雇用下での総供給を下回ることで発生することになり、民間の自立的な調整により総需要が完全雇用下の総供給と一致する保証はないために政策当局が投資を増加させ、乗数効果を通じて総需要を高める必要があるという周知のインプリケーションが得られるわけだ。
 著者はこのようなケインズの立論に対して、新古典派を説得するのは難しいと述べる。それは価格や名目賃金、利子率といった要素が調整されても総需要が完全雇用下の総供給まで回復しないのはなぜか、完全雇用下の総供給を下回る総需要がどのようにして決定されるのか、という二つの疑問に答えるためのケインズの論理が不完全であるためだ。新古典派の疑問の一つ目に関しては、ケインズは消費が現在の所得により決まると想定しているために、物価下落が進むことで実質貨幣残高が増加し、それが貨幣保有から消費へと人々を向ける効果(実質残高効果)を無視している。さらに、投資については、ケインズ新古典派が考える投資の決定要因は共に収益予想と利子率であるため、ケインズが想定した収益予想の偏りや利子率の高止まりがあるという状況は新古典派の特殊ケースとして理解可能ということになってしまう。以上から価格や名目賃金、利子率といった要素が調整されればケインズの立場でも新古典派と同様の立論が成立するため、結局ケインズの立論は、「総需要の不足こそが不況を生み出す」という本来の目論見とは異なり、「価格や名目賃金、利子率といった要素が迅速に調整されないことが不況を生み出す」という新古典派の特殊ケースとして包含されてしまう。疑問の二つ目の点に関しては、ケインズの立論では総需要を上下させるのは投資であるが、不況下では一般に資本設備が過剰であるために投資が増える余地がなく限界が生じる。不況を説明する際に決定的に重要なのは消費がなぜ低迷するのかを説明することが必要になるわけだ。

2.不況の経済学
 では、総需要が不足するというケインズの構想を明確化するには何を補完する必要があるのか。それは本書の5章で説明がなされるが、消費にはなぜ限界が生じるのかを明らかにすることであり、この点が著者の「不況の経済学」の本領が発揮される点である。具体的にはケインズが着想していた人々の貨幣保有願望が実物投資との比較のみならず、消費との比較においても発生するということであり、不況により人々の貨幣保有願望(流動性選好)が高まることが収益資産の保有を控え、利子率を高止まりさせ投資を減退させるという効果に加えて、消費を減らすという効果も働くことが総需要を減少させる。つまり流動性選好こそが総需要を不足させるわけだ。
 流動性選好を核とした「不況理論」は、消費・貯蓄の選択と資産選択の二段構えの形であり、消費、貨幣保有、実物資産の配分がそれぞれの利子率が一致する形で決定される。消費・貯蓄の配分は、時間選好率と物価上昇率の和が消費を我慢することによるコスト(消費の利子率)と一致するところで決まる。又、貨幣保有及び実物資産の配分は、流動性プレミアムと利子率が一致するところで定まる。以上から消費の利子率=時間選好率+物価上昇率流動性プレミアム=実物資産の名目利子率を満たす形で消費が定まる。以上の枠組みを用いて、不況下での名目賃金の低下と実質賃金の上昇、そして不況下で名目賃金の調整を速めると不況が悪化するというケインズの指摘や、生産性の向上がさらに不況を悪化させるという点、の記述は興味深く読んだ。
 では、著者の「不況理論」のフレームワークで総需要を拡大させるためにはどんな手段がありえるのだろうか。それは、消費を我慢することのコストである消費の利子率を引き上げること、貨幣の保有願望である流動性プレミアムを下げ、消費に対する魅力を増加させることである。
消費の利子率を引き上げる方策としては、公共事業を行うことで労働需要を増やし、人余りを緩和させる方策が説明されている。「不況理論」のフレームワークでは公共事業の効果は乗数効果ではなく公共事業により生み出される財・サービスの価値と人余りを緩和させることで得られる消費需要刺激効果となる。インフレ・ターゲット論についてはデフレ圧力を緩和し、消費意欲を高める効果を持つものとして整理されている。しかしインフレ・ターゲット論自体については人々にどのようにインフレ期待を抱かせるかの明確な方法が分からず懐疑的であるとしている。また、流動性プレミアムを下げる方策としては、魅力的新商品の増加や、相対的に消費意欲の低い富裕者層から低所得者層への所得再分配策が紹介されている。さらに、市場に参加している人々の世代交代*1がなされることで、不況下で高まった流動性プレミアムが低下する点も併せて指摘される。

3.感想
 本書は著者の「不況理論」をケインズの一般理論との対比において分かりやすく提示しており、理論書として不況のメカニズムを考える上では有意義であろう。市場メカニズムの不備や効率化を政策手段とした「新古典派経済学」がもたらした格差拡大といった現象や、「ケインズ経済学」に沿った形での財政政策が意味を成さなかったという事実が著者の「不況理論」の主要なモチベーションであると考えられ、その意味で失われた十数年の現象を例に挙げながらの記述は説得力がある。現在は安倍政権の下で小泉構造改革が継承されるとともに「上げ潮政策」といった発想も織り込まれている。現政権での経済政策を著者がどのように見ているのか、といった点は知りたいところだ。
 インフレ・ターゲット論については著者はデフレ下でのインフレ期待の醸成について懐疑的である。例示として日銀の量的緩和策の下でもデフレ脱却には至らない点が指摘されているが、これは日銀自身がインフレ期待に本格的にコミットしなかったことが先ず原因と考えるべきだろう。著者の「不況理論」のフレームワークではインフレ・ターゲット策は消費の利子率を引き上げる効果を持つと説明されている。だが、インフレ期待にコミットし、物価上昇率ではなく期待物価上昇率が上昇するというメカニズムが働けば、それは流動性プレミアムの低下も働くと考えられる。本書では投資と消費との相乗効果による総需要の拡大にはあまりふれられていなかったが、資本過剰といった現状を打破し新たな投資の拡大をもたらす要素として企業の収益予想の向上もあるだろう。インフレ期待が定着すれば、資金の借り入れコストを低下させ、収益予想を向上させるという効果もあり、投資の増加も併せて期待できるのではないだろうか。以上のようにみていくと、インフレ期待に対するコミットメントの重要性も十分に政策手段の対象となりうるだろう。
 尚、他に挙げられている政策手段として、富裕者層から低所得者層への所得再分配論が指摘されているが、これは著者が指摘するようにケインズ政策がはらむ説得の難しさに繋がる。本書ではこれを乗り越えるために特定の利権を追及する政治ではなく、一国全体としての効率性を高めることを政治の目標とすべきであるとしている。自分もこの点には同意だが、現実的には容易なことではない。さらに、魅力的新商品を開発するためには新規投資が必要になると考えられるが、説明されている枠組みでは新規投資の余地がないため現実味が薄いと感じた。期待要素や海外要因(海外経済の好況や円安)といったものが著者の「不況理論」にどう影響していくのかといった点も併せて知りたいと感じた次第である。

*1:ニュータイプ論(笑)