「プロフェッショナル」とは何だろう?

 仕事をしている人間はその分野でプロである、もしくはプロを目指しているのだろう。自分の場合も例外ではなく、どう評価されているのかを知りたいと思う余裕も無いまま、とりあえず仕事をこなす上で最低限必要な自負を持ちつつ、さらに高みを目指すべく牛歩のごとく日々過ごしているという次第である。
 さて、NHKで放映されている「プロフェッショナル 仕事の流儀」。ご存知の方も多いと思うが、その道のプロフェッショナルの方にスポットライトを当て、仕事に対する思いを聞くという番組だ。自分も深夜に「そうだよなぁ・・そうだよなぁ・・」なんてさも自分のことのように頷きながら、時には感情移入しつつ、時にはあまりに有能な人を通じてあまりに怠惰な己の現状が透けて見えてしまい鬱になりながら視ているわけだ。
 これまで番組の中で様々な人が取り上げられたが、特に自分が共感を持ったのは装丁家鈴木成一氏を特集した回である。氏は装丁の仕事について、1.本の個性を顔にするのが装丁の仕事であること、2.装丁には正解があること、3.仕事は頼まれるからやるものであること、4.「違和感」が仕事を進める、という4点を取り上げている。
 自分が生きるシンクタンクの仕事の現場と引き付けつつ考えてみると、本の個性とはいうなれば「本の主張」ということになる。これはあるテーマの調査がいい渡された時に、それが何を目指すものかを把握するということに繋がる。そして、「装丁には正解がある」。つまり氏は割り当てられた仕事には必ず正解があるのだというわけだが、確かに顧客のニーズをつかみつつ目指すべき目標が明確な状況では、必ずその仕事の「正解」は存在するのだろう。三番目の「仕事は頼まれるからやるもの」という点は客商売では必須の視点である。仕事をこなす中で客が自らを必要としてくれる、というのが客商売におけるプロということだろう。初めは一人の顧客だけかもしれないが、引いては知り合った全ての顧客、そして自分が知りもしない世界中の顧客が自分を見込んで仕事を頼んでくる、これこそが自分が目指す「プロフェッショナル」の姿である。顧客に信頼感を与えるには(内容にも依るだろうが)仕事の進め方が早いことが必要である。能力不足から納得のいかない仕事、アウトプットを出してしまうということもあるが、「違和感」が仕事を進めるという指摘は、「納得のいかなさ」を「違和感」に変え、「違和感」から逃れたいという気持ちが「違和感」の無い形で仕事を完結させるということにも繋がるという意味だろう。
 ・・・とここまで書いてきて、題名の「プロフェッショナルとは何だろう?」という問いに戻ることが出来なくなってしまった。この問いの解は諸兄諸姉の心中にこそあるのだろう。だが、皆がプロフェッショナルとして根拠を伴った自信を持ちつつ精進を重ね、そして互いが互いの仕事を辱めることなく認め合う、という状態へ一歩でも進めることが出来るのならば、この世の中は少なくとも捨てたものではない、と看做せるのではないだろうか。