いわゆる「円安バブル崩壊」という話題について

 この所の円高の進展を捉えて「円安バブル」の終焉などと言っている方が居るのだが、念の為にこの点について簡単に論じてみよう。円高の進展が「円安バブル」の崩壊だと論じる人々の議論はどのようなものだろうか。彼らの議論の根拠の一つは、まず実質実効為替レートで見た為替レートが1973年の水準とほぼ同水準まで低下していることであり、事実認識としては正しい。
 しかしながらこの事実は「円安バブル」という判断には繋がらないのは明らかである。理由の第一は、実質実効為替レートは定義の通り名目実効為替レートを物価水準で事後的にデフレートした値であるため、市場に参加するプレイヤーが直面している為替レートは(実効為替レートという次元で言えば)名目実効為替レートであるという事実だ。当然ながら1973年と比較して名目実効為替レート及び名目為替レートは上昇(円高)となっている。さらに言えば、時系列で見て資産価格が上昇していたらそれはバブルというのだろうか。昨今の株価下落は2000年代前半から続いた株価バブルの崩壊なのだろうか?大方の人々はそうは言わないだろう。
 それではバブルか否かはどのように判断したらよいのだろうか。一つの方法は、為替レートを含む資産価格が実態経済との関係から得られる理論値(ファンダメンタルズ)から著しく乖離しているか否かを見るというものである。この方法であれば、過去の資産価格からの変動ではなく、現在の実態経済との対応において現在の資産価格が割安か割高かを判断することが出来る。勿論、「バブルは崩壊してみないと分からない」というのは道理であり、ファンダメンタルズとして考慮すべき側面を考慮しないためにバブルと誤認している可能性もある。しかし、ファンダメンタルズから得られる理論値が頑健な値であれば一つの有効な判断材料になることは明らかである。
 では、為替レートの場合には現状が行過ぎた円高なのか円安なのかを判断する材料(ファンダメンタルズ)として何があるのだろうか。それは、貿易相手国との購買力平価を見ることである。以下の図表はOECD統計ベースの購買力平価と名目円ドルレートを暦年ベースで見たものであるが、1980年代後半以降では一貫して我が国の名目円ドルレート*1購買力平価の水準を下回っていることがわかる。名目円ドルレートが購買力平価を下回っているとは、購買力で評価したレートよりも我が国の為替レートが割高であることを意味する。
繰り返しになるが、実態経済を反映する購買力平価よりも割高に名目円ドルレートが高く評価されていることは円の通貨価値が高いことを意味している。これは円を円として保有する動機が高いことであり、この事実はデフレ圧力として我が国に作用していたわけである。ちなみに国際比較を行えば我が国の物価上昇率が80年代以降継続して低水準であるという事実を容易に確認できる。勿論、購買力平価自体は対象とする物価の選択により上下する*2が、結局のところ、我が国の状況は「円安バブル」というよりは寧ろ「円高バブル」に覆われていたというのがバブルという言葉を使うのであれば適当なのではないだろうか。
 低金利でカネがジャブジャブに刷られていることが円安をもたらしているとお考えの向きは、例えばNIKKEI NETの金融データを確認したらどうだろうか(http://rank.nikkei.co.jp/keiki/kinyu.cfm)。我が国は量的緩和解除以降、出口戦略に基づいてマネタリーベースを急激に減少させ(市場から吸収し)、さらに利上げ局面に入った現状においてはマネタリーベースの伸びがマイナスである月が目に付く。図表ではマネーサプライとしてM3の増加率(前年比)が記載されているが、2006年度のマネーサプライは金融引き締めによりマイナスの伸び、そして2007年度はわずかに0.5%の上昇、2008年に入ってもM3の伸びは1%未満の水準に留まっている。M2+CDベースで見れば91年以降から現在に至るまでマネーサプライの伸びは5%を超えることは一度とてない。バブル経済の80年代後半から90年までの期間では全ての年でマネーサプライの伸びは7%を越え、更に90年には10%を越えていたのである。

購買力平価と名目円ドルレートの比較
注:*・・・08年の購買力平価の値は月次ベースの直近値(08年8月)、名目為替レートの値は本日(10月28日)昼時点の値。
出所:OECD及び日銀統計。

(追記 10/31 22:35)
 きちんと書いていないので誤解されている向きもあるかもしれません(最近こればっかり)が、参照しているOECDのPPPは財のバスケットとして財・サービスを含んだもの(つまり支出側から見たGDPに含まれる財・サービスをバスケットとしているということ)ですのでその点誤解なきよう。GDPは貿易財だけでなくてサービスも含みますから、サービスを含まないPPPでGDPを評価して国際比較しても意味がありませんよね?詳細等々についてはOECDのサイトにFAQやらマニュアルがありますのでそちらをご参照ください。推計方法に関しては個人的な視点では論点があると感じていますが、それはそれとして。
 後、非貿易財も含まれるためにPPPが高め(割安)に計測されているとのご指摘もあると思いますが、注ですでに断っているとおり円安バブルと言える程の水準ではないと思います。貿易財のPPPが天井として作用していたわけですし。

(追記 11/11)
 bewaadさん以外の方からもTBをいただいているようですが、理由もなしに罵倒されるような覚えはありませんね。まともにお相手するほどの話ではありませんのでスルーしようと思いましたが、少しだけ。文藝春秋の最新号で竹森先生が書いてますが、この手の話題はもっと興味深い論点があるのですが、残念なことにそういった話題にはならないんですねぇ・・・。
 念のため追記すると、円安バブルと仰る方々は何を持って円安バブルだと仰るのか正直訳がわかりません。実質実効レートの時系列変化からバブルとわかるのでしょうか?70年代以降からデータを取ればGDPも増え、株価も上昇し、物価も上がっていますが、以上のデータの話からGDPバブル、株価バブル、物価バブルというのですか?(笑。寡聞にしてそんな話は聞いたことがありませんね。私の記憶が確かならバブル経済は随分前に終わったと思っていたのですが。現状の為替レートの水準が実態経済と比較して高いか低いかは実態経済から得られる指標(ファンダメンタルズ)を通じてしか判断がつかないと思いますが?
 別にOECDのPPPが良いとか悪いとか言ってませんよ。貿易財でのPPPということでしたらもっと水準は低く(円高)なりますが、02年以降の円安でもやっと「円の足枷」(by安達誠司)から脱却できたかどうかくらいの水準ですよ?90年代貿易財ベースのPPPを超えて通貨が安くなっていない国は珍しいのですが・・・。それだけずっと円高、つまりはデフレ圧力がこの国を襲っているのですが。後OECDのPPPに文句つけるのならばPPPベースで国際比較を行った一人あたりGDPが低すぎると文句を言ってほしいものですね。そして為替レート換算の一人あたりGDPが急落しているとか驚いたりしないでほしいものです。

*1:日銀HPから参照

*2:安達誠司「円の足枷」(74頁図2-2)では、国内企業物価ベースでの1980年基準購買力平価を計算しているが、2002年から2004年及び2005年以降の円安局面ではわずかに名目円ドルレートが購買力平価を上回っていることがわかる。しかし80年代前半ほどの乖離は無く、これをバブルと呼ぶのは適当な評価ではない。