「不良債権原因説」から金融危機を考える

 昨今の金融危機の動向を見ると思い起こされるのはここ10年の我が国の状況であるが、我が国の不良債権残高(リスク管理債権残高)の状況はどうだろうか。金融庁資料からみていくことにしよう。図表はリスク管理債権残高を都銀・旧長信銀・信託と地域銀行とに分けて表示するとともに、リスク管理債権残高が報告されている決算月に対応した四半期ベースの実質GDP(季節調整済計数:年率表示)を対応づけたものである。
 この図表からは、リスク管理債権残高は2002年3月期にピークをつけてその後に減少していること、景気回復局面に入ったのは2002年であるから景気回復から少し遅れ気味にリスク管理債権残高の減少が進んだということである。図表中は都銀・旧長信銀・信託と地銀及び第二地銀からなる地域銀行にわけてリスク管理債権残高をみているが、都銀・旧長信銀・信託のリスク管理債権残高はピーク時の2002年3月期決算時から急減しているが、地域銀行リスク管理債権残高は殆ど減少しておらず未だ1998年3月期決算時と同じレベルである。

 もう少し細かく見ていくことにしよう。以下の図表は同じ金融庁資料から、リスク管理債権残高を破綻先債権、3ヶ月以上延滞債権、貸出条件緩和債権、延滞債権の4つに分けてみたものである。上が都銀・旧長信銀・信託の数値、下段が地域銀行の数値だが、地域銀行のリスク債権残高は都銀・旧長信銀・信託と比較して減少しておらず、特に延滞債権の高止まりが地域銀行のリスク債権残高全体の高止まりに寄与していることがわかるこれはいわゆる竹中プランが大手行をメインの対象にしており地域銀行不良債権処理は進んでいなかったこと、又景気回復が十分に行き渡っていないこと、つまり地域銀行の顧客でもある地方中小企業の業況は十分に回復していないことを暗示しているものと思われる。



(資料)金融庁資料から作成

 さて、以上は前振りだが、長期停滞下の経済論争の中で不良債権こそが実態経済の悪化の原因であり、これを除去することが必要という「不良債権原因説」という考え方が唱えられたのは諸兄の記憶するところだろう。最初の図表をみると、不良債権額の縮小に伴って実質GDPが拡大しているとも捉えることが出来るかもしれないが、この考え方は正しくない。
 図表からは景気回復が不良債権を減少させたのか、不良債権の減少が景気回復をもたらしたのかは判断が難しいが、その理由は、そもそもなぜ不良債権が生じたのかという点を考えてみるとわかる。データから時系列で押さえていけば、我が国の場合は1990年に株価の大幅な下落があり、さらに1991年以降は地価の下落が進んだ。そして実態経済の悪化や不良債権の蓄積が進み、さらに不良債権が拡大し、デフレが生じていったというのが長期停滞の状況である。つまり不良債権の拡大は長期停滞の過程の中で生じた現象の一つであるが、原因ではないのである。
この点は昨今の金融危機とその対応策の関連を考える際にも重要である。欧米諸国で主に生じている金融危機サブプライムローンを支えた住宅バブルの崩壊、つまり住宅価格の低下が住宅購入者とサブプライムローンを担保に証券化して販売・購入した金融機関の双方にダメージを負わせているというのが実態である。さらに世界経済の減速は我が国の長期停滞における停滞の第二幕目である実態経済の悪化に対応する。実態経済の悪化と金融危機はともに関連しつつ不良債権の拡大を伴って双方の悪化度合いを高めていくことになるが、現在進んでいる状況が我が国の長期停滞でいうところのどの段階に属しているのかは明確ではない。確実にいえることは、現在金融機関の間で流動性不足が深刻であるのならば最後の貸し手として中央銀行流動性を果敢に供給すべきであるし、公的資金を注入することが必要であれば断固としてそれを行う必要があるということだ。
 このように論じるとお前は「不良債権原因説」に沿っているのではないかという思いをもたれるかもしれない。だがそれは認識違いである。先にも書いたとおり、今般の世界的な金融危機の始まりは住宅価格の下落であった。住宅価格の下落が基点であるのならばそれに伴って付随して生じる不良債権の拡大や流動性の収縮に対してのみ手当てをしていても住宅価格が下がり続ければ結局のところイタチごっこに留まり、公的負担は増えていくという悪循環に陥るのが道理である。
結局のところ、流動性が枯渇していくという状況に対しては資本注入策を含む公的資金の投入が必要なのだが、それだけでは今般の危機を乗り切ることが出来るかといえばそうではないということである。つまり、公的資金投入とあわせて必要なのは住宅価格の下落を抑える政策である。
 資産価格がどのように決まるのかを考慮すれば何をすれば良いかは明白だが、結局のところ期待・レジームの転換を図ることが必要なのだ。住宅自体は単に住むことが目的であるのならば、人口の増加や所得要因といったファンダメンタルズが価格水準に影響するのだろう。今般の局面で問題となっているのは、住宅バブルの崩壊によって想定されるファンダメンタルズから得られる理論価格に住宅価格が留まらず容易に理論価格を住宅価格が下回るという状況である。勿論、住宅価格の下落に対しては金融機関が立ち直ること、そしてそのための公的資金投入策も一定の役割を演じるだろう。これは金融機関への信認が高まるという期待を通じたチャンネルを含むものである。住宅価格の下落を止めるには、こうした金融機関への信認の回復に加えて、経済成長自体に対する期待に作用させるための金融緩和策が必要だろう。
 我が国の金融政策に関する実証分析の知見に照らせば、金融危機が具体化した97年及び98年の前段階の96年には既に政策金利を操作する通常の金融政策の影響は失われていたという報告がなされており(宮尾(2006)*1、井上・沖本(2007)*2)、さらに90年代後半以降は量(マネタリーベース)を操作する政策が効果的であったこと(井上・沖本(2007))が知られている。米国の政策金利は2%の水準であるが、ドルの位置づけの低下懸念も欧州の不調が顕在化したことで遠のきつつあり、更にインフレリスクよりも実態経済の悪化リスクの方が重要であることを考えればそろそろ政策転換を検討する時期が来ている、とも言えるのではないだろうか。

*1:『マクロ金融政策の時系列分析』日本経済新聞社

*2:「日本における金融政策の効果」林文夫編『経済制度の実証分析と設計 第一巻 経済停滞の原因と制度』第7章、勁草書房