今般の経済危機をどうみるか?

 周知の通り、本年9月に入ってのファニーメイフレディマックに対する公的資金の投入、リーマンブラザーズの破綻、メリルリンチの買収、AIGの経営危機、そして10月に入っての世界同時株安というように、サブプライムローン問題に端を発する金融危機はより一層の深化を遂げている。昨日のエントリでも論じたように、金融危機に対しては迅速な公的資金の投入(政府が金融機関の有する不良債権の買取りもしくは資本注入の実施)と実態経済悪化への対応としての緩和的な金融政策の二つが必要であることは金融危機のコンセンサスと言えるだろう(安達誠司『75兆円資金投入で次の焦点は景気への波及』エコノミスト増刊号(世界景気最前線)所収)が、そもそも現時点での情報から今般の経済危機をどのように考えたらよいのだろうか。
 以下、先日簡単に紹介したエコノミスト増刊号(世界景気最前線)所収の若田部教授の力のこもった論説(『経済危機の処方箋を大恐慌、大インフレ、大停滞から探る』(以下若田部論説と略称))や竹森俊平『資本主義は嫌いですか』(以下竹森本と略称)をメインに参照しつつ、適宜『ちょっとだけ逸脱』を交えながら論じることにしたい。

1.現在の経済危機の特徴とは
 経済危機を考えるにあたっては、その特徴を把握することがまず必要となる。若田部論説は危機の特徴を、バブルの崩壊、証券化を通じたグローバルな金融危機の拡大、資源価格高騰によるインフレ懸念、の三点に求める。これらの点は竹森本にも記載されているポイントである。
 バブルの崩壊は周知の通り米国で生じた住宅バブルの崩壊である。その背景としては米国経済が好調であったことや、低金利が続いたことが挙げられるが、竹森俊平『資本主義は嫌いですか』の感想でも纏めたように、低金利主犯説(そしてFRBによる低金利政策主犯説)については確定的な評価が与えられているわけではない。一つはシラー教授が指摘するように住宅価格高騰には個人所得の増大の影響の方が大きいとも見ることができるし、さらにはバーナンキ総裁が指摘するようにグローバルなインバランスの拡大の中で生じた世界的な貯蓄過剰が低金利に影響しており、FRBが金融引締めに転換した後にも金利が上昇しなかった理由はそこにあるという見方もあるからである。
 そして、住宅バブルが深刻化した理由はグローバルな危機の拡大に求められる。つまりサブプライムローンを投資家のリスクアペタイトに応じて細分化し、そして他の債権と混ぜ合わせて投資家好みの新商品を作り、さらに処理できないリスクを新製品から切り離して他の債権と混ぜ合わせて更なる新商品を作る・・・というやり方である。金融機関は短期で資金調達を行って長期で資金運用を行う主体であり、潜在的流動性不安を抱える主体である。住宅バブルが崩壊して住宅価格が下落し、延滞率が高まればサブプライムローンが混ぜ合わされた商品の価値は下落し、それを恐れて大量の投げ売りが生じることになる。この投げ売りは、サブプライムローンが組み込まれた商品が特定の投資家を対象としたオーダーメイド商品であり、その価格形成の際に用いられたのが格付け機関が設定した格付けであったこと、延滞率の高まりが格付けの信認を失わせその商品の価値がいくらであるかを把握することが困難になったこと、といった理由が挙げられる。結局、流動性の確保が困難となり、様々な商品の中に複雑にサブプライムローンを利用した債権が組み込まれ、さらには世界中に撒き散らされたことも相まって危機が世界的に拡大したわけである。
 さらにこの金融危機の進展の最中には、原材料価格の高騰によるインフレ懸念が高まったのも事実である。この原材料価格の高騰の影響がいかにすさまじいものであったかは、コアベース(我が国の場合はコアコアベース)での消費者物価指数とヘッドラインの消費者物価指数との比較を行ってみるとわかる。コアベースの消費者物価指数には食料・エネルギーといった財の価格は除かれているが、ヘッドラインの消費者物価指数はすべての消費財が対象となる。ヘッドラインの消費者物価指数は我が国をはじめとして物価安定の基準を超えている国が多かったものの、コアベースの消費者物価指数はヘッドラインと比較して遥かに低調であった。世界経済の成長が減速するとの観測が大勢となるに従って、懸念された原材料価格の高騰は沈静化しているが、そのことは本来のディスインフレーションという2007年夏までの地合を顕在化させ、世界経済の停滞の度合い如何では本格的なデフレという新たな課題を我々につきつけることになるのだろう。

