塩谷隆英「経済再生の条件−失敗から何を学ぶか−」を読む。

 90年代以降の大停滞、つまり「失われた十数年」がなぜ生じたのかについては多数の著作が出されているが、本書の特徴は大きく以下の三点に集約されるだろう。以下、感想を交えつつ書いてみることにしたい。

1.経済政策担当者からみた97年不況
 まず本書の特徴は60年代の高度経済成長からバブル崩壊の大停滞に至る時期において経済政策の現場で働いていた著者の視点で語られているという点だろう。特に著者は97年の7月1日に経済企画庁調整局長、98年には経済企画事務次官を務めており、当時の経済政策の中心的人物が何を考え、何に苦悩しながら経済政策を遂行してきたのかがわかり興味深い。
著者が調整局長に就任した7月時点のGDP統計(97年第1四半期の速報値)は実質前期比で+1.3%であり、さらにアジア通貨危機の影響は顕在化していなかった。その後97年第2四半期のGDP速報値が前期比−2.0%となるものの、4月から始まった消費税増税の影響が吸収されれば、第3四半期以降、日本経済は安定的な経済成長を遂げると見込まれていた。事実、第3四半期の速報値はプラス成長だったわけである。
 ところが、日本経済は、97年第4四半期から98年第4四半期までの5四半期連続で実質GDPの前期比マイナスを記録するという戦後最悪の不況に陥る。著者は当時を振り返って、定率減税の廃止、消費税増税、財政構造改革といった引き締め策、アジア通貨危機が日本経済に及ぼす影響の深刻さを考慮していなかった点、日本の不良債権の深刻さを十分に把握し、橋本総理に意思伝達できなかった点を挙げている。
橋本総理の下でなぜ財政構造改革がなされたのかという論点については、本書でも指摘があるとおり93年以降の連立政権とめまぐるしい政権交代(細川、羽田、村山・・)を通じて経済停滞の中で財政赤字が拡大したこと、消費税増税が94年時点の所得税減税の財源としての意味合いがあったことも見逃せない。勿論、本書で指摘されている財政構造改革を厳格に施行するという意味合いで経済停滞があった際に財政再建のペースを緩める「弾力的条項」が当初折り込まれていなかった点も重要な論点だろう。だが(結果として)弱かった景気回復の基調を十分に認識できなかったこと、経済への下押し圧力を十分に為政者に伝え切れなかったという点はより本質的な問題であり、本書を読むと判断ミスに対する慙愧の念は十二分に伝わってくる。
 不良債権問題の認識の甘さについての指摘は多々なされているところだが、為政者の発言では宮澤元首相の証言「宮澤喜一 保守本流の軌跡」にも重なる。我が国の不良債権の金額が果たしていくらだったのか、という情報開示が十二分になされなかったこと、問題を問題として認識する際のタイムラグ(「問題認知のタイムラグ」)と為政者による政策発動のタイムラグが加わることで対策が後手に回ってしまった。本書で指摘されるアジア通貨危機の認識不足も同様だが、戦後の日本において金融の側面が経済にどのような影響をもたらしていくのかを正しく判断できなかったのは不幸だった。この点については、結果として量的緩和策の実施が遅れたことも大きい。これは中原伸之「日銀は誰のものか」にも重なる。筆者の意見は量的緩和策の早期実施であったが、98年4月に日銀法改正が施行された中にあって日銀の自主性の保証が仇になったこと、金融政策を担当する責任者が我が国の構造政策の必要性を唱導するという奇妙な事態も不幸だった。

