週刊エコノミスト11月14日特大号 特集「大不況」&「経済対策「自民対民主」」を斜め読む

 一応末席の人間としては毎週チェックしているのですが、日頃頓珍漢な御説にお目にかかることが多い「エコノミスト」なのでほぼ紹介しません(笑。さすがに今回は状況を察してか、中々読ませる論説が並んでいます。印象深いところから簡単に紹介してみましょう。

1.特集「大不況」
 最初の嶌峰さんの論説「金融崩壊から景気悪化の「負の連鎖」」は世界経済の状況を分かり易く纏めていてお勧め。米国は来年春先から生産活動が冷え込むとの見立てですが、ここでどう金融政策が効くのかが見ものでしょうか。欧州はECBのインフレファイターとしての行動が現在の景気悪化を助長させているとの指摘は仰るとおり。間接金融の割合が高い大陸欧州の影響が大となる可能性は我が国の経験からも言えるところ。新興国ではバルト三国に関する指摘とアジア通貨危機との共通点は抑えておく必要があるでしょうね。問題は特定通貨へのペッグであるという点。
 金融政策との絡みで言えば、ヘッドラインのインフレ率に固執して厳格なインフレターゲットの枠組みから利上げに踏み切ったことが、ここに来てジワジワと効いてくるという見立ても可能でしょう。今回の経験からは、コアインフレ率に着目しつつ、実態経済重視、伸縮的・弾力的なインフレターゲット政策を実行することが必要だという事実が再確認されたわけです。
 次は竹森先生の論説ですが、信賞必罰を兼ね備えた「純粋な資本主義」が消えるという見立てについてです。証券会社は自由な試行が認められてきたからこそ、破綻に任せるという原則が適用された一方で、銀行はそうではないことが公的な介入を是認する、ということ。今回の危機では破綻した金融機関を全て救わなければシステム全体を維持できないため、「純粋な資本主義」は修正を迫られるというのが趣旨。このあたり、昨日取り上げた「セイビング キャピタリズム」の論点が検討材料になるかと。
 今回個人的に勉強になった(というか大体そうなのですが(笑))のは安達さんの論説。大恐慌の経済状況の悪化のモメンタムと現状との比較という論点から自説を展開されています。
まず安達さんは、経済危機をその深化の段階から6つの段階に分けています。これは、住宅価格下落→株価下落(以上第一段階)→逆資産効果を通じた個人消費悪化(第二段階)→金融期間の自己資本毀損・経営リスクの台頭(第三段階)→企業の資金調達を阻害し生産活動を停滞させる(第四段階)→信用創造機能の停滞とデフレスパイラル、金融機関の破綻(第五段階):恐慌→恐慌が究極まで進展し、政府の手で経済活動をリセットせざるを得ない事態(第六段階):大恐慌というもの。各種データから比較した結論は第四段階から第五段階に米国経済は到達しているというものです。
 さて、安達さんの論点で重要だと感じる点は、今般の米国金融政策の評価でしょう。論説に依ればマネタリーベースの伸びを大恐慌時と比較して、恐慌が本格化し始める1929年末の状況に相当すると論じています。確かにこの視点からは明らかに不十分です。私も過去のエントリ(「不良債権原因説」から金融危機を考える)で、日本の実証分析の知見では金融危機が生じた90年代後半には既に政策金利の上げ下げによる金融政策は効果を持ち得なかったこと、その際には量的緩和を主体とする金融政策を早期に行うことが有効であるという論点を紹介しました。現下のFRBが直面している状況は、FFレートは1.5%、金融危機が生じている状況ですから、インフレ懸念が払拭されている現時点では早期にゼロ金利インフレターゲット付きの量的緩和策に踏み切ることが必須でしょう。問題は断固としてFRBが実行するかどうかだと思います。早めに行わないとより大規模なカネを投入する必要もあるというのが我が国の経験ですしね。
 後の論説でめぼしい(と僕が感じた)のは、みずほ証券の香月さん、ニッセイ基礎研の石川さん、そして石油天然ガス・金属鉱物資源機構の野神さんの論説ですね。

(追記)マイミクの方から指摘いただいたのですが、実はもう一つ忘れてはいけない論説がありました(汗。御読みの方はお分かりかもしれませんが、藤井さんの白川日銀総裁に関する論説です。これは別途エントリする予定。

2.経済対策「自民対民主
 経済専門家30人が斬る、という特集が面白いですが、まぁ・・予想した通りの各論者の評価でしょうか。特集では共に「ばらまき型」からどちらが良いともいえないという評価が多いとのことですが、経済専門家から見ても争点がぼけているわけですから、市井の方々にとっては差が良く分からないのも道理かもしれませんね。
 個人的にはイデオロギーではなく、長期的ビジョンと短期的ビジョンを明確に示した上でそれぞれについてどのような対策を考えるかという点を明確にして欲しいというのが両党に求めるところです。いみじくも政策論争を行っているわけですから、おなじ財政政策についてビジョンを語ってもそれは量の大小か、どの対象に財政支出するかという論点しかないと思いますしね。容易に政局がらみの話に結びつくわけです。