2.経済危機のインパクトをどう見るか?
 若田部論説の白眉の一つは、1930年代の大恐慌、1970年代の大インフレ、1990年代の大停滞という三つの経済危機の状況の中で今般の経済危機が適切に位置づけられている点である。三つの危機と今般の危機の相違点・類似点の詳細は後日別の機会に具体的に纏めようと思うが、今回は簡単に概観しよう。
図表は若田部論説中で過去の代表的な経済危機と今回の経済危機の比較として掲載されているものだが、今回の経済危機はその範囲において1930年代及び70年代の大恐慌・大インフレと共通している。ただし、今回の経済危機は金本位制の採用の有無や産油国の有無に留まらず、危機の度合いによっては全世界的なレベルに波及すると見込まれる。金融恐慌の有無という点においては1930年代の大恐慌、1990年代の大停滞と共通する。1970年代の大インフレは金融恐慌を伴うものではなかったわけだが、これは金融資本市場への規制がはたらいていた効果が大きい。物価変動については現状のところはインフレ懸念が先行しており、その意味では70年代の大インフレと共通する。そしてこの裏側には原材料価格の高騰がひかえるという事態も共通している。しかしながら、金融危機が深化し実態経済への影響が濃厚になってくると、今回の経済危機はデフレの様相を示す可能性が高い。国際通貨制度については、現在は変動相場制を多くの国が採用しており、金融政策の自由度が高いことが特徴だろう。大恐慌の経験は旧平価での金本位制に縛られることがデフレ基調(引締め的な金融政策)を生み出したわけだが、大インフレ期については、1970年代前半期は1960年代後半以降の緩和的な金融政策が持続する中で石油ショックが生じ、インフレの亢進と実態経済の悪化が同時に生じた。このインフレが緩和的な金融政策によるものであることは第二次石油ショックの影響が軽微であった日本、ドイツにおいて引き締め的な金融政策が採用されたという事実から明らかである。余談ながら金融政策の転換に踏み切れなかった米国はその後インフレの亢進に悩まされることになる。


出所:若田部論説より転載。

 それでは今回の経済危機の規模・範囲をどのように評価することができるのだろうか。まず今回の経済危機はその範囲が世界的なものに広がりつつあることは異論がないところだろう。「世界的なものに広がる」という意味は二つの側面を持つ。一つは物価・金利・成長率の「大いなる安定」をもたらす動力の一つであった経常収支赤字国(欧米諸国)が大なり小なり住宅価格の高騰に伴う消費増という特徴を有しており、それがサブプライムローンの世界的な伝播と相まって金融危機を拡大させているという側面である。この金融危機インパクトがどの程度かを検討する材料としては、金融不安の程度を示すストック市場のヴォラティリティがどの程度なのかをみるのが有用だろう。スタンフォード大学のブルーム(Bloom)准教授はS&P100のインプライドヴォラティリティを計算し、大恐慌期の状況との比較を行っている*1。結果(以下の図表)をみると、直近のヴォラティリティは1990年代以降の経済危機(湾岸危機、アジア金融危機LTCM破綻、9.11、ワールドコムエンロン破綻等)を上回っており、大恐慌に次ぐ深刻な金融不安をもたらしていること、さらにヴォラティリティの高まりは緩やかに生じたのではなく、大恐慌時と同様に短期間で一気に高まったことがわかる。


出所:http://www.voxeu.org/index.php?q=node/2243


出所:http://www.voxeu.org/index.php?q=node/2243

 さらに現下の状況は金融危機が実態経済を蝕むという状況をもたらしている。二つ目の側面は、経常収支赤字国の需要停滞が経常収支黒字国(我が国を含むアジア諸国及び資源国など)の実態経済を悪化させるという側面である。現段階ではこの二つ目の側面がどの程度のインパクトをもたらすのかは判然としないが、米欧6中央銀行の協調利下げに呼応して、中国、香港、台湾、韓国といった東アジア諸国政策金利の引き下げを表明している点も注目すべきだろう。
 今回の経済危機の実態経済へのインパクトをどう見ればよいのだろうか。IMFは10月8日WEO(World Economic Outlook)の最新版を公表したが、これによれば欧米諸国は2009年中は実質GDPベースでゼロ成長もしくはマイナス成長に落ち込み、我が国も2008年は0.7%、2009年は0.5%成長と明確に減速することが見込まれている。東アジア及び新興国においても成長率は減速するもののその力強さはある程度維持され、欧米諸国が落込みから回復するにつれて徐々にもとに戻るというシナリオである。このシナリオの基礎になっているのは、2009年後半に?商品価格が落ち着き、?米国住宅セクターが底打ちすることで今般の経済危機に目処がつけられること、?新興国の成長の底堅さ、といった想定である。問題はこれらの想定がどの程度もっともらしいのかという点であろう。

世界経済の見通し(IMF WEO)