2.バブル発生・拡大・崩壊の過程から
 二点目の特徴は、題名の通り失敗から何を学ぶかという観点にたって、バブルの発生の遠因を高度経済成長に求め、バブルの発生、崩壊、その後の経済状況という形での記述がなされているという点だろう。
 政策手段として何が失敗であったかを明らかにするには、まずもってその原因を正しく認識することが必要である。バブルの原因としては80年代になし崩し的に実施された金融自由化策(為替・資本移動の自由化、社債行基準の緩和、大口定期預金金利の自由化、等々)を背景としつつ、株価や地価が上昇するという資産インフレが生じた状況で、80年代後半に歴史的低金利策がとられたことが資産への投機をさらに活発化させたことに繋がったというのが著者の見方である。80年代後半の政策目標は、?国際的な政策協調(米国産業の国際競争力強化への協力)、?内需拡大による国際収支黒字削減、?円高対策、?財政再建であるが、これらの政策課題のうちで最優先に据えられたのが?国際的な政策協調(日米の貿易不均衡の是正)であった。その認識が円高・ドル安路線を規定付け、円高が行きすぎて不況に陥ると、?財政再建が重視されたために、財政政策の手が縛られ金融政策に過度の負担がかかることになった。86年の段階で警戒すべきは円高デフレではなく、資産インフレであったわけだが、これはあくまで結果論だろう。
 バブルが生じた原因は、ポリシーミックスが上手く行われなかったという原因以外にも指摘可能である。本書でも、株価の異常な上昇要因としては「株式の持ち合い」があったこと、さらにさかのぼれば「株式の持ち合い」は1965年不況の後遺症(資本市場の国際的開放に対する各企業の対応策)に原因をもとめることができる。80年代の財政再建目標は、65年不況による財政法の改革から特例国債が発行されたことが財政規律を弱めたことも遠因だろう。本書では、バブル発生につながる価値観の形成として、高度成長期における「日本株式会社」と同じ体制が二度の石油ショック時の対処策として変質しつつも上手く機能したことを挙げている。「政・官・財の緊張関係をはらんだ連携関係」が石油ショック時を通じて成功体験として機能する一方で、成功体験が癒着と甘えを生み出すというのは皮肉である。これらはともに当時の成功を支えた条件が新たな問題の根として日本経済に立ちはだかったことの例示である。
 バブル崩壊については、90年から91年にかけてバブル潰しが強行された点が注目点である。バブル景気に伴う一部の人々の豊かな生活がクローズアップされ、不公平感の高まりがバブル潰しの後押しとなった。背後に忍び寄る信用システムの崩壊に気づいた後でもあくまで資産価格下落はマクロ的な経済問題として捉えられることはなく、問題が認識された後で政策が逐次投入された。財政政策は日本経済を下支えしたものとも考えることができ、93年には早すぎた景気回復宣言がなされたが、結果としては不良債権問題に対する認識の甘さが景気回復の力を読み違えたことが大きいのだろう。そして景気回復宣言に伴って財政再建議論が生じていき、それが橋本政権でのタイミングを外した緊縮財政に繋がっていく。

3.経済的失敗をどう乗り越えるのか
 最後の特徴は、失敗を乗り越えるために何が必要かという指摘である。本書では、5つの点を挙げている。一つはイノベーション力の強化である。イノベーションが高度経済成長をもたらしたのだと筆者は指摘する。90年以降の停滞期において企業家と銀行家がじっとしてしまい本来の役割を果たすことが出来なかったが、現在事情は異なってきたわけだ。景気がゆるやかな拡大基調を持続し、デフレからの脱却が進められる中で、「企業家」と「銀行家」の出番が巡ってきたと著者は言う。自分は、現状においてはようやっと「企業家」と「銀行家」が本来の姿を一部取り戻しつつあると認識する。政策としては期待成長率を高めていくこと、デフレからの脱却を確実に進めることも必要だろう。
 二点目は日本経済社会の多元化である。著者が言う、「20世紀末日本型経済体制」の成立は日本が必要とする「自由と弾力性」を否定する体制であるという点は同意である。「政・官・財」の癒着を見て取って三者の関係を全否定するのではなく、緊張関係を伴う協働体制をいかに取り戻してしていくのか、という点こそ求められるべきだろう。
 三点目は戦略策定部門の創設である。90年以降の長期停滞が過去の日本経済の危機に対して場当たり的にとられた対応策のつけであると論じる点には、「成功体験が後の問題を生み出す」という観点に立つと少し違和感があるが、経済政策の失敗として挙げられる戦略性・協調性を欠いた財政政策と金融政策の発動が日本経済の危機を招いたという指摘は同意である。思うに戦後の我が国で財政政策と金融政策のポリシーミックスが有効に働いたのは高度成長期のみではないだろうか。時の政権や官僚組織と独立した組織を作ることが出来るかは不明だが、改めて本書を読むと財政・金融政策を統一的に把握し、執行する機関が我が国で必要ではないか、日銀との独立性が(巷で言われるほど)必要なものなのか、という思いが湧いてくる。
 四点目は情報伝達ルートの確保である。我が国の経済停滞を考える上において、不良債権問題の深刻さがなぜ長期にわたり認識されてこなかったのか、早期に対策を打てなかったのかという点がある。その原因の一つは情報伝達が不十分であったこと、さらに基礎となるデータの把握が十分でなかったことだろう。伝達ルートの迅速化はタイムラグの短縮をもたらすという効果も重要だろう。統計情報の公表の迅速化も必要である。
 五点目として分権的地域構造の形成が挙げられている。自分はこの点については判断しかねるが、中央集権ではなく分権的地域構造の形成を進めるということが、各地域の地理的特性を加味した上での隣接国との経済連携を進めていき経済活性化に繋がるという側面は、都市と地方の格差という事実に対する解決策として検討に値するのかもしれない。

4.感想
 以上、大きく三つの点について敷衍したが、本書は90年代の大停滞の原因・課程・結果、その間の経済政策を射程の広い観点から押えており、面白く読んだ。政策担当者としての当時の発言も随所に折り込まれており、経済大停滞に対して「蟷螂の斧」で挑んだ苦悩の思いが明確な失敗の言辞と共に印象深い。自分が言うべきことではないが、本書の目的である橋本元総理への宿題、レクイエムという意味合いは十分に果たしたのではないだろうか。