出所:IMF WEOより実質GDP成長率(自国通貨建て)を参照。2007年以降の数値は予測値。

3.今回の経済危機は「大恐慌」並みか?
 2.でみたように今回の経済危機は金融不安という側面では大恐慌に匹敵するインパクトを世界経済にもたらしていると考えられるが、それは大恐慌時においても現在のように金融資本・貿易の自由化が進んでいたことからしても納得がいくものである。大恐慌の際には震源地である米国のGDPは半減、欧州は25%低下するというすさまじい影響を実態経済にもたらしたが、WEOの予測をみると、確かに欧米ではゼロ成長もしくはマイナス成長が現段階で想定されているものの、大恐慌時ほどのインパクトを実態経済に対してはもたらさないであろうことが容易にわかる。
 この予想−大恐慌ほどの実態経済への影響は生じない−の根拠を支える要素の一つにはまさに過去の恐慌から得られた知見の蓄積とそれを活かした政策の存在、そしてこれらに対する信頼がある。金融危機に対しては迅速な公的資金の投入(政府が金融機関の有する不良債権の買取りもしくは資本注入の実施)と実態経済悪化への対応としての緩和的な金融政策の二つがコンセンサスであることを念頭におけば、バーナンキの金融緩和策は、ITバブル崩壊期のグリーンスパンの金融政策と同等の緩和スピード・規模であり、原材料価格高騰に伴うインフレ期待の亢進の中にあっての思い切った金融緩和は評価に値する。事後的に考えると、バーナンキの金融緩和策は金利の低下をもたらしたものの、量の拡大を伴うものではなかったことがグリーンスパンの金融緩和策と異なるところであるが、今回の危機ではITバブルとは異なり銀行が第二の貸し手として機能せず、全ての金融機関がテールリスクを取ることで利益を出すという特徴を反映してのものだったのかもしれない。だがマネタリーベースの増大を伴った金融緩和策を行っていたら、今度は原材料価格の高騰というリスクが生じていたのかもしれない。なお、流動性への対策という点に関していえば若田部論説で明確に指摘されているように、FRB流動性の枯渇に対して07年8月以降段階的に手を打ってきたことも事実である。伝統的手段の貸付期間の延長、財務省債券の供給拡大、プライマリーディーラへのネットワークへの供給、最近では一般企業に対するCPを通じた資金供給の円滑化策というように着実に流動性を供給する範囲を拡大させてきたのも事実である。
 現在の状況は流動性が枯渇している状況、つまり民間部門の中で具体的に短期資金の出し手となる存在がいないことが原因である。よって株式が売りこされ、現金という最も安全な形での資産保有が進む。民間部門の中で資金の出し手が居ないのであればそれを引き受けるのは公的部門しかいないというのが現状である。
今後短期的に焦点となるのは、金融機関の連続的な破綻に対しての公的資金の注入策が市場の納得を得る形で進むのかどうかという点である。この点は多分に政治的要素も絡みうるところだが、ここ数日の株価の劇的な下落が続いていくとすれば、金融危機が着実に実態経済に影響し欧米諸国のみならず金融システムは安全だとうぬぼれている我が国*2にも外需のみならず内需の縮小という形で影響が具体的に伝播するだろう。焦点は、週末のG7でどのような対策が打たれ、それが市場のパニックを是正する動きになるかどうかである。そして住宅市場の底入れがIMFが予想するように2009年中に終わるのかという点や、為替と通貨の動向についても注視する必要があるだろう。
 大恐慌に陥った世界は旧平価での金本位制度からの離脱を行った(余儀なくされた)国から順番に次第に回復の途についていくことになった。この意味で大恐慌は政策対応の失敗としての側面を有している。失われた十数年以降、つまりは90年代以降の我が国の対応は過去の危機から何も学んでいないのではないかとの思いが去来するが、数多くの経済危機の経験を潜り抜けて得られた知見というものが存在するのも又事実である。特に当面の金融危機のパニックを食い止めるための方策についてコンセンサスが得られているのだから、早期にコンセンサスとされている政策を断固として行うだけというのが現在の段階なのである。今回の経済危機が仮に大恐慌に匹敵する実態経済の悪化を引き起こすのだとすれば、それは人為的な政策対応の失敗によるものということになるのではなかろうか。

(追記及び修正しました。ご容赦を 10/10 21:10)

(追記 10/15)
 複数のブログからリンクをいただいたようで沢山の方にご覧いただいているようです。ありがとうございます。一点追記しておくと最後の段落中「特に当面の金融危機のパニックを食い止めるための方策についてコンセンサス」云々については、冒頭の「金融危機に対しては迅速な公的資金の投入(政府が金融機関の有する不良債権の買取りもしくは資本注入の実施)と実態経済悪化への対応としての緩和的な金融政策の二つが必要であることは金融危機のコンセンサスと言えるだろう」という点を念頭においています。G7においても表明されているとおり、各国の経済状況によって具体的な対応策は異なるべきですし、その意味でのコンセンサスを念頭においているわけではないことをご理解ください。

*1:http://www.voxeu.org/index.php?q=node/2243

*2:本日の報道においても同様の発言を繰り返す某経済財政担当大臣は何を考えているのだろうか。